この地図は国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図を複製したものである。(承認番号 令元情複 第546号)
中小川(なかこがわ)は四方を山に囲まれ、中央部を田万川が横切り、これに沿って水田が
開け、主要県道沿いに民家が集中する。
明治時代になると上小川東分、上小川西分、中小川、下小川の4ヶ村に分けられたが、
1889(明治22)年の町村制施行により、再び1村になったという歴史を持つ。この地
域の中心は中小川のようで、農協、商店、酒造場などがある。(歩行約2㎞)
田万川地域生活バスが運行されているが、便数が少ないため車利用とし、中学校前バス
停(学校は2003年統合される)付近の路肩に駐車する。
この地に奈古高等学校小川分校があったが、1969(昭和44)年に閉校する。
2013(平成25)年7月の豪雨災害の爪痕が残り、原中川を中心に復旧工事が行われて
いる。(旧小川郵便局付近)
中心部には日常生活を支える農協の小川生活センターがある。
生活センターと原中川の間に“東洋美人”の銘柄で知られる澄川酒造場がある。銘柄名
は亡き妻を想い、初代当主が名付けたとされる。
この酒造場も豪雨災害で壊滅的な被害を受けたが、3階建ての新酒蔵も完成し復興され
ている。
1890(明治23)年に開庁した旧小川村役場の建物が老朽化したため、1932(昭和7)
年に新築された。
1995(平成7)年外観の修理が行われて新旧入り乱れた外観となっているが、寄棟屋根
の中央には腰折れの切妻屋根が設けられている。木造モルタル塗りの建物には人造洗い出
しの腰壁、玄関ポーチにタイルを使用するなどモダンな造りとなっている。
正面中央上に「小川」の村章が取りつけてある。
1・2階の窓を連続して囲む窓枠が設けられ、窓枠内部の胴部分には装飾が施されてい
る。
張り出し部分の右側は村長室と応接間、左側は戸籍など重要書類を保管する記録庫。
1956(昭和31)年江崎町と合併し田万川町になった後は、小川支所して使用された。
1978(昭和53)年からは阿北農協本所として使用されたが、現在は傷みがひどく使用
されていない。
旧村役場の裏手に小さな社。
地元の方によると、旧中小川小学校校舎だったと思うが定かでない。保育園として使用
されていたが、今は第1区公会堂とのことであった。
改造されて面影は失われているが、廊下と教室だった雰囲気が残る。
生活センター前が三明(みあけ)バス停。
第1区公会堂の隣にある民家の土蔵は、置き屋根方式ではないようだ。
警察派出所とJA給油所を過ごすと県道に合わす。ここにも「三明バス停」があるが、
災害復旧工事のための臨時バス停のようだ。
小川小学校前を右折して田万川を渡る。
2級河川の田万川は萩市と阿武町の境を源とし、多くの支流を集めながら日本海に注い
でいる。
山裾に沿って民家が並ぶ。
田万川右岸は水田のみである。
地名の由来について風土注進案は、「村名について格別な言い伝えもないが、大河があ
るから出たものか」とする。阿武郡の大河というのは萩の川で、この田万川はそれに次ぐ
小川の意からと考えられるとのこと。
周回して駐車地に戻る。