「私には未来なんてないんだぁ~」
と、顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくるのんびり娘。
しばらく感情の激するままにしゃべらせてみると、どうやらその日の
「茶道」の授業で、彼女の劣等感を刺激することがあったようです。
「私は、お茶を混ぜるのもできないの。出来るようになりたいのに、できない~(ひっくしゃっく)。だから美味しくないけど、私が入れたのを罰ゲームみたいに言うなんてひどいよぉ~(びぇ~ん)。
それに、ママに似たくないのに、ママのをもらっちゃって右と左がわからなくなるし~(私は右と左をよく間違えます。)、だからどっちの足から出ていいかわからなくなっちゃう。先生に言われてるのに、わからなくて笑われるからやだ。もう茶道なんてやだ~(びぇーん)。私なんて、未来なんかないんだ。もういなくなっちゃいたい。リンゴの皮もむけないし。彼もできないにきまってる~(ひっく)。」
てな具合です。確かにね、馬鹿にされて悲しかったろうとは思うし、うまくやりたいのにできないつらさはあったろうけど、放っておくと、悲観がどんどん広がっていくようなので、受け止めるというより、その連想にストップ掛けることにします。
「未来がないってさぁ、そりゃぁ、頭は悪いかもしれないけどさ(最近は、こういう言葉をするっというようになりました。受け止める側の力が育ってきているのを感じてのことです。以前は、こういう言葉は決して使えなかったですよ)、顔はさぁ、悪いけど他の女の子たちより良いと思うわよ。1番可愛いとは言わないけど、ま、10人いたら3番目くらいには入るんじゃないの。いじわる言った子たちの顔って、どうよ。あなたに未来がないなんて言ったら可哀そうなんじゃないの。」
まだ、泣きじゃくるのんびり娘。因みに「頭は悪いけど」のところでは、「そんなこと言わないでぇ~」って泣きじゃくる声が一段と高まりましたけど、無視して続けると、
ちょっと、気持が横へそれたみたいです。たぶん、いじわるっ子たちのお顔を思いうかべているのでしょう。
別に、「顔」でなくてもいいんですけど、のんびり娘がひどく劣等感を感じないでいられるもので気をそらしたいので、こんな風な話に持っていきます。
冷静な私の目から見ると、顔の造作はそこそこ整っていても、姿勢の悪さとか動きの鈍さとかを引かなきゃならないから「3番目」っていうのは言いすぎなんですけどね、まっ、最大のコンプレックスから気持ちがそれればいいんですわ。
「あなたが悲しいのもわかるわ。誰でも1番弱い部分をつかれると、グサッとくるし、なんだかじぶんが悪いところだらけのような気がするもんね。ママだってさぁ、こぉんなに美人なのに、若い頃は足が太くってねぇ・・それを言われるとものすごく傷付いたもんよ。」
こんな風にいうとね。のんびり娘、泣きじゃくったものか、吹き出すべきか悩むらしくて「ぐほっ」というような音を出してるわ。
「ママより、足の太い人いるよ。だから、ママ大丈夫だよ。」
と、泣きながらも母に同情してくれる。
「そうよ。言われた時はグサッと来て、そういうことに気がつかなくなっちゃうけど、
そうなのよ。ママは確かに足が太かったけど、美人なんだからそんなの気にしなくてよかったのよね。」
と、この辺で、のんびり娘かなり復活。
「ママ、それなんか言いすぎじゃないの」
と、突っ込む余裕が出てきたわね。
「ね、あなたから見ても、お顔や足とかで「ちょっと心配だな」っていうお友達いるでしょ。大体、いじわるを言う子は意地悪な顔になってるしねぇ。でもさ、そういう子たちに『ブス!』とか『デブ!』とかいう?言わないでしょ。言おうとも思わないでしょ。
だからね、あなたの方がいじわるな子たちより人間が上ってことよ。」
この辺りで、ほぼ泣き止みました。
「だいたいさぁ、茶道なんて普通の中学校ではやってないよ。お茶をたてられる中学3年生なんて滅多にいないんだから、出来ないからってどうということないわ。それより顔でしょう(と、あえて軽く持っていきます)」
「でも、私やりたいのにできない。お茶混ぜるのもできないし・・・」
と、あらあらまた戻っちゃいそう。
「そうかぁ、それはママが悪かったな。ケーキ作る時もねぇ電動じゃなくて手で回すかき混ぜ器を使って練習しておけばよかったねぇ。でもさ、あなたは一番苦手なことをここまで頑張って伸ばしてきたんだから、大丈夫。そんなの必ず出来るようになるよ。」
「わたしね、料理とかも作れるようになりたいの。でもリンゴの皮もうまく剥けないし、危ないやり方になるでしょ、わたし。」
