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人間万事塞翁が馬 その10

2022年02月03日 | 日記
 退院するときに担当医から何か説明みたいなもんがあると思っていたら、もうその時間帯は通常業務が始まっているので、次の外来診察の時に説明があるということだった。その時に家族の方も一緒に、という場合もあると。Bの退院の時は、私一人がいろいろと聞いてきて、ため息しかなかったことを思い出す。幸いなのか、今回はあたし一人でいいらしい。

 家に帰り、夫の妹が来てくれてなんやかんやと世話を焼いてくれた。ありがたい。さすがにまだまだ横になっていたいお年頃。外には出ず、家の中をなんとか歩くが、病棟ほどの広さはなく、ちまちま歩くしかない。そんな中でもじわじわと痛みは薄くなっていき、夜も病院とは雲泥の差で寝れるようになった。やっぱ30年以上ここに住んでるからなあ~。

 退院して4日目に外来診察で病院に行く。久々の運転で、ちょっとビビりながら。採血をしてから外来で待つ。久しぶりに先生とのご対面。ここで初めて自分の手術の様子を聞く。ざっと4時間。当初麻酔も入れて6時間くらいと言われていたので、早かった。輸血はなし。貧血が改善されたので、間に合ったよう。

 病名は『上行結腸癌』、ステージは2a。遠隔転移、リンパへの転移はなし。切除した大腸の長さは25センチ。がんの大きさは35ミリということで、実際の写真を見た。あの時、大腸カメラで見たやつを開きにしたみたいな。傷の大きさはへその5センチくらい上から右の方にカーブしてへそを避けてその後また左にカーブしてざっと20センチの大きさとなった。このくらいの大きさの病巣になるには、どれくらいの期間がかかるのかと医者に聞いたところ、年単位のスケールです、と。そっか、そうだろうな~。この後、定期検査をしながら、注視していきましょうが結論である。

 自分はどんなことに遭遇しても冷静に受けとめ、的確な判断ができる人間になりたいと常々思って生きてきた。そうは言っても60年の人生で様々な間違いを犯し、反省し、それも生かせずまた失敗を繰り返しながらもなんとかまともに誠実に生きてきたつもりだった。そりゃ嫌いな人もいれば、わがままも言っても来た。ここまで生きてきてもまだまだ学ぶことは終わらない。2021年は、ほぼ一年ばあさんのがんに振り回され、さらにいろんなことを学ぶことができた。そして何とか看取った後に突き付けられた自分への現実。

 『がん』という言葉の持つ力、いくら早期発見は怖くないとか、今の時代医学の目覚ましい進歩できちんと治療できるとか言われたが、やはりあの言葉の破壊力のすごさだ。目の前は真っ暗になり、まじめに先のことを考えることは罪悪だと感じてしまう。今まで何の気なしに考えていた来年とか、再来年のことを口に出してもいいのだろうかと思ってしまう。

 医者の口から出る言葉は、手術はする。が、治るとか、大丈夫とか、だめとか、そういう類は一切ない。患者としては手術して一体どうなるんだろう?そこが心配の種で、不安で不安でしようがないが、そこへの言葉はない。考えてみれば当たり前だ。でも、頭に思い浮かぶのは『死』という文字だ。いくら取り払おうと思っても無理。その姿を見てきたばかりだし、いくら考えまいと思っても無理だった。自分を顧み、生と死をいやおうなしに考え、できることをするしかない。

 そんな状態で過ごしたこの期間を、これからどれくらいの寿命があるのかはわからないが、ものすごく貴重な経験をさしてもらったと思って生かさずにどうする。今や、日本人の二人に一人はがんにかかるということらしいが、やはり他人事だった。いや、考えてみるまでもなく、ばあさんにあたしのおばあちゃんに、親父にと。二人に一人は罹患している。人間明日はどうなるかわからない。何が起こるか誰にもわからない。病気だって、いつどんなものにかかるかわからない。この世の中だって、どうなるのか誰にもわからない。今のこんな状況をちょっと前まで、誰が想像できたか。この経験を生かしてなんぼ。病気は自分の今までの生き方を顧みる最大の処方箋な気がする。これぞ「人間万事塞翁が馬」だ。

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