この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
吉母浦(よしもうら)は島しょ部を除けば本州の最西端、西は響灘に面する。
地名の由来について、藻を集めることから「寄せ藻」という言葉ができ、後に吉母に転
訛したという。(歩行約2.3km)
JR下関駅からサンデンバス吉母港行きがあるが、毘沙ノ鼻に立ち寄るため車で訪れる。
バス終点の吉母港バス停付近は「地元駐車場」とされているが、広い空地の片隅に駐車さ
せてもらう。
正面に黒嶋観音堂。
漁業の守護神であるゑびす神社。
金比羅大権現の鳥居と頂上に黒嶋観音堂。
沖合いに浮かぶ蓋井島。
お堂は阿波国第1番・霊山寺とされ、釈迦如来の地蔵尊が祀られている。山手側は黒嶋
観音堂への参道。
参道の途中には四国八十八ヶ所霊場の石碑が並ぶ。
観音堂が建つ突端部の小高い丘は、今は陸続きだが、名のとおり昔は島であった。西光
寺の飛地境内であり、奈良期の739(天平11)年行基が開創したとされ、十一面観音の秘
像を本尊とする。
境内から見る吉母の町並み。
吉母漁港は下関市が管理する地元漁業者を主体とする第1種漁港で、漁業者は一本釣り、
採貝を主な漁法としている。(栽培センター付近より)
漁村集落特有の1~2軒ごとに海への通路が設けてある。
この地に「産堂(うぶどう)」と呼ばれる祠堂があったが、由来については諸説あるようだ
が、地元ではこの祠の祭神を彦火火出見尊(ひこほほでのみこと)として祀ってきたという。
1908(明治41)年若宮神社に合祀されて、跡地に「胞塚(えなづか)」のみが現存すると
いう。
かってのメインストリートに出る。
郵便局付近。
どういう通りであったかはわからないが、商店と民家が混在していたものと思われる。
1874(明治7)年吉母小学校は西光寺を教室にして開校。その後、名称変更を経て現校
名となる。ハマユウの育成に取り組むことで知られていたが、今もされているか否かは知
り得なかった。
古塀の先で集落は途切れる。
草場川の川辺で白鷺が一羽佇むほど静かである。
海の家前が吉母海水浴場。
これといった見処があるわけではないが、本州最西端の集落ということで歩いてみた。
毘沙の鼻まではポイントに案内があってスムーズに行くことができる。岬には駐車場と
トイレも完備され観光地化されている。
展望広場まではフラットな遊歩道が設けてある。
海抜120mの広場には「本州最西端の地」と記された灯台型モニュメントがあり、そ
の先に展望デッキが設置されている。正面に蓋井島が横たわるが、あとは大海原が広がっ
ている。
東屋の先から見る断崖の海岸線。