散歩道

自閉症のマサシとの日常の出来事、感じたことなど思いつくままに書いています。

「わきまえる」ということ

2005年05月19日 | Weblog
ゴールデンウィークに娘達が来ている間、マサシはいつもより落ち着いていたように感じられました。きっと皆がいるからよくしてなければ…という気持ちから我慢していたのでしょう。皆が帰っていつもの日常になると、その反動か少しうるさくなってきています。しつこく同じことを繰り返し言い、時々かん高い声でしゃべります。仕方ないかな…。いつも落ち着いているのが一番いいけど、とりあえず皆が来ている間、自分を抑えておとなしくしてくれたら、それはそれでいいと思うようにしています。
「わきまえる」ということが出来たらいい。家にお客さんが来る。公共の場に出ていく。そういう時はいつもの自分を少し抑えて落ち着いた態度でいる。その代わり家で家族だけの時は思いっきりしゃべったり、少々大きな声になったりしてもいいと思うようにしよう。だから朝からうるさく、しつこくしゃべっていても仕方ないと我慢しています。世の中のお父さん達だって同じ。会社でびしっとスーツを着て仕事をこなしていても、家に帰ればだらりと大口あけて居眠りしたり、オナラし放題だったりです。内と外、わきまえていればいいのです。
ゴールデンウィークの後何日かして市民病院へ行きました。電車の中、病院の中、わきまえてほしい場所です。でもいつものように同じことを繰り返ししゃべったりして(時々声が大きくなる)まわりの視線が気になる時がありました。そうそううまくはいきませんね。マサシはまわりの視線など気にしてませんから。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする