いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

「神仏分離令と放生会」・・・いわき地域学會・市民講座が本日開催

2019-02-23 10:13:31 | いわき地域学會

いわき市アリオスに飾られています。


本日23日(土)午後2時から
いわき市文化センターにて
いわき地域学會・市民講座として

「神仏分離令と放生会」

講師は
山名隆弘 博士(いわき地域学會相談役)
が行われます。

戊辰戦争150周年で
昨年は
いろいろ講演会等が行われましたが、
同時期の
今から150年前(明治元年)の神仏分離令は
どのように断行されたのか。

いわき地方の例を取り上げ、
飯野八幡宮にみる
☆放生会はどのような行事だったのか?
☆なぜ、流鏑馬は残ったのか?
☆鷹狩の鷹・キヤコン(口琴)も神仏習合の姿という
等を
講演されますので
貴重な講演で、楽しみです。


日経新聞の今年2月2日掲載。
本郷和人さんの連載の日本史ひと模様から
廃仏毀釈のことが書かれています。
以前に
なるほど歴史塾で
半年以上かけて学んだ
愚庵さんが書かれた
順礼(巡礼)日記でも
廃仏毀釈後の荒れたお寺の記述を思い出します。


今年の7月27日(土)
新舞子ハイツにて
鎮魂・慰霊の伝統行事
放生会 再考!!
 一般社団法人 國學院大學院友会「公益事業」
が行われます。
(仮)「相撲と神事」
講師は
元大相撲で活躍された
大至さんです

楽しみですね。
早速予定に入れました!!

 

 

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灯台豆知識・・・「喜びも悲しみも幾歳月」の上映会・・・イワキノスタルジックシアター第3弾・・・を観る・NO4

2019-01-17 08:46:18 | いわき地域学會

「喜びも悲しみも幾歳月」の上映会・・・イワキノスタルジックシアター第3弾・・・を観る・NO4
灯台豆知識について3点ご紹介されました。



灯台と灯台守の豆知識でした。
今までわからないことがよくわかりました!!

いろいろな灯台があるのに驚きました!!

上映にあたり
大変だったと思いますが
多くの市民がご覧になりました。
ありがとうございました。

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關寛斎のいわき時代・・・いわき地域学會市民講座より

2016-09-17 17:09:33 | いわき地域学會

關内幸介先生の講演風景。
今日で319回の市民講座。


晩年80歳後の關寛斎先生。


上段真ん中が關寛斎先生です。
39歳か。
戊辰戦争での病院解散後の撮影。


寛翁七福(くわんをうしちふく)です。
關寛斎「命の鍛錬」・・・明治37年から


今回、現代語訳された奥羽出張病院日記の記録。


今回、現代語訳された奥羽出張病院日記の記録。

いわき地域学會市民講座319回

關寛斎のいわき時代
~讀み解かれた奥羽出張病院病院日記~
講師は
關内 幸介先生でした。

今回は
奥羽出張病院病院日記
読み解かれたことにしぼって
より深く
経過とその意義
そして後世に伝えていくべき意義を話されました。

日本の近代分け目の戊辰戦争時
3か月という短い期間でしたが、
いわきにおける最初の西洋医学が
行われていたことが
より鮮やかに読み解かれました。
關内先生ありがとうございました。


以下は
3.11の前年の2010年4月6日に
当ブログに書いたものを再録してみました。

関 寛斎と奥羽出張病院・・・いわき地域学會市民講座

2010-04-06 10:54:54 | いわき地域学會
戊辰戦争時の「関 寛斎」です。


先日
いわき地域学會市民講座第259回に参加しました。

「関 寛斎と奥羽出張病院」

講師は、関内幸介先生でした。

戊辰戦争(1868年)で
政府軍の野戦病院院長としていわきに来た
関寛斎の奥羽出張病院はいかに活動し、いわきの人々は病院にいかに協力したのか
又、その生涯と思想について年表に沿って話していただきました。

戊辰戦争のいわきにつきましては、政府軍が平潟港に上陸して、
圧倒的武器の力により平城が落城して終了するわけです。
その時政府軍の野戦病院の院長が関寛斎で、
長崎で近代医術を学ぶだけでなく、
思想的にも素朴な人道主義者で、平潟に上陸するや否や
住民の間に蔓延していた腸チフスや戦傷者を
近代医術を用いて処理し、1万数千人を治療し、
合わせて地元の医師をも教育しました。

•戦傷の治療で洋医学の優越性を実証し洋医学の普及と向学心を刺激したと。
•敵味方の区別なく治療を行い、難民の医療に尽くしたと。
(その中でいわきの人々がいかに協力したのかを資料をもとに詳しく話されました。)
→「わが国の赤十字事業の先駆である」(石原明)といわれています。

