さんでんじです。

ブログで思いのまま、自分なりの感想も含めて、発信します。

もうアパートが空いている。

2006-09-25 12:13:13 | Weblog
去年の秋にできた新築アパートですが、さすが新築、2カ月くらいですべてが埋まりました。ところが昨日、散歩がてら歩いていると一部屋がガラン。

つまり一年も経たずに出ていっちゃったわけですね。杉並のアパートは3~4年で人が入れ替わる言われていますが、一年未満とは。いい事情で出ていったのならけど。すげえお金持ちになったとか、2人で新しい暮らしを始めたとか。

その近所でも、相変わらずずーっと空いているアパートがあります。数年も空いているアパートは凄いらしい。根付いた生き物がいっぱいいて。

何年か前に、引っ越した友達を思い出しました。築10年のきれいなアパートに引っ越したんだけど、住んでみると日に日にダニやら、虫やら、じわりじわりと這いだしてきて、すぐにまた引っ越したんだって。

後で聞くと、3年ぐらい空き状態だったようです。そんなもの、表面上の殺虫剤ではけっして退治できないから。畳を出して、床材はもちろん、天井裏まできれいにしなきゃね。いったん人が住まなくなると、恐ろしいことになりますから。


秋の花は、花屋にあった。

2006-09-24 23:02:28 | Weblog
あんまり天気がいいので、ぶらっと散歩。秋の花などが咲いているかなー、っと。やっぱり東京の杉並区の公園じゃ、ちょっと無理でした。

ちゃんと入園料を取るような公園か植物園でないとダメみたい。すすきもありません。ポツポツと曼珠沙華が咲いています。川の上の空に赤とんぼがいっぱい飛んでいます。雲が高くなって、気持ちの良い秋晴れ。

本当の自然の中で、秋の七草を見ようとすれば、高尾山くらいまで行かないと無理かもしれませんね。多摩川の土手ならすすきは見られるかも。

商店街に足を向けて、花屋さんを見るとやっぱりありました。秋の七草、700円。コスモスも咲いています。秋の自然は花屋の中です。ま、見るだけにしておいて。

こんどは立川の昭和記念公園にでも出掛けてみますか。コスモスがきれいらしいから。たしか入園料は400円だったような。しまった、洗濯するの忘れた。明日から天気が悪そうです。失敗したなー。

頬を赤らめた女性。

2006-09-23 17:01:48 | Weblog
昨日のことなんだけど、夕方5時前ぐらいに明大前から電車に乗って新宿に向かった。車内の奥の方に移動して、私がつり革を持ったとき目の前に、そんな女性が座っていた。

まだ20代半ばか、でもけっこうきれいな人。目がうつろで、頬を赤らめて、両手で合わせるようにハンカチで包んだ缶のドリンクを持っていた。

両手でぐぐっと缶を飲んだ。ハンカチの間から缶の文字が読める。なにっ、氷結。チューハイかよー。頬が赤らんでいたのは、酔ってたんだ。ちょっと早いぜ、酔っぱらうのは。相変わらず、目はうつろ。また、缶を飲む。全部飲んだのか、缶だけを座席の下に置いた。ん、ん、置きっぱなしかい。

しばらくして、こくりこくりと、隣のおばさんにもたれかかる。おばさん、いやな表情。時折、目をあけて体勢を立て直す。でも、完全に酔っぱらってらー。

電車は新宿へ着いた、まどろむようにその女性は立ち上がった。缶は置きっぱなしかよー。やっぱり。これが東京なんですね。奈良じゃ、そんな女性はいない。電車内で化粧する人もいない。絶対、いやたぶん。ん、たまーに、いるかも知れないな。

だって田舎って、誰か知り合いが、どこかで見てる事ってあるし、ま、人も少ないか。そう、東京って人が多すぎて、たとえば電車内とかは、居合わせた人が、すべて見ず知らず。よく、旅の恥はかき捨て、っていうけど、そんなことで田舎から出てきた東京の人は、自制心を失っているのかもしれないな。酔っぱらいの女性が、江戸っ子だったらごめんなさい。

