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常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース9

2016-07-31 09:17:45 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース9
二尊院4
本堂 - 永正18年(1521年)、三条西実隆によって再建。
勅使門(唐門) - 永正18年(1521年)、三条西実隆によって再建。
総門 - 伏見城の薬医門を移築したものと伝わる
八社ノ宮 - 室町時代に建立
境内には公家の二条家、三条家、四条家、三条西家、嵯峨家(旧・正親町三条家)、鷹司家の墓所のほか、伊藤仁斎・伊藤東涯父子、角倉了以・角倉素庵父子の墓などがある。また境内奥には土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨を安置する三帝陵がある。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース8

2016-07-30 09:23:13 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース8
二尊院3
嘉禄3年(1227年)に起こった嘉禄の法難の際には、法然上人の遺骸を天台宗の僧兵から守るために法然廟所から二尊院まで六波羅探題の武士団らに守られながら遺骸が移送された。
室町時代になると応仁の乱による延焼で堂塔伽藍が全焼するが、本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に三条西実隆によって再建されている。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース4

2016-07-24 09:23:01 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース4
常寂光寺4
『小倉百人一首』の中に詠まれている和歌の中に、宇多法皇が嵯峨・大堰(おおい)川(がわ)へ行幸した時、あまりの紅葉の美しさに、「息子の醍醐天皇にも見せたい」と言ったのを、供をしていた藤原(ふじわら)忠(ただ)平(ひら)が宇多法皇の気持ちを和歌に託して詠んだものがある。小倉山は、歌枕としても有名で、多くの和歌に詠まれている。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース3

2016-07-23 09:21:49 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース3
常寂光寺3
多宝塔 - 国の重要文化財、元和6年(1620年)建立、
高さ12m、檜皮葺
本堂 - 桃山城の客殿を慶長年間に移築
仁王門 - 南北朝時代の貞和年間に本圀寺の南門として建立、
元和2年に現在地に移築、藁葺き
鐘楼 - 寛永18年建立。梵鐘は昭和48年に京都工芸繊維大学教授
青木一郎の音響設計により鋳造されたもの。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース2

2016-07-22 09:24:51 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース2
常寂光寺2
平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、
安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に
日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開いた。
歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは
角倉了以と角倉栄可で、小早川秀秋ら大名の寄進により
堂塔伽藍が整備された。

常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース1

2016-07-21 09:18:29 | 男の美学
常寂光寺から、二尊院と祇王寺へと半日コース1
常寂光寺1
常寂光寺は京都府京都市の嵯峨野にある日蓮宗の仏教寺院。
山号は小倉山。旧本山は、大本山本圀寺(六条門流)。
百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは
嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれる。
その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる。

京都散策嵯峨12

2016-07-17 09:23:56 | 男の美学
京都散策嵯峨12
竹林から天龍寺9
応仁の乱による焼失・再建後、しばらくは安泰であったが、
江戸時代の文化12年(1815年)にも焼失、
さらに幕末の元治元年(1864年)、禁門の変(蛤御門の変)
で大打撃を受け、現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。
なお、方丈の西側にある夢窓疎石作の庭園(特別名勝・史跡)
にわずかに当初の面影がうかがえる。

京都散策嵯峨11

2016-07-16 09:22:16 | 男の美学
京都散策嵯峨11
竹林から天龍寺8
天龍寺は京都五山の第一として栄え、寺域は約950万平方メートル、
現在の嵐電帷子ノ辻駅あたりにまで及ぶ広大なもので、
子院150か寺を数えたという。しかし、その後のたびたびの火災により、
創建当時の建物はことごとく失われた。中世には延文3年(1358年)、
貞治6年(1367年)、応安6年(1373年)、康暦2年(1380年)、
文安4年(1447年)、応仁元年(1467年)と、6回も火災に遭っている。

京都散策嵯峨10

2016-07-15 09:22:52 | 男の美学
京都散策嵯峨10
竹林から天龍寺7
名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては
境内地であった。この地はその昔、檀林皇后と称された
嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、
檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、
さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。

京都散策嵯峨9

2016-07-14 09:24:56 | 男の美学
京都散策嵯峨9
竹林から天龍寺6
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は
夢窓疎石である。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として
京都五山の第一位とされてきた。
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

京都散策嵯峨8

2016-07-13 09:20:06 | 男の美学
京都散策嵯峨8
竹林から天龍寺5
天龍寺は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。
寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。