のんびり娘を育てていると、普通ではあまり聞かない言葉と仲良くなります。
「視覚支援」
なんていうのも、そのひとつ。
耳で聞くだけだと、頭をすり抜けちゃってよくわからないことを、
目で見てわかってもらえる形に工夫する事。
漢字で書くと難しいことみたいだけど、
例えば、
口で説明している事を、そのまま字で書く。
なんていうのも、立派な視覚支援。
書くって、結構面倒だから、
自然と言葉が減って、単純になり、
その分伝わりやすくもなるみたいです。
さて、学校の4年生。
今は「折れ線グラフ」を勉強中。
「できるよ」「わかってる」「チャレンジでやってるもん」
等とのたまう割りに、つまらないところで間違い続出。
縦軸や横軸の表わすものは何かと聞かれて、
「度」とか「時」で終わらせる子。
もう一歩進んでいるけれど、
「気温」を「温度」にしてしまう子。
これは個別指導より全体で
と思ったので、その他2,3の注意点とあわせて、
4年生の先生に耳打ちしました。
そして今日、
この先生が4年生の先生+少人数の先生に
お話して、各クラスで指導があったらしいのですが、
少人数の先生、
またまた「言葉」だけで終わりにしちゃった。
何で、黒板に書いてくれないのかなぁ。
「説明」だけで、全員に伝わるもんだと思っているのかしら。
キイワードを黒板に大きく書くだけで、
「おや、なんだろう」って、
注意をひきつけられるのに、それもしないんじゃせっかくの説明も浸透しないよ。
案の定、その後配られてプリントでも、
この手のミス続出。個別指導に追われました。
特別なのんびりさんじゃなくってもね、
ざわついた教室で、耳からだけの情報を取るのって至難なんだよ。
話し手に余程の技量がないと難しい。
そういう「受け手」の気持ちになってみれば、
視覚支援だって、自然に出来ると思うんだけどね。
「視覚支援」
なんていうのも、そのひとつ。
耳で聞くだけだと、頭をすり抜けちゃってよくわからないことを、
目で見てわかってもらえる形に工夫する事。
漢字で書くと難しいことみたいだけど、
例えば、
口で説明している事を、そのまま字で書く。
なんていうのも、立派な視覚支援。
書くって、結構面倒だから、
自然と言葉が減って、単純になり、
その分伝わりやすくもなるみたいです。
さて、学校の4年生。
今は「折れ線グラフ」を勉強中。
「できるよ」「わかってる」「チャレンジでやってるもん」
等とのたまう割りに、つまらないところで間違い続出。
縦軸や横軸の表わすものは何かと聞かれて、
「度」とか「時」で終わらせる子。
もう一歩進んでいるけれど、
「気温」を「温度」にしてしまう子。
これは個別指導より全体で
と思ったので、その他2,3の注意点とあわせて、
4年生の先生に耳打ちしました。
そして今日、
この先生が4年生の先生+少人数の先生に
お話して、各クラスで指導があったらしいのですが、
少人数の先生、
またまた「言葉」だけで終わりにしちゃった。
何で、黒板に書いてくれないのかなぁ。
「説明」だけで、全員に伝わるもんだと思っているのかしら。
キイワードを黒板に大きく書くだけで、
「おや、なんだろう」って、
注意をひきつけられるのに、それもしないんじゃせっかくの説明も浸透しないよ。
案の定、その後配られてプリントでも、
この手のミス続出。個別指導に追われました。
特別なのんびりさんじゃなくってもね、
ざわついた教室で、耳からだけの情報を取るのって至難なんだよ。
話し手に余程の技量がないと難しい。
そういう「受け手」の気持ちになってみれば、
視覚支援だって、自然に出来ると思うんだけどね。
のんびりさんの親だから「気付く」事のできること。
これが どれだけ学習に役立つのか ほんとに
先生方には わかって頂きたいのですが!
最近、ほんとに思うんです。「普通」だと言われる子って
どれだけの能力をもっているのか。先生って
「過信」って多くないですか?