発売前のプレステ3、値下げ。

2006-09-22 23:13:39 | Weblog
ソニーも何を考えているのでしょうか。さすがに6万円では売れないと思ったのか、早くも約5万円にしましたね。どっちみち、私はドラクエが発売されるまで買いませんし、やっぱり3万円以下でないと。

そのブルーレイといえば、松下がソニーに先んじてハードディスク録画機を発売するとか。価格も30万円前後とか。東芝のHD-DVDはビックカメラで367,800円らしいから。どちらも、高すぎる。近頃のソニーはボロボロですね。パソコンのバッテリーでケチついてるし、売れてる液晶だって所詮は韓国のサムスンだのみだし、かつてソニー愛用者だった私としては、目も当てられん。あの素晴らしかった技術はいずこへ。

さて、アメリカではHD-DVD再生機が6万円くらいで売っているらしいですね。やはりこういう家電は10万円を切らなければね。

ところでHD-DVDの陣営には、NEC、マイクロソフト、ヒューレット・パッカードが加わっているのですね。これは強力だ。ってことは、次のX-BOXはHD-DVDなんだ。富士通はどっちにつくんだか。

ま、早く売り出して、どんどん売れて、それでどんどん値下がって、そこで私は買いますから。最近はプレステ2すらろくろくやっていません。けっこうこのブログに時間を取られて、なによりもやりたいゲームが出てないもん。ゲームにしろ、次世代DVDにしろ、コンテンツが問題ですね。

父の趣味、カメラ。その2

2006-09-22 13:24:47 | Weblog
父の愛機はライカだった。でも私が好きだったのは、縦長で目玉が2つあって、パカッと蓋みたいなもの開けると、磨りガラスがあって、逆さまになるけど撮影しようとする像が上からのぞけた機種。マミヤか、ローライか忘れたけど、今で言うならデジカメの液晶パネルだ。それを見せてもらうのが好きだった。

父はライカを下げてよく撮影会などに行った。ある撮影会のあと父が、今日は入江さんに会った。入江さんは、ライカくらいでないと撮られた気がしまへんな、と言っていたとか。後で撮影した白髪の人の写真を見せてくれた。入江さんとは、大和路を撮影したカメラマンの入江泰吉のことだ。どうも会のメンバーみたいなのがあって、入江さんはその師匠というか、先生のような立場だったらしい。

子供の頃、家には賞状が何枚も飾られていて、推薦とか入賞とか書かれていた。トロフィーもあった。やがて、写真がカラー化するとほどなく暗室は使われなくなった。母は部屋がひとつ使えると喜んでいた。台所のすぐ後ろだったから。

成人になったときに一眼レフカメラを買ってくれたことがある。アサヒペンタックスで、望遠ズームや広角レンズもあった。しかしあまり使わなかった。だって、カラー写真って高かったもの。現像が一枚、40円から50円くらいで、36枚撮りなんか2000円以上だったから、貧乏学生の私には、おいそれと現像など出せなかったから。

東京へ出てからは、まるで使わず、帰郷すると父はいつも使っているかと聞く。父の趣味を受け継がなかったのは申し訳ないが、今やデジカメ。もう最近は言わないが、帰ると必ずライカを取り出してあれやこれやと自慢も交えて説明をする。うんうんと頷きながら聞くことが親孝行だと思って。でも内容はほとんど聞き流す。もうそのカメラを入れたケースもどこへやら。今回は、カメラを話しは一切しなかった。

父の趣味、カメラ。その1

2006-09-21 23:03:31 | Weblog
もう87才になり、今でこそほとんど触ってもいないだろうけど、私が子供の頃は、カメラというか、撮影、現像までをひとりでやっていた。

実家には、当時は暗室として使われていた部屋があり、父親が作業をしているときは間違って開けようなら、死ぬほど怒鳴られたものだ。あとでカギを付けていたけど。何度か暗室には入れてもらったことがあり、中に入るとツーンとした臭いが立ちこめて、いくつもバットのようなものに、温度計と透明な液体が入っていた。

薄暗くボワッと灯った赤い光の下で、白い紙に光を当てて、その紙を液体の入ったバットに沈めると、しばらくして黒い模様のようなものが浮き上がってくる。それは、やがて人の姿になったり、風景だったり、モノクロームの不思議な世界が浮き上がった。