「そうだけどね。でもさ、前は料理の作り方が書いてあっても読めなかったのよ。それが今はちゃんと読めるんだから(2,3日前に調理実習のプリントを二人で読んでいたところでしたの)、いろんな料理も作れるよ。おばあちゃん家でしこんでもらってもいいしね。」
「わたし、そんなのも読めなかったの?」
「だよ。中1ぐらいまではいろいろ読めなかったわよ。」
なんて会話も入ります。
で、その後、彼女の当面のお悩みの解決策の提案です。
「かき混ぜ」に関しては、彼女の手首の動きの硬さを思うと一朝一夕には解決できませんけど、右左の見極めに関しては、私自身がやっているとっておきの方法がありますから伝授します。
「あのね、『お茶碗持つ方』なんて言われてもさ、そんなところで茶碗持つ真似なんてできないでしょ(緊張しやすいのんびり娘はその時点でもう逆に手を動かしたりするのです)。だからママはね、ここを触るのよ。」
と、右手親指の鉛筆だこ(私は鉛筆の持ち方に癖があるので中指脇よりもむしろ親指の腹が硬くなります)を触らせます。
「あぁ、硬い。」
「でしょ。鉛筆が当たって硬くなったものだから、左にはないの。だからね、こうしてさりげなく触って確かめてから『右!』って出すのよ。これなら誰にもわからないでしょ。」
「でも、私、鉛筆の持ち方が悪いからそういうのないよ。」
そう、のんびり娘の指にはタコがないのです。ところがなんとも運のよいことに(か??)、
現在彼女の右手の甲にはお誂え向きのガングリオンが・・。
ガングリオンって、ゼリーみたいなものが溜まって小さなこぶのようになったものなんです。外科に行くと、注射針を刺して小さな穴をあけ、そこから中身を絞りだして直してくれるんですけど、しばらくするとまた同じところに溜まったりもするんですね。
いたがりののんびり娘、一度やってもらった後はなかなか医者に行こうとしないので、2回目のガングリオンが成長し、今も右手の甲に小さなこぶをつけているのです。
今回はこれが役に立ちました。
「そっかぁ、これがあるのが右なんだ。」
「そうよ。ほら、右あげて」
「はい、左あげて」・・・
と、試してみると迷いなく間違いなく反応できます。
そのあとは、歩く練習。
何度か歩かせてみると、彼女の踏み出す足は「右」ということも確認できたので、
「緊張しなければ、普通は右足から出てるからね。」
と教えてあげた後。
「はい右足から。」
「次は左足から。」・・・
と、これも何度か練習すると、迷いなく間違いなくできるようになりました。
のんびり娘の心の負担は一つ軽くなったようで、にこにこになって一件落着でした。
うまくいったので、結構満足感のある出来事ではありましたが、
考えてみれば「面倒なこっちゃ」ですわね。
「そんなのどうでもいいじゃん」
で済ませられる子なら、1秒もかからないことだし、
対策を自分で考える子なら親の手間は要らないんですもんね。
と、顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくるのんびり娘。
しばらく感情の激するままにしゃべらせてみると、どうやらその日の
「茶道」の授業で、彼女の劣等感を刺激することがあったようです。
「私は、お茶を混ぜるのもできないの。出来るようになりたいのに、できない~(ひっくしゃっく)。だから美味しくないけど、私が入れたのを罰ゲームみたいに言うなんてひどいよぉ~(びぇ~ん)。
それに、ママに似たくないのに、ママのをもらっちゃって右と左がわからなくなるし~(私は右と左をよく間違えます。)、だからどっちの足から出ていいかわからなくなっちゃう。先生に言われてるのに、わからなくて笑われるからやだ。もう茶道なんてやだ~(びぇーん)。私なんて、未来なんかないんだ。もういなくなっちゃいたい。リンゴの皮もむけないし。彼もできないにきまってる~(ひっく)。」
てな具合です。確かにね、馬鹿にされて悲しかったろうとは思うし、うまくやりたいのにできないつらさはあったろうけど、放っておくと、悲観がどんどん広がっていくようなので、受け止めるというより、その連想にストップ掛けることにします。
「未来がないってさぁ、そりゃぁ、頭は悪いかもしれないけどさ(最近は、こういう言葉をするっというようになりました。受け止める側の力が育ってきているのを感じてのことです。以前は、こういう言葉は決して使えなかったですよ)、顔はさぁ、悪いけど他の女の子たちより良いと思うわよ。1番可愛いとは言わないけど、ま、10人いたら3番目くらいには入るんじゃないの。いじわる言った子たちの顔って、どうよ。あなたに未来がないなんて言ったら可哀そうなんじゃないの。」
