ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

下関市吉母は本州最西端の集落

2021年11月11日 | 山口県下関市

               
                        この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         吉母浦(よしもうら)は島しょ部を除けば本州の最西端、西は響灘に面する。
         地名の由来について、藻を集めることから「寄せ藻」という言葉ができ、後に吉母に転
        訛したという。(歩行約2.3km)

        
         JR下関駅からサンデンバス吉母港行きがあるが、毘沙ノ鼻に立ち寄るため車で訪れる。  
        バス終点の吉母港バス停付近は「地元駐車場」とされているが、広い空地の片隅に駐車さ
        せてもらう。

        
         正面に黒嶋観音堂。

        
         漁業の守護神であるゑびす神社。

        
         金比羅大権現の鳥居と頂上に黒嶋観音堂。

        
         沖合いに浮かぶ蓋井島。

        
         お堂は阿波国第1番・霊山寺とされ、釈迦如来の地蔵尊が祀られている。山手側は黒嶋
        観音堂への参道。

        
         参道の途中には四国八十八ヶ所霊場の石碑が並ぶ。

        
         観音堂が建つ突端部の小高い丘は、今は陸続きだが、名のとおり昔は島であった。西光
        寺の飛地境内であり、奈良期の739(天平11)年行基が開創したとされ、十一面観音の秘
        像を本尊とする。

        
         境内から見る吉母の町並み。

        
         吉母漁港は下関市が管理する地元漁業者を主体とする第1種漁港で、漁業者は一本釣り、
        採貝を主な漁法としている。(栽培センター付近より) 

        
        
         漁村集落特有の1~2軒ごとに海への通路が設けてある。

        
         この地に「産堂(うぶどう)」と呼ばれる祠堂があったが、由来については諸説あるようだ
        が、地元ではこの祠の祭神を彦火火出見尊(ひこほほでのみこと)として祀ってきたという。
         1908(明治41)年若宮神社に合祀されて、跡地に「胞塚(えなづか)」のみが現存すると
        いう。

        
         かってのメインストリートに出る。

        
         郵便局付近。

        
         どういう通りであったかはわからないが、商店と民家が混在していたものと思われる。

             
         1874(明治7)年吉母小学校は西光寺を教室にして開校。その後、名称変更を経て現校
        名となる。ハマユウの育成に取り組むことで知られていたが、今もされているか否かは

        り得なかった。

        
         古塀の先で集落は途切れる。 

        
         草場川の川辺で白鷺が一羽佇むほど静かである。

        
         海の家前が吉母海水浴場。

        
         これといった見処があるわけではないが、本州最西端の集落ということで歩いてみた。

        
         毘沙の鼻まではポイントに案内があってスムーズに行くことができる。岬には駐車場と
        トイレも完備され観光地化されている。

        
         展望広場まではフラットな遊歩道が設けてある。

        
         海抜120mの広場には「本州最西端の地」と記された灯台型モニュメントがあり、そ
        の先に展望デッキが設置されている。正面に蓋井島が横たわるが、あとは大海原が広がっ
        ている。 

        
         東屋の先から見る断崖の海岸線。


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