手を近づけようとすると、さわったらあかん、毒やから、ぜったいさわったらあかん、と怒鳴られた。やがて、すべての作業が終わって部屋を開け放つと、写真が何枚もぶら下がり、モノクロームのフイルムや透明のフィルムみたいなものが何本もぶら下がっていた。

私が3才頃に、今の実家に引っ越したんだけど、その前の家、私が生まれたのは、まだ地上にあった近鉄奈良駅から数分の林小路町だったらしい。母親は幼い私を抱いて、電車に乗って出勤する父親をよく見送った、と言っていた。もちろん記憶にない。

父親はサラリーマンだったけど、休みの日はアルバイト代わりに、三脚に積んだマントつきのカメラを持って奈良公園に行き、観光客などの記念写真を撮っていたらしい。子供の頃、今の実家の風呂場の水除け代わりに新聞紙大の金属でホーローみたいなDPEの看板があったのだけど、それはそういうことだったんだ、と大きくなってから知った。

春日大社からの帰り道。

2006-09-21 13:39:59 | Weblog
帰りはゆったりとした下り道。しかしここで小さな砂利に、時々足をとられて滑りそうになる。なるほど、登りでは気がつかなかったが。できるだけ、注意して歩く。こんなとこで怪我しては悲惨だもの。

参道沿いの茶屋では、鹿が観光客にしきりとおねだりしている。口でつついたり、すり寄ったり。観光客はふいをつかれてびっくりしている。途中の鹿煎餅屋さんでは、いっぱい待ち受けている。買って与えようとしている人に、一斉に群がってくる。

ん、ん、待てよ。かつて鹿たちは、おねだりするときは必ずおじぎ、頭を何回か下げて、礼儀正しくおねだりしていたはずだ。そういえば、近寄ってくる鹿に、お辞儀をする気配がない。なんて礼儀知らずだ。何十年も前に、奈良公園に来たときは、鹿は必ずお辞儀を繰り返しながら寄ってきたものだ。

もう、近頃の鹿は礼儀を知らない。まさに、人間と同じだな。角を切られた老いた鹿が観光客に頭突きを喰らわせていた。チョイ悪オヤジ鹿だろうか。人間が堕落すると鹿も堕落するようだ。奈良もそうなっちゃったんだ。悲しいな。などと。

小腹が空いたので、東向き商店街のうどんやに入った。出されたうどんは、ちょっと塩味が強かったか、色は薄く、ダシが十分に味わえた。東京は、色が濃く、味醂や醤油をやたらぶっこんでいるから、久しぶりにさっぱりしたつゆは本当においしいと思った。

奈良から電車に乗り京都に向かう。大久保を過ぎたあたりで、西側に広がる稲田ではもうコンバインによる稲刈りが始まっている。秋ですね。東側は、家並みがびっしりと詰まっている。いつもながら、対照的な風景だ。稲田よ、いつまでも残ってほしいな。

京都では、17、18日の連休の終日らしく、ごった返していた。19時台になると、やっと新幹線の席が取れた。実家には数時間の滞在だったが、ともに87才になる父も母も元気だったのはなによりだった。次は、父の趣味について書いてみよう。

参道を通り、やっと春日大社へ到着。

2006-09-21 01:04:27 | Weblog
そこからは車の入れない参道。一直線にまっすぐ、ゆるやかな上り坂。玉砂利ではなく、土が多かったので、思いのほか歩きやすかった。

中学生ぐらい、御祭の時に一度来たことがある。中学校のクラスの何人かが馬に乗ったり、時代装束を着て行列に参加するので、それを見に来たのだ。確か、結構寒い時期だったと思うが、もう何十年と見てないので、定かでない。

あっ、いるいる、鹿が。参道に何匹も。横を見ると、木陰にいっぱい、休んでいる。鹿だって暑いものね。そういえば、昔、夜に車で公園の近くを通ったとき、車のライトの向こうに2つ並んだ小さな光る玉が、いくつも見えた。こちらを見つめる鹿の目に、ライトが反射して輝くのだ。鹿はねぐらに帰らずに野宿していたのだ。そんなことを思い出した。

