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常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース14

2016-08-07 09:19:42 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース14
祇王寺3
法然の弟子、念仏房良鎮の創立。中世以降荒廃していたが
平家物語の遺跡として明治に復興された。
現在は真言宗大覚寺派の尼寺。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース13

2016-08-06 09:26:54 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース13
祇王寺2
祇王寺は昔の往生院の境内にあり、往生院は法然上人の
門弟良鎮によって創建されたと伝わっています。
山上山下にわたって広い寺域を占めていた往生院も後年は荒廃し、
ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれるようになりました。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース12

2016-08-05 09:23:02 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース12
祇王寺1
祇王寺は竹林と楓に囲まれたつつましやかな草庵で、
『平家物語』にも登場し、平清盛の寵愛を受けた白拍子の
祇王が清盛の心変わりにより都を追われるように去り、
母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺として知られております。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース11

2016-08-04 09:23:02 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース11
二尊院6
JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅より徒歩25分
京都市バス、京都バス、「嵯峨小学校」バス停下車、徒歩15分

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース10

2016-08-03 09:24:47 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース10
二尊院5
木造釈迦如来立像・阿弥陀如来立像
本堂に安置。鎌倉時代の作。像高は両像とも78.8センチ。向かって右に発遣(ほっけん、現世から来世へと送り出す)の釈迦如来、左に来迎(らいごう、西方極楽浄土へ迎え入れる)の阿弥陀如来が並び立つ。像表面は現状では黒ずんでいるが、金泥塗りとし、截金で文様を表している。両像はよく似ているが、下半身の衣文の形式などに変化をつけている。釈迦如来像が右手を上げ、左手を下げる一般的な印相を示すのに対し、阿弥陀像は右手を下げ、左手を上げる形に造り、両像は左右対称形となっている。また、通常の阿弥陀如来像は親指と人差し指、親指と中指、親指と薬指のいずれかで輪をつくる印相を示すが、二尊院の阿弥陀如来像は下げた右手の指を5本とも真っ直ぐ伸ばしている点が珍しい

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース9

2016-07-31 09:17:45 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース9
二尊院4
本堂 - 永正18年(1521年)、三条西実隆によって再建。
勅使門(唐門) - 永正18年(1521年)、三条西実隆によって再建。
総門 - 伏見城の薬医門を移築したものと伝わる
八社ノ宮 - 室町時代に建立
境内には公家の二条家、三条家、四条家、三条西家、嵯峨家(旧・正親町三条家)、鷹司家の墓所のほか、伊藤仁斎・伊藤東涯父子、角倉了以・角倉素庵父子の墓などがある。また境内奥には土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨を安置する三帝陵がある。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース8

2016-07-30 09:23:13 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース8
二尊院3
嘉禄3年(1227年)に起こった嘉禄の法難の際には、法然上人の遺骸を天台宗の僧兵から守るために法然廟所から二尊院まで六波羅探題の武士団らに守られながら遺骸が移送された。
室町時代になると応仁の乱による延焼で堂塔伽藍が全焼するが、本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に三条西実隆によって再建されている。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース7

2016-07-29 09:26:32 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース7
二尊院2
平安時代初期の承和年間(834–847年)、嵯峨天皇の勅により
円仁(慈覚大師)が建立したと伝わる。
以後荒廃するが、鎌倉時代初期に法然の高弟だった
湛空らにより再興される。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース6

2016-07-28 09:29:23 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース6
二尊院1
二尊院(にそんいん)は、京都市右京区の嵯峨野にある天台宗の寺院。山号は小倉山。正式には小倉山二尊教院華台寺。
二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の
二如来像に由来する。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース5

2016-07-27 09:22:32 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース5
常寂光寺5
所在地・交通
JR山陰本線「嵯峨嵐山駅」徒歩約15分
京福電鉄(嵐電)嵐山本線「嵐山駅」徒歩約20分

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース4

2016-07-24 09:23:01 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース4
常寂光寺4
『小倉百人一首』の中に詠まれている和歌の中に、宇多法皇が嵯峨・大堰(おおい)川(がわ)へ行幸した時、あまりの紅葉の美しさに、「息子の醍醐天皇にも見せたい」と言ったのを、供をしていた藤原(ふじわら)忠(ただ)平(ひら)が宇多法皇の気持ちを和歌に託して詠んだものがある。小倉山は、歌枕としても有名で、多くの和歌に詠まれている。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース3

2016-07-23 09:21:49 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース3
常寂光寺3
多宝塔 - 国の重要文化財、元和6年(1620年)建立、
高さ12m、檜皮葺
本堂 - 桃山城の客殿を慶長年間に移築
仁王門 - 南北朝時代の貞和年間に本圀寺の南門として建立、
元和2年に現在地に移築、藁葺き
鐘楼 - 寛永18年建立。梵鐘は昭和48年に京都工芸繊維大学教授
青木一郎の音響設計により鋳造されたもの。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース2

2016-07-22 09:24:51 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース2
常寂光寺2
平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、
安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に
日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開いた。
歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは
角倉了以と角倉栄可で、小早川秀秋ら大名の寄進により
堂塔伽藍が整備された。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース1

2016-07-21 09:18:29 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース1
常寂光寺1
常寂光寺は京都府京都市の嵯峨野にある日蓮宗の仏教寺院。
山号は小倉山。旧本山は、大本山本圀寺(六条門流)。
百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは
嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれる。
その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる。

京都散策嵯峨13

2016-07-20 09:20:48 | 男の美学
京都散策嵯峨13
竹林から天龍寺10
JR嵯峨野線
「嵯峨嵐山」駅下車徒歩13分