まだ、泣きじゃくるのんびり娘。因みに「頭は悪いけど」のところでは、「そんなこと言わないでぇ~」って泣きじゃくる声が一段と高まりましたけど、無視して続けると、
ちょっと、気持が横へそれたみたいです。たぶん、いじわるっ子たちのお顔を思いうかべているのでしょう。
別に、「顔」でなくてもいいんですけど、のんびり娘がひどく劣等感を感じないでいられるもので気をそらしたいので、こんな風な話に持っていきます。
冷静な私の目から見ると、顔の造作はそこそこ整っていても、姿勢の悪さとか動きの鈍さとかを引かなきゃならないから「3番目」っていうのは言いすぎなんですけどね、まっ、最大のコンプレックスから気持ちがそれればいいんですわ。
「あなたが悲しいのもわかるわ。誰でも1番弱い部分をつかれると、グサッとくるし、なんだかじぶんが悪いところだらけのような気がするもんね。ママだってさぁ、こぉんなに美人なのに、若い頃は足が太くってねぇ・・それを言われるとものすごく傷付いたもんよ。」
こんな風にいうとね。のんびり娘、泣きじゃくったものか、吹き出すべきか悩むらしくて「ぐほっ」というような音を出してるわ。
「ママより、足の太い人いるよ。だから、ママ大丈夫だよ。」
と、泣きながらも母に同情してくれる。
「そうよ。言われた時はグサッと来て、そういうことに気がつかなくなっちゃうけど、
そうなのよ。ママは確かに足が太かったけど、美人なんだからそんなの気にしなくてよかったのよね。」
と、この辺で、のんびり娘かなり復活。
「ママ、それなんか言いすぎじゃないの」
と、突っ込む余裕が出てきたわね。
「ね、あなたから見ても、お顔や足とかで「ちょっと心配だな」っていうお友達いるでしょ。大体、いじわるを言う子は意地悪な顔になってるしねぇ。でもさ、そういう子たちに『ブス!』とか『デブ!』とかいう?言わないでしょ。言おうとも思わないでしょ。
だからね、あなたの方がいじわるな子たちより人間が上ってことよ。」
この辺りで、ほぼ泣き止みました。
「だいたいさぁ、茶道なんて普通の中学校ではやってないよ。お茶をたてられる中学3年生なんて滅多にいないんだから、出来ないからってどうということないわ。それより顔でしょう(と、あえて軽く持っていきます)」
「でも、私やりたいのにできない。お茶混ぜるのもできないし・・・」
と、あらあらまた戻っちゃいそう。
「そうかぁ、それはママが悪かったな。ケーキ作る時もねぇ電動じゃなくて手で回すかき混ぜ器を使って練習しておけばよかったねぇ。でもさ、あなたは一番苦手なことをここまで頑張って伸ばしてきたんだから、大丈夫。そんなの必ず出来るようになるよ。」
「わたしね、料理とかも作れるようになりたいの。でもリンゴの皮もうまく剥けないし、危ないやり方になるでしょ、わたし。」
「そうだけどね。でもさ、前は料理の作り方が書いてあっても読めなかったのよ。それが今はちゃんと読めるんだから(2,3日前に調理実習のプリントを二人で読んでいたところでしたの)、いろんな料理も作れるよ。おばあちゃん家でしこんでもらってもいいしね。」
「わたし、そんなのも読めなかったの?」
「だよ。中1ぐらいまではいろいろ読めなかったわよ。」
なんて会話も入ります。
で、その後、彼女の当面のお悩みの解決策の提案です。
「かき混ぜ」に関しては、彼女の手首の動きの硬さを思うと一朝一夕には解決できませんけど、右左の見極めに関しては、私自身がやっているとっておきの方法がありますから伝授します。
「あのね、『お茶碗持つ方』なんて言われてもさ、そんなところで茶碗持つ真似なんてできないでしょ(緊張しやすいのんびり娘はその時点でもう逆に手を動かしたりするのです)。だからママはね、ここを触るのよ。」
と、右手親指の鉛筆だこ(私は鉛筆の持ち方に癖があるので中指脇よりもむしろ親指の腹が硬くなります)を触らせます。
「あぁ、硬い。」
「でしょ。鉛筆が当たって硬くなったものだから、左にはないの。だからね、こうしてさりげなく触って確かめてから『右!』って出すのよ。これなら誰にもわからないでしょ。」
「でも、私、鉛筆の持ち方が悪いからそういうのないよ。」
そう、のんびり娘の指にはタコがないのです。ところがなんとも運のよいことに(か??)、
現在彼女の右手の甲にはお誂え向きのガングリオンが・・。
ガングリオンって、ゼリーみたいなものが溜まって小さなこぶのようになったものなんです。外科に行くと、注射針を刺して小さな穴をあけ、そこから中身を絞りだして直してくれるんですけど、しばらくするとまた同じところに溜まったりもするんですね。
いたがりののんびり娘、一度やってもらった後はなかなか医者に行こうとしないので、2回目のガングリオンが成長し、今も右手の甲に小さなこぶをつけているのです。
