三筋北陸・ワインダー(糸捲き機)の専門機料店

繊維産業のウラ話に迫る、メンテナンスのお気楽日記。

メンテお気楽日記 3月7日 機業所

2018-03-08 | メンテナンスお気楽日記
機業所からの依頼です。機業所でのワインダーの特徴は、ともかく古い?事です。
今回は、1964年のプレートが付いていました。約54年前に製造されたという事です。

もちろん、現役です。三筋ワインダーの丈夫さには驚かないが、自分でも?見たことない部品が
組み込まれています。イモノ製のテンションブラケットやリング止めのベアリング等です。

もちろん?そんな部品はありません。整備にあたっては、新型中古機?からの部品集めとなります。
基本的には同じ様に見えますが、一番困るのは、ネジのピッチが違うことです。


機業所でいつも思うのは、ともかく敷地が広い、お庭に松の木があり、池では鯉が泳ぐ世界(でした)
女子寮建屋もあり、そこで生活していたお姉さんが、今では、外注仕事を頼める、たのもしいお姉さん?です。

三筋ワインダーにとっても、ありがたい企業でした。一号機開発から基準機までの改造開発のいしずえを担って
頂いたと言っても過言ではない。STI-2型 STB-2型があるのも、機業所のおかげです。

生糸の座ぐりから、生地織りまでの一環作業。その中から、糸に撚りを掛ける加工として、独立したのが
「撚糸屋」です。糸づくりと生地づくりの分割。その流れが、撚糸組合・織物組合として残っている。

撚糸加工もけっこう儲かる仕事だったらしい。当初は、百姓小屋や作業小屋のなかに燃台を並べただけだったが
準備機・撚糸機・ワインダーなど、人を雇わなければ加工が追い付かない。当然、工場としての態をなして来た。


そんな中で仕事を覚えました。幡屋と撚糸屋は別世界とも思っていた。だって、撚糸組合・織物組合だもの。
ところが、3型・4型の開発が見え始めた頃、世の中の流れ、糸編の流れが大きく変わった。

○○ショックかバブル崩壊かは知らないけれど、儲けを削らなければ維持出来ない。もちろん?経費や維持費は
当然のように掛かるわけだから、最終的には人件費ということになります。これが一番の間違いでした。

家内工業では天井(生産高)が見えています。設備があってもフル操業もおぼつかない。目も届きにくい。
何より、技術の伝承が危惧されたが、後継者もいない。まさにデフレスパイラルから抜けられない状態。

生き残れるのは、市場を左右できる大手企業と、趣味の世界に対応できる個人工場。両極端に分かれてしまった
80%90%をしめる「中小企業」が苦しいのが繊維不況です。中小企業こそ、生活の糧であり、地域の雇用おも
になって来た。中小企業がなくなれば、それこそスーパーだけのシャッター商店街と同じ結果に成りかねない。


たがいに助け合い、利用するのが「商い」です。売ってこその買いです。買ってばかりもいられません。
誰かが、サービスで生き残るすべを説いているが、誰のためのサービス?観光地は外国人ばかりです。

生地が売れての糸、糸があっての生地。たがいに利用するからこそ技術でありモノづくりです。そして生活。
糸がら製品へ、そこには、計り知れない多くの人々の手、技術、汗が関わっています。それが生活です。

機業所のお庭が、駐車場に様変わりしています。考えれば、皆が贅沢になったって事かも知れない。


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