いちめんの 花は碁盤の 上野山 黒門前に かかる白雲 碑面には、大書し
てこの歌を刻む。ついで、蜀山人についての説明。碑建設のいきさつを細字で刻ん
でいる。歌の文字は蜀山人の自筆であるという。蜀山人は姓を大田名は「ふかし」
通称を直次郎といった。蜀山人はその号である。南畝(なんぼ)・四方赤良(よも
のあから)など別号多く、一般には大田南畝と呼ぶ。幕臣であったが、狂文・狂歌
を良くし、漢学・国学を学んで博識であった。江戸文人の典型といわれ、唐衣橘洲
(からころもきっしゅう)・朱楽管江(あけらかんこう)とともに、三大家と評さ
れた。文政六年(1823)没。
江戸時代、上野は桜の名所であった。昭和13年(1938)寛永寺総門の黒門
跡に、その桜と黒門を詠み込む蜀山人の歌の一首を刻み、碑が建てられた。郷土色
豊かな建碑といっていい。(台東区教育委員会)