わたしは 自分の息子がのんびりさんでなかったら
勉強に「力」をいれようなんて思いませんでした。
それこそ、いつか出来るって。基準は その先生の
「レベル」で決められていると思います。先生の
「わたしが わかるのだから」...。それが『基準』。
子供の立場とか~「わかりやすいやり方」って
否定されがちです。「考えさせる」が「いい」って
日本の教育は なってる気がして。。。
seiさんは 個人塾の講師になられると かなり
優秀であると思われます。
わたしは seiさんのいる学校で 教えて頂きたい。
わたしが今、どんな先生方にのんびり息子の勉強の話をしても
「ソレはいい!」と動いてくれる先生はいません。
seiさんの言動は 今年は失敗でも 来年、再来年と
先生の間で 浸透していけるかもしれないと 思えました。
「視覚支援」が 教育業界で もっと使ってもらえるように
この言葉の広がりを期待したいです。
そうです。私は仕事に関しては「優秀」です。
ただし、「主婦」「母」「妻」に関しては、かなりの落第点かと、、、。
冗談はさておき、
やまとさんのおっしゃる
「基準はその先生」
という言葉、良くわかります。
これくらいは出来るはず」という思い込み。
これを消して行くには、ただもう一人一人をキチンと見ていくしかないわけです。
「仕事人」というのは言い訳しないもんです。
子どもが間違った時、
「ちゃんと聞いていないからだ」
「おうちの人が宿題を見てあげないから」
というのは、言い訳だと思うのです。
夫々の状況に応じて
最小限の労力で、最大限の効果をあげるために
頭を使い、体を使うのが「仕事人」かと。
キチンとした仕事をするには、言い訳している暇に、夫々の子供が何故出来ないかを見極める事が肝心です。
先生たちの中には、その感覚が薄い人が確かにいます。
ですが、「これぞプロ!」という方も、結構いるのです。
問題は、プロのノウハウが、なかなか広がっていかないところではないかしらと、
学校現場に入って、たかだか2年ほどではありますが、愚考いたします。
本当にそうですよね。
だって、のんびりちゃんは集中力に限界があるのですから。どうして、世間の人はそれをわかってくれないのだろう。
これでは、読書がつらいのもあたりまえ。
なぜに、何重にも負荷をあたえられるのか。
しかし、負けてたまるかですよね。seiさん!
「聞こえ方が違う」
「頭へのしまい方が違う」
「頭からの取り出し方が違う」
そういったことって、他人にはなかなか想像しにくいから、「できるはず」と思い込まれてしまいやすいですよね。
特別な知識を持たなくても、特別な方法を使わなくても、
例えば、連絡帳を書くのが遅い子には、早く書いた(字の見やすい)お子さんのノートを渡して写すようにさせるとすれば、「遠くを見て、近くに書く」ことが苦手なお子さんは救われるわけです。
行の見分けがつきにくいお子さんのためには、板書の工夫(例えば。行頭にマークをつけるとか、行間を開けるとか)をしてみるとか、
たぶん、ベテランの先生方が自然にしてきた工夫の組み合わせで楽になるお子さんもたくさんいるのだと思います。
そして、それぞれの能力は経験に応じて少しずつでも伸びていきますから、そうこうしているうちに、自分なりの工夫で乗り越えられるようになるお子さんも増えてくるのだと思います。
ただ、最初のうちはやはり親や先生など、身近な人間が気を付けて、そのお子さんのやる気をそがない方法を何かしら提示していく必要があるのだと思います。
こどもが抱えている困難さを、少しでも軽減する、具体的な方法でやわらげてあげる、seiさんの子どもの接し方は、真の愛情からですよね。
ご自分のお子様だけでなく、勤務先の生徒さん、そしてブログで発信することにより、救われる親子がたくさんいます。いつも深く感動しています。
私は、情報が隠されている、そして知らない人は、「大丈夫、大丈夫。考えすぎ。」と言われ
ごまかされてしまう社会になってきていると思います。または、その情報をお金で買うことができる人たちだけが救われるのです。
この状況に立ち向かうには、親自身が学び、子供に教えること。
無料で教えてあげるのは、親だけですものね。