関内先生は、
寛斎のその後、官位に着かず、43歳からの徳島で開業医となり町医者として生きた話。
さらに、72歳で、北海道で牧場開設をした事を話され、
最後は、トルストイの博愛主義にも似た、
農地解放のような行動で、孫に告訴されるというようになり、
明治天皇が崩御された2ヶ月後に服毒自殺 をされました。
明治天皇に殉じたのではといわれています。

このように、
気骨あふれた関寛斎の生き方は、

激しい生き方だったけれどもその時、その時、
一生懸命に生きて人の心(=ひとの誠)を実践した人
だったのではないだろうか。
そこに感動します。

関内先生は、

関寛斎の「寛翁七福(くわんをうしちふく)」として

一 災害に遭うとも驚かず
二 艱難に向かうとも悲しまず
三 貧しけれども飢えず
四 老て労を厭はず
五 衣薄くも寒からず
六 粗食にも味あり
七 雨漏りりても眠を妨げず
・・・命の鍛錬(明治37年)より
を紹介していただき、
その生き方のすごさを紹介し結びとされました。


なお、戊辰戦争で、
政府軍で平潟に上陸した医師群の中には、
作家の吉村昭さんが描いた
「白い航跡」(講談社文庫で上下各540円)の高木兼寛
・・・(後に、慈恵医大・海軍軍医総監・
「脚気」の原因を美食によるビタミン不足と解明した。
一方森鴎外はその時、陸軍軍医総監で、
脚気細菌説を取り、後に日露戦争で犠牲を出す結果となりました。

幕府軍の中には、
作家の吉村昭さんが描いた「暁の旅人」(講談社文庫で620円)
の松本順(佐藤良順)や高松凌雲などがいました。
記憶に残しておきたい事実です。

関内先生が上げた参考文献としまして、
•関寛斎(1868年)「奥羽出張病院日記」全5冊・・・いわき総合図書館所蔵
•関寛斎(1901年)「いのち乃洗濯」・・・・・・・・・・・・・自費出版
•司馬遼太郎(1976~1979)「胡蝶の夢」・・・・・・・・・朝日新聞
•松村亨(1977年)「近代の医術」・・・・・・・・・・・・・・いわき市史6巻「文化」
•白里研究グループ(1982年)「寛斎日記」・・・・・陸別町教育委員会
•戸石四郎(1982年)「関寛斎ー最後の蘭医」・・・三省堂
•関寛斎顕彰会(1986年)「関農場の考察」・・・・・山本書店
•松村病院史編集委員会(2003年)「病院前史第1部」・・・財団法人磐城経世回会
•戸石四郎(2005年)「津波とたたかった人ー浜口梧陵伝」・・新日本出版社
その他6点ほど参考文献として紹介いただきました。
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過去の災害の記録に学び、明日への備えとすることが大事・・・いわき地域学會市民講座から

2016-05-25 10:59:13 | いわき地域学會

いのしし宅前
県営アパートの空き地に雑草たちが咲き乱れる。


きれいなのですが、
この後が大変。
夏にかけ雑草が大きく、虫の繁殖が・・・・

 


吉田先生の丁寧なレジメP12は
貴重な参考に。


これらの地域新聞は
総合図書館HPの郷土資料のページから自宅にいても読めますと。


過去の災害の記録に学び、明日への備えとすることが大事
という
吉田先生の一言を
これからも参考にしたいです。

いわき地域學會第315回
講師は
吉田隆治 代表幹事

 関東大震災といわき
・・・主に地域新聞記事から
題し
先週の土曜日
久しぶりの市民講座参加となりました。
今年2回目かな。
参加者の顔ぶれも少し変化が。

 大正12年9月1日

関東大震災が発生した時のいわき地方の様子、
その後の経済的・社会的影響、余震などを主に当時の地域新聞などから
上記写真に一部載せた丁寧なレジメ(P12)で、
わかりやすく話していただきました。

過去の災害の記録に学び、
明日への備えとすることが大事
と吉田先生の言葉が印象に残りました。

また当時のいわきの地域新聞が
ITのおかげで、
総合図書館のHP・・・郷土資料のページから
簡単に
私たちが家にいながらパソコンから読めることを紹介され、
今回の講演は
それをもとに資料を作成された過程を話されました。

1)大正100年・・・大正期の年表から
   大正3年(1914年)第1次大戦勃発
   大正4年(1915年)日本が中国に21ヵ条要求
   大正4年3月21日、磐越東線小野新町・神俣・大越・船引駅開業
   大正6年(1917年)、磐越東線全線開通・・・約100年前なのですね。
   大正12年(1923年)9月1日、関東大震災
   大正14年(1925年)3月ラジオ放送開始、4月治安維持法公布、
                                    5月普通選挙交付

