旅路 とまりぎ

いくつかのグループでのできごと(主に旅)

東京下町、範囲どこまで

2012年06月16日 | 

   東京下町、範囲どこまで

                            とまりぎ

 東京スカイツリーができて、東京の下町に人出が多くなった。

 下町に定義はない。17世紀に下町という言葉が表れ、文字通り低地という意味で、下町には町人、高台の山の手には武士が住んでいた。

 19世紀の文政期には、町人が「将軍さまのお膝元との思いが下町の誇りになった」ようだ。江戸城の東側、隅田川まで。北は神田川、南は新橋までだった。ということはほとんど中央区だ。

 明治時代には、台東区の下谷、浅草も下町になった。

 大正時代の関東大震災で、墨田区や江東区に移り住む人が多くなると、荒川の流れまでのこの二区までが下町と呼ばれた。

 戦後、古くからの下町がオフィス街になると人はさらに東へ移り、葛飾区、荒川区、足立区、江戸川区、もうひとつ大田区も下町と呼ばれるようになった。おおよそ、京浜東北線の東側だ。(日経新聞による)もっと知るには、江戸東京博物館の常設展示がおすすめとある。

 ーーーー直感で使ってきた「下町」だが、おおよそ合っていた。最近の北区や品川区は一部が入ると思うが、違わないだろう。

 利根川、江戸川、荒川、隅田川と自然の川も運河によってつなげて、江戸まで水運による物流の大動脈だった。低地を流れる川があるところは、関東平野のかなり奥までが物資の移動範囲だったと思われる。

 

 

 

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