やがて、ゆるやかな右カーブ。右手の奥に、石の柵が見える。たぶん鹿の角切りをする場所だったっけ。ちょっとへばるがもうすぐ。ようやく朱色の建物が見えた。来たことはあるのだろうけど、記憶からは完全に消えている。中を見ると、楽器を手にして時代装束に身を包んだ人がいっぱい座っている。ま、お賽銭をあげて、跡にした。

一歩出て思った。そうだ、神社は柏手だった。ちょっと失敗。まっ、いいか。お賽銭あげたし。さらに歩くと、後ろから笙や篳篥の音が聞こえてきた。雅楽の演奏だ。生で音を耳にしたのは、またいつか忘れた。そういえば、御祭に参加した連中は、雅楽の練習にも加わっていたはずが。さっきの装束の人たちは、10代ぐらいの若さに見えたから。

そう、中学校の担任の1人が、春日大社のなんとかかんとかの保存会、なんかに加わっていて、それでかりだしたんだろう。私には、声はかからなかった。参加したのは、賢い連中だったから。


奈良公園から、春日大社へ。

2006-09-20 11:09:28 | Weblog
18日は台風の影響もなく、晴れてくれたのは良かったんだけど、そのために用意をした傘がじゃまだった。今や地下になった近鉄奈良駅を降りて、階段を上り、さらにまた階段を上って地上に出る。

あのー、近鉄って、どうしてエスカレーターとか用意しないの。昨日も言ったけど、車椅子の人なんかどうするんだろう。

高校一年の時は、油阪駅、というのがあって、高架でデーっと階段を下りて、通った記憶がある。その後、新大宮駅ができて、吹きっ晒しの道を遙か彼方の学校まで行ったかな。で、近鉄奈良駅も地下になった。遠い昔です。

興福寺を抜けて、ちょこっと猿沢の池を見やって、春日大社の参道にたどり着く。興福寺の周辺は、昔、社会人なった高校時代の友達と市内で飲んで、酔い覚ましにこの周囲をしゃべりながら歩いて、また飲んで、それぞれの家に帰った、そんな思い出だけが残っている。夜だった。

真昼に見る、興福寺、五重塔、それは眩しくも堂々とそびえ立っている。こんな風景を見るのは、記憶にない。高校一年の時の、最初の遠足は奈良公園だったけど、そんなのは近場ですませて、とっとと帰りたかったに違いなかったのだろう。でも、それらは、堂々として威厳がある。

台風の跡の空気のせいもあるだろうけど、私の目には確実に焼き付いた。ついでに、デジカメで撮った。その日はとても暑かった。本当に、春日大社までたどり着けるのか、ちょっと心配になった。

あの遊園地が消えてしまった。

2006-09-19 16:58:55 | Weblog
話しには聞いていたが、懐かしのあやめ池遊園地がそっくり消滅していた。奈良の実家の最寄り駅、真ん前です。

ボウリング場もない。観覧車もない。円形大劇場もない。ループのコースターもない。プールもない。見えないけど、動物園もないはずだ。ちょうどこの時期からは菊人形などをメインのイベントとして賑わっていたはずだ。
小学生の頃は、園内の一部が住宅街から駅への道になっていたため、裏からだと、駅へ行きます、とことわって入って、そのまま遊園地で遊べたりしたものだ。もちろん、入園料はタダで。

そのうちに道もフェンスで仕切られて、その道の上に園内の橋ができたために、もうタダで入ることはできなくなった。

高校生ぐらいになると、さすがに遊園地からは足が遠のいたが、ボウリング場はよく利用した。経営母体の近鉄も大変だったんだな。バッファローズも売っちゃったものね。私も子供の頃は近鉄ファンだった。KBのマークだった。竹下が好き。小玉のバッティングフォームも面白かった。

小学生のときクラスの名簿で、父親の職業欄があるのだけど、私の父親なんかはただの会社員だったのが、クラスの4人ぐらいは近鉄社員となっていた。奈良って国鉄もあったが、たいていどこへ行くにしても電車は近鉄だったから、近鉄社員と書くことは一種のプライドだったんだろう。

迫り来るような住宅街に取り囲まれた遊園地跡をしみじみ見てみると、池があり緑があり橋があって、静かな公園そのものじゃん。解放すればいいのに。しばらくの間でも。