さんでんじです。

ブログで思いのまま、自分なりの感想も含めて、発信します。

父の趣味、カメラ。その1

2006-09-21 23:03:31 | Weblog
もう87才になり、今でこそほとんど触ってもいないだろうけど、私が子供の頃は、カメラというか、撮影、現像までをひとりでやっていた。

実家には、当時は暗室として使われていた部屋があり、父親が作業をしているときは間違って開けようなら、死ぬほど怒鳴られたものだ。あとでカギを付けていたけど。何度か暗室には入れてもらったことがあり、中に入るとツーンとした臭いが立ちこめて、いくつもバットのようなものに、温度計と透明な液体が入っていた。

薄暗くボワッと灯った赤い光の下で、白い紙に光を当てて、その紙を液体の入ったバットに沈めると、しばらくして黒い模様のようなものが浮き上がってくる。それは、やがて人の姿になったり、風景だったり、モノクロームの不思議な世界が浮き上がった。

手を近づけようとすると、さわったらあかん、毒やから、ぜったいさわったらあかん、と怒鳴られた。やがて、すべての作業が終わって部屋を開け放つと、写真が何枚もぶら下がり、モノクロームのフイルムや透明のフィルムみたいなものが何本もぶら下がっていた。

私が3才頃に、今の実家に引っ越したんだけど、その前の家、私が生まれたのは、まだ地上にあった近鉄奈良駅から数分の林小路町だったらしい。母親は幼い私を抱いて、電車に乗って出勤する父親をよく見送った、と言っていた。もちろん記憶にない。

父親はサラリーマンだったけど、休みの日はアルバイト代わりに、三脚に積んだマントつきのカメラを持って奈良公園に行き、観光客などの記念写真を撮っていたらしい。子供の頃、今の実家の風呂場の水除け代わりに新聞紙大の金属でホーローみたいなDPEの看板があったのだけど、それはそういうことだったんだ、と大きくなってから知った。

春日大社からの帰り道。

2006-09-21 13:39:59 | Weblog
帰りはゆったりとした下り道。しかしここで小さな砂利に、時々足をとられて滑りそうになる。なるほど、登りでは気がつかなかったが。できるだけ、注意して歩く。こんなとこで怪我しては悲惨だもの。

参道沿いの茶屋では、鹿が観光客にしきりとおねだりしている。口でつついたり、すり寄ったり。観光客はふいをつかれてびっくりしている。途中の鹿煎餅屋さんでは、いっぱい待ち受けている。買って与えようとしている人に、一斉に群がってくる。

ん、ん、待てよ。かつて鹿たちは、おねだりするときは必ずおじぎ、頭を何回か下げて、礼儀正しくおねだりしていたはずだ。そういえば、近寄ってくる鹿に、お辞儀をする気配がない。なんて礼儀知らずだ。何十年も前に、奈良公園に来たときは、鹿は必ずお辞儀を繰り返しながら寄ってきたものだ。

もう、近頃の鹿は礼儀を知らない。まさに、人間と同じだな。角を切られた老いた鹿が観光客に頭突きを喰らわせていた。チョイ悪オヤジ鹿だろうか。人間が堕落すると鹿も堕落するようだ。奈良もそうなっちゃったんだ。悲しいな。などと。

小腹が空いたので、東向き商店街のうどんやに入った。出されたうどんは、ちょっと塩味が強かったか、色は薄く、ダシが十分に味わえた。東京は、色が濃く、味醂や醤油をやたらぶっこんでいるから、久しぶりにさっぱりしたつゆは本当においしいと思った。

奈良から電車に乗り京都に向かう。大久保を過ぎたあたりで、西側に広がる稲田ではもうコンバインによる稲刈りが始まっている。秋ですね。東側は、家並みがびっしりと詰まっている。いつもながら、対照的な風景だ。稲田よ、いつまでも残ってほしいな。

京都では、17、18日の連休の終日らしく、ごった返していた。19時台になると、やっと新幹線の席が取れた。実家には数時間の滞在だったが、ともに87才になる父も母も元気だったのはなによりだった。次は、父の趣味について書いてみよう。

参道を通り、やっと春日大社へ到着。

2006-09-21 01:04:27 | Weblog
そこからは車の入れない参道。一直線にまっすぐ、ゆるやかな上り坂。玉砂利ではなく、土が多かったので、思いのほか歩きやすかった。

中学生ぐらい、御祭の時に一度来たことがある。中学校のクラスの何人かが馬に乗ったり、時代装束を着て行列に参加するので、それを見に来たのだ。確か、結構寒い時期だったと思うが、もう何十年と見てないので、定かでない。

あっ、いるいる、鹿が。参道に何匹も。横を見ると、木陰にいっぱい、休んでいる。鹿だって暑いものね。そういえば、昔、夜に車で公園の近くを通ったとき、車のライトの向こうに2つ並んだ小さな光る玉が、いくつも見えた。こちらを見つめる鹿の目に、ライトが反射して輝くのだ。鹿はねぐらに帰らずに野宿していたのだ。そんなことを思い出した。

やがて、ゆるやかな右カーブ。右手の奥に、石の柵が見える。たぶん鹿の角切りをする場所だったっけ。ちょっとへばるがもうすぐ。ようやく朱色の建物が見えた。来たことはあるのだろうけど、記憶からは完全に消えている。中を見ると、楽器を手にして時代装束に身を包んだ人がいっぱい座っている。ま、お賽銭をあげて、跡にした。

一歩出て思った。そうだ、神社は柏手だった。ちょっと失敗。まっ、いいか。お賽銭あげたし。さらに歩くと、後ろから笙や篳篥の音が聞こえてきた。雅楽の演奏だ。生で音を耳にしたのは、またいつか忘れた。そういえば、御祭に参加した連中は、雅楽の練習にも加わっていたはずが。さっきの装束の人たちは、10代ぐらいの若さに見えたから。

そう、中学校の担任の1人が、春日大社のなんとかかんとかの保存会、なんかに加わっていて、それでかりだしたんだろう。私には、声はかからなかった。参加したのは、賢い連中だったから。