さんでんじです。

ブログで思いのまま、自分なりの感想も含めて、発信します。

あの遊園地が消えてしまった。

2006-09-19 16:58:55 | Weblog
話しには聞いていたが、懐かしのあやめ池遊園地がそっくり消滅していた。奈良の実家の最寄り駅、真ん前です。

ボウリング場もない。観覧車もない。円形大劇場もない。ループのコースターもない。プールもない。見えないけど、動物園もないはずだ。ちょうどこの時期からは菊人形などをメインのイベントとして賑わっていたはずだ。
小学生の頃は、園内の一部が住宅街から駅への道になっていたため、裏からだと、駅へ行きます、とことわって入って、そのまま遊園地で遊べたりしたものだ。もちろん、入園料はタダで。

そのうちに道もフェンスで仕切られて、その道の上に園内の橋ができたために、もうタダで入ることはできなくなった。

高校生ぐらいになると、さすがに遊園地からは足が遠のいたが、ボウリング場はよく利用した。経営母体の近鉄も大変だったんだな。バッファローズも売っちゃったものね。私も子供の頃は近鉄ファンだった。KBのマークだった。竹下が好き。小玉のバッティングフォームも面白かった。

小学生のときクラスの名簿で、父親の職業欄があるのだけど、私の父親なんかはただの会社員だったのが、クラスの4人ぐらいは近鉄社員となっていた。奈良って国鉄もあったが、たいていどこへ行くにしても電車は近鉄だったから、近鉄社員と書くことは一種のプライドだったんだろう。

迫り来るような住宅街に取り囲まれた遊園地跡をしみじみ見てみると、池があり緑があり橋があって、静かな公園そのものじゃん。解放すればいいのに。しばらくの間でも。

久しぶりの再会、老けた友人。

2006-09-19 14:01:23 | Weblog
17日、夜の京都で高校時代の友人たち3人と久しぶりに再会し飲んだ。一人は8年ぶり、あとの2人は実に15年ぶりだった。しかしいつ最後に会ったかを、話し合うと、みんなの記憶というのは定かではない。

真実はひとつなのに、あの時がどうだ、この時がどうだなどと。もう3年を超えると、人の記憶というものは、所詮曖昧なものだと実感した。いくら離れようとも、かつて親しかった友達は大切に、もう少し密にすべきだとも。

50歳をとうに超えると、家族持ちは子供のことだけでなく、親の問題も降りかかってくる。そしてその中のひとりがびっくりするほど、顔が老け込んでいた。

この年代はそういうことも含めて、仕事においてもきついものがある。研究職のサラリーマンはなおさらだ。仕事に関して多くを語らなかったので、老けの原因はそれだろう。子供たちも社会人になり、持ち家もあるのだから、定年まで勤めきることを優先していると見た。その先は、まあ他人事。

そんなこんなで京都の夜は終わった。飲み始めは雨も降っていたが、店を出ると止んでいる。蒸し暑い。台風はいずこか。明日は、奈良。どしゃぶりでなけれはいいけど。

電車の中のおじいさん。

2006-09-19 00:50:23 | Weblog
今晩、帰ってきました。その前に。

いつもの最寄りの駅から電車に乗ると、向かいの席におじいさんが座っていた。メガネをずらし、ハゲ頭の上に乗せ、しきりと携帯電話を操作している。白いシャツのボタンを2つ外した、はだけた格好で、下のアンダーウエア、下着のシャツがのぞいている。ズボンにベルトはなく、太ったお腹に食い込むようだ。

それはいいのだけど、問題は座り方。足を投げ出したように組んで、斜めに座り仰け反りかえっている。その横には座席の上に無造作に投げ出されたバッグがある。つまり大変お行儀よく2座席分を占拠しているわけだ。はじめは空いていたが、終点が近づくと、車内には立っている人も10人近くいる。

おじいさんというより、だらしない年取ったオヤジだ。普通なら席も譲られようかという年齢だが、その不貞不貞しさがやたら目につく。車内で化粧する女性、席を譲らない若者、床に座り込む高校生、うんぬんといわれるが、それ以前にこういう人がいる、ということが、問題だったのだろう。

田舎からはじめて出てきて、都会の電車に乗ったとは思えない。人にマナーをと解く前に、こういう人からなんとかしなければ。年寄りはガンコだし。オヤジのじじいはやっかいだが、トラブルが起こる前になんとかしないと、こわいことになると思う。

オヤジジイさん、まさかブログはやらないか。帰郷前の電車の出来事でした。ただいま列車は新富士駅を通過していますが、富士山はさっぱり見えません。などと京都に向かう車内でパソコンを広げて書きました。京都のホテルでは、部屋にLAN回線は設備されていなかった。でも聞くとあるらしい、そういう部屋が。

というのが、京都に着くまでの17日の出来事でした。