ぶら~と散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

宇部市棚井‥千林尼の棚井山田石畳道

2025年02月24日 | 山口県宇部市

               
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製加工したものである。
         千林尼(せんりんに)の棚井山田石畳道は、1689(元禄2)年萩藩の船木宰判が現在の宇部
        市船木に置かれ、ここから宇部方面に通じる主要な道路としてつくられた。道は山道で険
        しい所もあるが、往来の人馬はもとより、この道を利用して、勘場に集められた米が棚井
        の厚東川船着場まで運ばれた。
         慶応年間(1866年前後)に、千林尼が托鉢を重ねて浄財を集め、この道の難所に石を
        敷き詰めて、雨水や湧き水によって生じるぬかるみや、路面の土の流失を防いだ。石畳は
        全長4kmの中に5ヶ所残されている。(歩行約4.4km、途中に🚻なし) 

        
         JR厚東駅から宇部市営バス八王子行き約10分、霜降山登山口で下車する。押しボタ
        ン信号機で県道215号線(宇部停車場線)を横断する。 

        
         横断すると川の傍に道標がある。

        
         川に沿って上流へ向かう。 

        
         Y字路に道標。

        
         やがて舗装路分岐に至るが、ここが石畳道の入口である。車の場合は電柱の右付近に駐
        車可能のようだ。(バス停から約1.2km)

        
         入口には説明と案内図があり、山田入口まで1.64kmと記されている。

        
         土道に入るとすぐに第1石畳。長さ23.52m、幅0.41~0.89mとある。

        
         右手下を「お駒堤」に至る道が並行する。

        
         車道を横断すると第2石畳への道標。

        
         第2石畳の長さは約8m、幅は1.1m。

        
         落葉の下が見えないので歩きづらい時期ではある。

        
        
         コンクリート橋を渡ると上り坂に入る。

        
         登り終えると溜池前に出る。 

        
         案内図には「お駒つつみ」と記されていたが、宇部市の溜池マップによると板ヶ迫溜池
        とされ、貯水量は33,300㎥とのこと。

        
         その先の標柱には、「この溜池は“お駒堤”と呼ばれ、紺碧の水をたたえた美しい溜池で、
        昔は旅人たちの休憩地でした」とある。

        
        
         溜池の畔に「醴泉(れいせん)入口」の標柱があり、十数m入ると案内板の下に泉源がある。      
        醴は「あまざけ」と読み、甘酒のような甘みのある泉とのことらしい。
         この峠道を通過した人々は、必ずこの水で喉を潤したという。一杯いただこうと思った
        が、落葉等が堆積していたので残念する。

        
        
         第3の石畳は長さ47m。

        
         歩きやすく日当たりのよい場所である。
         千林尼は宇部市西岐波の大沢で生まれ、16歳で結婚するがすぐに離婚して、20歳前
        後で仏門に入る。1840(天保11)年頃に常盤湖のほとりに庵を構え、1857(安政4)
        に船木の逢坂観音堂の堂主となる。晩年は厚狭(吉部田)の玉泉庵に移り、1869(明治2)
        年当庵にて60年の生涯を終える。
         悪路を石畳にするなど社会活動に貢献したため、女性ボランティア活動の先駆者ともい
        われている。墓は山陽小野田市郡の洞玄寺にある。

        
         どうも猪専用のお駒温泉(ぬた場)のようで、体表に付いたダニなどの寄生虫や汚れを落
        とすための場所のようだ。

        
         長さ20mの第4石畳。

        
         道祖神は、村境、辻、峠などの道端にあって、外からの疫病や悪霊を防ぐ神であるが、
        後に縁結びの神、旅行安全の神ともされる。道行く人を災いから守る神に「賽(さい)の神」
        と呼ばれる神があるが、道祖神と習合して道祖神として扱われているようだ。
         昔、ここを通る人は道祖神に供物をしたが、供物がない時には、道端の小石を供えたと
        いう。

        
         道祖峠は旧宇部市と旧楠町の境界だったようだ。 

        
         下り終えると歩きやすい平坦道。

        
         沼を左手に見ながら進むと、右手の標柱は中国電力の送電鉄塔用のものである。

        
         忽然とコンクリート造の建物が現われるが、旧楠ごみ処理場である。

        
         1889(明治22)年町村制施行により、近世以来の船木村がそのまま自治体を形成。1
        917(大正6)年に町制施行により舩(船)木町とり、昭和の大合併で楠町となった。
         境界標と思われるが、設置地点は小野田・宇部との境界ではないが、当時のことはわか
        らないのでやり過ごす。

        
        
         第5石畳は94.95mと長い。

        
         山田集落に近くなると庚申塚がある。千支(えと)の「かえるのさる」のことで、60日毎
        に回ってくる。人の体には三尸(さんし)と呼ばれる三匹の虫が棲んでいて、庚申の夜に人が
        眠ると身体から抜けて天にのぼり、天帝にその人の悪事を報告するとされる。
         人が起きている間は、三尸虫は抜け出ることができないので、人は庚申の夜に集まり起
        きていた。この庚申待ちを3年、18回するすると三尸虫は衰退し、役目を果たせなくな
        ると信じられていた。庚申塚は成就した折に供養として建てられたという。

        
        
         山田側の入口だが、棚井入口と船木鉄道本社バス停の中間地点である。

        
         山田集落を下る。

        
        
         UBE三菱セメント㈱の宇部伊佐専用道路と、新幹線の船木第一架道橋を潜る。

        
         船木の町並みが見えてくる。

        
         途中に瑞松庵の末寺・興福寺前を過ごす。 

        
         船木鉄道本社前バス停よりJR宇部駅行きに乗車する。