旅路 とまりぎ

いくつかのグループでのできごと(主に旅)

蘆花恒春園

2012年06月28日 | 公園

     蘆花恒春園

                              とまりぎ

 置いてある説明書きによると、『徳富蘆花は明治40年2月27日、当時の東京市青山から東京府北多摩郡千歳村粕谷に移り住み、ここを恒春園と名づけ、自ら「美的百姓」と称して晴耕雨読の生活を送りました。昭和2年9月18日に蘆花は療養先の群馬県伊香保で亡くなりました。

 その遺骸は恒春園に帰り、村人総出でクヌギ林の一角に手厚く埋葬されています。蘆花没後10周年に際し、蘆花夫人愛子さんは東京市(東京都)に、園内の土地、建物、蘆花の遺品一切を蘆花を偲ぶ公園として公開して欲しいと寄付されました。市では直ちに整備のうえ、昭和13年2月27日東京市蘆花恒春園として開園しました。昭和22年2月20日、愛子夫人は熱海で亡くなり、恒春園に蘆花と一緒に埋葬されています。

 昭和61年3月10日には、恒春園区域(負債の墓地を含む)約1.38ヘクタールが東京都指定史跡「徳富蘆花旧宅」として指定されました。武蔵野の面影を残す恒春園区域は、蘆花が暮らした当時の生活を偲ぶ貴重な文化遺産です。

 さらに恒春園区域に隣接する開放公園区域、花の丘区域、草地広場、ドッグランなどが開園しています。』とある。

       

 南にある花の丘にある花たち。あじさいの種類でアナベルが毎年咲く。

                

 恒春園区域の母屋へ入り、裏の愛子夫人居宅を覗く。

        

 母屋と梅花書屋、秋水書院は長い廊下で繋がっていて、この廊下に特色がある。

          

 梅花書屋に架かる「梅花書屋」の書と説明書き。

 書についてはあまりうまくない。

               

 廊下には板と板の隙間から下の地面がいたるところで見えるから、家の中ではあるが、外と同じような温度だったことだろう。冬の寒さを、並んだ多くの火鉢が物語っている。

 

 

 

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