2)大正期の新聞・・・朝だけでなく夕刊も発行されるように。
   明治の政党機関紙から一般紙に変わり企業化されるように変化。

   関東大震災も大きく報道

3)東北からの視点・・・福島(小名浜)震度5、大阪震度4
   大曲駒村・・・東京灰燼記・・・関東大震災・・・1か月後に仙台より発行

4)いわきの地域新聞より
   当時の地域新聞から様々紹介され興味深かった。
   自分で地域新聞を見たくなりました。
   ・平郵便局にて端書(はがき)や印紙が払底
   ・震災の影響が平駅の数字に現る・・・貨物の発送が増して到着は減
   ・妖商検挙の鉄槌・・・今回の3.11でも見られた状況と同じ
   ・震災を当て込んで暴利商現る・・・砂糖を10倍に
   ・殖林苗木の生産激減暴利を
   ・東京へ行く大工を募集
   ・揮発油不足、石城地方困惑
   ・12月歳末の様子、委縮不振・・・呉服店などは閉店のやむなきに
   ・各炭鉱、活況を帯ぶ、需要激増して
   ・大正13年1月16日・・・再び帝都揺らぐ・・・余震か
     群馬県前橋市では関東大震災よりも大きかったと
  
5)関東大震災のルポの紹介
  ・竹久夢二・・・東京災難画信
  ・田山花袋・・・東京震災記
  ・川端康成、広津和郎、直木三十五


  あっという間に2時間が。

  吉田先生ありがとうございました。

 

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昭和20年8月15日・玉音放送後の記事は、当日午後配達されました!!

2015-08-24 09:07:03 | いわき地域学會

「昔かぼちゃ」のご先祖は敗戦時・玉音放送を
聴いていたのでしょうか。


昭和20年8月15日午後に配達された「朝日新聞」朝刊1面と2面。


「かぼちゃと防空ずきん」・・・いわきの戦中・戦後を中心にいわき地域學會発行
平成6年7月26日から
吉田先生は
玉音放送を聴いた方の28人の方を紹介されました。


書かれた方々の題名と名前。


書かれた方々の題名と名前。
いわき市民の方にはぜひ読んでほしいですね。
私は以前に読んで感心させられました。
山名先生も書かれています。

一昨日のいわき地域學會市民講座
「昭和20815日ラジオと新聞」と題し

吉田隆治(いわき地域學會代表幹事)先生が講演されました。
今年は
「戦後70年」節目の年といわれていますが、
昭和20年8月15日の「戦争終結を告げた玉音放送とその報道とは」
特に新聞の日付をキーワードに話され、
今までの自分の事実が覆されられた瞬間でした。

ちなみに
玉音放送を聴いた新聞報道は
放送を聴いた次の日に配達されたのでしょうか。
・・・816日に配達された新聞記事でしょうか?


いのししも8月16日に配達されていた
そう思っていましたが・・・・・

答えは
当日
すなわち815日午後に配達されたのです。
知っておられた方は
よく歴史を知っている方です。


朝日新聞「検証・昭和報道」取材班「新聞と「昭和」」・・・朝日新聞出版 2010年から

15日午後、朝日新聞の「朝刊」が発行された。
そこに、昼の宮城前広場の模様を描く記事が載っていた」
1945(昭和20)年815日付朝刊2面の「宮城を拝したゝ涙」の記事は
「玉音放送」の後に書かれた内容となっている。
この朝刊はいつ印刷されたのか・・・朝日新聞社に読者からそんな質問が寄せられたのは
84
年春だった。(略)/筆者は膨大な証の社内資料に目を通した。
そして、ある日社員が書いた随想の中に、次の数行を見つけた。
「終戦前夜の814日、私はまたも宿直勤務となった。
15日未明、薄暗い(東京本社)の編集局で
社会部の
S記者が悲痛な面持ちで終戦の記を書いていた姿はぐっと胸に来るものがあった」
(朝日新聞社内報
652月号)」

S記者はのちに座談会で
「14日皇居前にいってあしたの朝刊に皇居前のもようを書け」というので
14日に原稿を作って15日の朝もう一度行って皇居前のもようを見て手を入れたわけです」

すなわち
S
記者は事前に書いていた。
そして確認のため、15日に現場に足を運び、原稿に手を加えた。
しかし
正午の玉音放送前であったのが事実のようです。

玉音放送後の状況を見て書かれたものでなかった!!

 

初めて吉田先生の講演で知り
びっくり。
よく事実は確認することの大切さを学んだ一言でした。
講演の
一部分だけを書いてみました。

吉田先生
ありがとうございました。

 

 

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