散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

赤穂義士休息の地 (江東区佐賀町)

2006-12-08 08:05:03 | Weblog
 

 赤穂義士が吉良邸討ち入り後、永代橋を渡って霊巌島を通り泉岳寺に至ったとの

ことです。途中、永代橋東詰の佐賀町「ちくま味噌」で休息をした事を示す表示が

あります。ちくま味噌敷地内です。(以下全文) 

 赤穂四十七士の一人大高源吾子葉は、俳人としても有名であります。ちくま味噌

の初代竹口作兵衛とは其角の門下として、俳諧の友でありました。元禄十五年十二

月十四日討ち入り本懐を遂げた義士たちが、永代橋に差し掛かるや、あたかも当所

乳熊屋味噌店の上棟の日に当たり、作兵衛は一同を招き入れ、甘酒粥を振る舞い労

をねぎらったのであります。大高源吾は棟木に由来を認め、又看板を書き残して泉

岳寺へと引き上げていったのであります。

 ちくま味噌十六代 竹口作兵衛氏の「口上」です。

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1 コメント

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甘酒ですか。。。 (kimasita)
2006-12-08 18:26:31
昔の東映映画では、義士が泉岳寺へ向かう
両側に 町の人がたくさん見物していて
まるで、パレードみたいでしたが、、、

甘酒を振る舞って 休ませたとなると、
ほんとに、当時の人たちは
「よくやった」 っていう感じで
出迎えたんですねえ。

幕府も 討ち入りを知っていながら
見逃していた、という説も
本当かも、ですね。
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