今回はこれが役に立ちました。
「そっかぁ、これがあるのが右なんだ。」
「そうよ。ほら、右あげて」
「はい、左あげて」・・・
と、試してみると迷いなく間違いなく反応できます。
そのあとは、歩く練習。
何度か歩かせてみると、彼女の踏み出す足は「右」ということも確認できたので、
「緊張しなければ、普通は右足から出てるからね。」
と教えてあげた後。
「はい右足から。」
「次は左足から。」・・・
と、これも何度か練習すると、迷いなく間違いなくできるようになりました。
のんびり娘の心の負担は一つ軽くなったようで、にこにこになって一件落着でした。
うまくいったので、結構満足感のある出来事ではありましたが、
考えてみれば「面倒なこっちゃ」ですわね。
「そんなのどうでもいいじゃん」
で済ませられる子なら、1秒もかからないことだし、
対策を自分で考える子なら親の手間は要らないんですもんね。
左右の感覚は、最後の方に出来る空間感覚で、体で感じる左右と言語の左右がマッチするのは結構難しいらしいです。
私も小さい頃、自分の手のほくろを目印にして左右を区別していたので、seiさんのお話にそうそう!と思ったけど、目印が娘はないんですよね~とっさだとまだ間違ってるので、一応、
空間認知の訓練を地道にやっています・・
見た目については、うちの娘も顔立ちは整っている方だと思います(笑)
服選びには本人はうるさく、結構センスも悪くないと思います、が!!!いつも着崩れていたり、髪がぼさぼさになっちゃったり、習字や図工や給食の後は顔や服がとんでもなく汚れていたり(涙)
高学年なのでもの凄く目立つようになってきました。
他の子だと、低学年でも自分で気がついたり、周りに言われてなおしたり、なおしてもらったりなんでしょうけどね。
いろんな成長面を感じる反面、ズバリ見た目の差が最近物凄く気になります。
余談ですが、ガングリオン!私も20年近くあって、大きくなっては破裂して、また大きくなってを繰り返してましたが、ある日つぶれてあっけなく治りました。
私の知る限り、出来てる人はみんな女性でしたけど結構みんな出来るものなんですね~
『「未来がないってさぁ、そりゃぁ、頭は悪いかもしれないけどさ(最近は、こういう言葉をするっというようになりました。受け止める側の力が育ってきているのを感じてのことです。以前は、こういう言葉は決して使えなかったですよ)』
そういう時期が来るんですよね。先週どの位反発してくるかな?と少しきつめに怒ってみたら、『ごめんね、ぼく頑張るから!』とシクシク泣いてまだまだ『回復法』は考えなければならないなと反省しました。
昨年末ちょっとお友達とあって、今、息子はクラスのお友達に少し追いつけない様子でクラスで自分の居場所を一生懸命探している様子なんです。seiさんのブログを参考に私なりにも模索して前向きに少しでも進めるように今、頑張ってる所です。
『ガングリオン』私も右手の中指の下にできて2度注射で治療してもらいました。母もそうですし、女性に多いのかしれないんですね。
まだまだ、寒い日が続きますのでお体に気をつけてお過ごしください。
結局、「意識する」ということがないと身につかないものなんでしょうね。
「髪ぼさぼさ」とか「着崩れる」なんていうのも、結局「自分の姿を他人の目線で見る」つまり「鏡を見て自分をチェックする」という感覚が持てないからでしょうかね。
やんちゃな妹ちゃんは小さい頃から鏡を覗きこむのが好きでしたけど、のんびり娘はなかなか鏡を見るようになりませんでした。
今でも、同年代の女の子に比べると本当にたまにしか鏡を見ていないなと思います。
「鏡」は自分を他人の目線で見せてくれるもの。もっと見てくれるようになるといいのになぁと思っていますが、これも強制するのは難しいので・・・。
ガングリオン、私も指の先と手首にできました。手首のは一度は針で、もう一度は自然と無くなってました。
のんびり娘の傷口が大きくて、苦しい時期は、鬼母といえども、何をどう伝えるかにかなり気を使いました。
息子さんが、学校でも気持ちよく過ごせるような居場所を早く見つけられるといいですね。
でも、もし今見つけられなくったって大丈夫。
中学校、高校、大学または専門学校または社会と、自分の世界は広がって行って、気の合う人を見つけられる確率も増えていくし、周囲の子供も少しずつ成長して、自分と違う人間の面白さを感じたりする力も伸びていく。
だから今は、友達を作る練習の時期。練習だから失敗も成功のもとになる。
と、私の二人の娘にはこんなことを話し続けてきました。今も話し続けています。