goo blog サービス終了のお知らせ 

ぶら~と散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

田布施町麻郷‥八海橋から国木田独歩寓居跡と桜並木

2025年04月04日 | 山口県上関・平生・田布施町

                
                 この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製加工したものである。
         麻郷(おごう)は田布施川右岸に位置する。地名由来について風土注進案は、往古、麻を多
        く産し帝都へ献上したことによると伝えると記す。(歩行約7.7㎞) 

        
         JR光駅前から防長バス柳井駅行き約40分、新八海橋手前の八海(やかい)バス停で下車
        する。

        
        
         八海橋は長さ118.9mのRC橋で、新八海橋の上流に架橋されており、一部が欠落し
        て通行ができないが今も残されている。
         1951(昭和26)年に当地で瓦製造業を営む老夫婦が殺害された事件が起こる。この中
        で単独犯だったが拷問により4名の名が挙がることになる。
         約17年9ヶ月の長きに渡り冤罪事件としての戦いが始まり、映画「真昼の暗黒(1956)」
        では、一人の被告の家族が被害者に悔みに行くシーンがあるが、母親は子供を信じて橋の
        途中で「やってもいないもんが、どうして謝りなんか」という衝撃的なシーンとして橋が
        写し出された。

        
         この山の一画に天神社がある。

        
         左手に廻り込み階段を上がって行くと、鳥居には文字が刻まれていたようだが判読不能
        である。

        
         屋根瓦が存在するので建物があったようだが、詳細は知り得なかった。灯籠には明治3
        6年(1903)の刻字がみえる。

        
         田布施川に架かる「さくら橋」と「桜」がデザインされた田布施町のマンホール蓋。

        
         国道188号線を横断して田布施川河口へ向かう。

        
         台座に法界と刻まれた地蔵尊。(八海区公会堂前) 

        
         しばらくは南進する。

        
         鳥越交差点で国道を横断する。

        
         平田川の左岸道。

        
         光泉寺(真宗)の寺伝によると、1677(延宝5)年恵雲(長曾我部宮内少輔の家臣・工藤美
        濃)が、この地に蓮輪堂という小庵を建立したことに始まるという。
         寺社由来は、1625(寛永2)年の創建とし、開基を恵雲とする。寺院沿革史は1677
        年に西本願寺寂如上人から、光専寺(光泉寺と改む)の寺号と阿弥陀の木仏を給わったとす
        る。

        
         平田川まで引き返して麻郷神社へ向かう。

        
        
         麻郷神社の社伝によると、1866(慶応2)年上関宰判内の明治維新における戦死者を祀
        るため惣田山招魂場が設けられる。のち惣田山招魂社、麻郷
護国神社と称したが、戦後の
        1947(昭和22)年麻郷神社となる。

        
         本殿の裏手に、1868(明治元)年1月4日福島城下にて仙台・福島藩士により惨殺され
        た世良修蔵などの霊標が並ぶ。

        
         垰越えをして高塔地区に入る。

        
         国木田独歩(1871-1908)は国木田専八の三男・哲夫として千葉県銚子で生まれる。(独
        歩は雅号 )
         父が裁判所に勤めていたため、一家は岩国・広島・山口・萩などへ転住する。17歳で
        上京し、東京専門学校英語専修科に入学したが、20歳の時に校長の排斥運動を企てて退
        学させられる。父が柳井津裁判所平生出張所に勤務した関係で、一家は吉見家に居住して
        いたが、そこに仮寓して修養につとめるとともに、多感重厚な詩情を培う。(独歩仮寓吉
        見家跡への案内) 

        
         吉見家一帯は、1942(昭和17)年燃料倉庫として接収されて往時の面影はない。

        
         高塔公会堂と中本酒店のT字路を左折する。

        
         左折すると左手にあった麻郷中学校は、1947(昭和22)年麻郷小学校の教室を借りて
        開校する。翌年に光海軍工廠の古材を運搬して、この地に新校舎が完成して移転する。
         その間、台風の影響を受けて改修の連続だったようだが、1958(昭和33)年麻郷、田
        布施、麻里府、城南の4校が統合されて周陽(のち田布施)中学校となる。 

        
         最短距離の農道を利用しようとしたが、圃場整備により通行止めとなっていた。

        
        
         浮島神社の社伝によると、1693(元禄6)年7月に安芸国厳島神社より分霊を勧請した
        と伝える。寺社由来は川添真宮大明神として、1703(元禄16)年8月勧請とする。18
        71(明治4)年に真宮大明神を浮島神社と改称し、高松八幡宮の末社となる。
         真宮大明神は「ひねきり明神」とも呼ばれ、祭りの夜に娘の尻を捻ると縁づきが早いと
        の風習があったが、昭和の初め頃に廃されたという。 

        
         境内には、昔、若者が力を競った石を保存するため、句碑にした「力石の句碑」がある。
                “松の花 降りかかる この石 かつぎ上ぐ”
         自由律俳人・江良碧松(へきしょう)の句で、種田山頭火・久保白船と共に周防の三羽ガラス
        の一人とされる。

        
         田布施川右岸に出て上流へ向かう。

        
         関戸橋から眺める桜並木。

        
        
        
         田布施川には約350本を超える桜があり、1.5㎞にわたって桜並木を楽しむことがで
        きる。

        
         地蔵尊に一礼して田布施駅に出る。