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ぶら~と散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

下関市豊浦町湯玉‥大敷網漁業の発祥地

2021年10月18日 | 山口県下関市

                
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         湯玉(ゆたま)は響灘に突き出た鯖釣山の東南麓に位置する。(歩行約3.1km)

        
         JR湯玉駅は、1925(大正14)年小串ー滝部間が開通すると同時に開業する。相対式
        ホーム2面2線を有し、列車の行き違い可能駅である。 

        
         2007(平成19)年海側に駅舎が改築され、湯玉駅薬局と駅改札口が同居している。 

        
         駅前を左折すると川嶋神社の鳥居があり、参道を山陰本線が横断しているが、道なりに
        進めば近くに市立双葉保育園がある。
         伝えによると、この宇賀の里がまだ開けていない頃、先祖が舟で湯玉の海岸にたどり着
        き、流れ出る河の三角州である川島に上陸したという。  
         「お着き場(御忌場)」というのは、鳥居前から鉄道付近とされ、その付近は海の入江で
        あったと思われる。 

        
         川嶋神社の創建年代は不詳であるが、海上守護の神として地元漁民の崇敬が篤く、地下
        (じげ)上申絵図には「権現社」とあるが、祭神からみると白山権現信仰とのつながりがみら
        れるとのこと。

        
         鳥居まで戻って直進すると、常夜灯のある海岸線に出る。

        
         キラキラ輝く響灘の対岸は、室津と蓋井島が重なり合う。

        
         消波ブロックが並ぶ海岸線の先に鯖釣山。

        
         海岸線を歩く。

        
         宇賀漁港は、1959(昭和34)年から9年の歳月をかけて整備が行われた。(竣工記念碑)

        
         豊漁の神「えびす神」と海上守護の神「金刀比羅宮」が祀られている。

        
         湯玉浦は大敷網漁業発祥の地とされ、1656(明暦2)年山本惣左衛門が回遊している魚
        の群れを見て考案したという漁法である。魚の通り道に網を張っておくという定置網で、
        魚が入りやすい反面、逃げやすい面もあったので入口付近に櫓を立てて見張っていたとい
        う。 

        
         第1種漁港で採貝を主とするが、この浦が漁業集落を形成した時期は不明とのこと。

        
         海岸線までは石段で結ばれている。

        
         民家は石積みの上に建つが海岸線だったと思われる。

        
         左の道が赤間関街道で、湯玉浦は海岸近くを通っていたようだが、護岸工事等で現在は
        その道を見ることはできない。

        
         善念寺から見る湯玉の町並み。

        
         1615(元和元)年開基の善念寺(浄土宗)は、寺の位置が少しづつ移動して、現在地の再
        建は1777(安永6)年とされる。1848(嘉永元)年9月の湯玉浦大火で山門が類焼し、3
        年後に再建されたものである。

        
        
         長い1本道が続くが、両側の民家は更新されて見るべきものはない。 


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