![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/6f/c4b59ccac45815af05470acaa1667dcd.jpg)
さて、最近上映された映画の中に、満を持して(?)の「空海」がある。あのチェン・カイコー監督の!とか、日中共同!!とか、いろんなことを言われ、若干の不安要素を抱きながら、公開を待っていた。早速拝見したが、なるほど!!これはファンタジーだ。決して事実とか、歴史ものだとか、これで勉強~とか、思ってはならないことを再認識したところ。
映画に言及するつもりはさらさらないです。ただ、この頃の唐とか、玄宗皇帝とか、空海とかに興味を持たれた方がいらっしゃったら、ちょっとだけ、知識を後押ししたい・・。むくむくとそんな気持ちが沸き起こってまいりました。
てなことで、すっかり忘れ去ってしまったと思いますが、自分すら忘れていたお勉強コーナー、久しぶりの復活です。唐のお勉強をしましょう。
*唐とは(618~907)
中国の歴史の中で、隋のあとに建設された李家の王朝。大概、どこの国でも王家というのがあって、滅ぼされたり、再興したり、新しく建設されたりというのがあたり前で、この王家の変遷を勉強しなければならないのが世界史の面倒くさいところ。日本は、世界的に見ても珍しく王家の変更がなかった国で「万世一系」と言われるのがそこ。日本の方が稀有である。
唐は、三国志の頃からしばらく続いた分裂時代を統一した楊家の隋のあとに建設された。隋の二代目の皇帝は、かの有名な煬帝。聖徳太子の時代に、小野妹子さんと丁々発止をした人物として有名。しかし、大規模工事や高句麗遠征などの強硬策を行い、民の反感を買ったために、民衆の反乱によって滅ぼされた。その先頭を切っていたのが、唐の創設者の李淵と、その息子の李世民だ。二代目の李世民は、名君とされ、中国の歴代の皇帝の中でも一二を争う素晴らしい皇帝とされている。
この辺を舞台にした映画にかの「少林寺」があるのですよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/59/9e64eacde7786480f202654ec80f9737.jpg)
しかし、三代目の皇帝の高宗の頃から、暗雲が立ち込める。全盛期は唐の領土を最大にするなど、血気盛んに活躍したが、晩年、皇后の則天武后に政務をとってかわられ、混乱を生じさせた。その後も息子の皇后による混乱が続いたために、この時期の女難の時代を「武韋の禍」と呼ぶ。
則天武后の頃のお話はあんまり思いつかなかったのですが、わがアンディ様の「王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件」なんてのがありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/81/6b13be759edfad10a691b6e8a384dae5.jpg)
この辺は諸説あって、男尊女卑の厳しかった時代に、使える女性が出てくると、たたかれるのは道理で、則天武后が善政を敷いたのか、悪政だったのか、見る人によって違ってくる。とにかく、女性がしゃしゃり出てくるのは、男社会にとっては許されない事なんで、この混乱状態を終息させなければならない。それを収めたのがもう一人の名君と言われる玄宗皇帝だ。
*玄宗皇帝(685~762 位712~756)
唐の実質六代目の皇帝。則天武后の孫にあたる。混乱状態を終息させ、ちょっと緩んでいた律令体制を立て直した名君と言われた。奥様に対しても一途で、武恵妃を大事にしたと言われる。その妻を亡くし、がっくりやる気をなくしてしまった・・・とされているが、なんとも情けない。
男のやる気は女(?)、という事らしく、次の寵妃を探した玄宗の目に留まったのが、実は息子の奥さんだった楊玉環(のちの楊貴妃)。まさか、息子の嫁さんをぶんどるわけにもいかず、いったん彼女を寺に入れて、その後還俗させて、貴妃にしてしまった。おい、親父・・・。まあ、この辺の行いから考えると、だんだんやばい方向に行ってるというのも分からないでもない。
貴妃となった玉環ちゃんに対する尋常でない愛情の注ぎ方。政務には出てこないは、早馬走らせて、無理な注文も叶えちゃうは、いろんな話が伝わっている。
*楊貴妃(719~756)
男尊女卑の時代だし、中国も日本も女性の名前が伝わっているというのは、なかなかないのだが、彼女場合、玉環という名前が知られている。その辺からして別格(?)。かつ、よくわかっていないというのも事実であり、百貫デブ~という話や、得も言われぬ匂いを発していた~とか、一人で歩けないほど豊満だったのに踊りだしたら目が離せない~とか、いろんな伝説があるのだが、とにかく魅力的だったというのは、間違いがない。唐の時代の美女の基準はとにかく豊満であること。その前の時代は、スレンダー美女が流行だったのだけど、安定した時代は、ふくよかな女性が好まれたのかもしれない。
玄宗皇帝との年齢差は34歳。年の差婚も極まれり・・・みたいな状況には変わりない。
もちろん、うちの村のおねえちゃんが出世した~なんて話があったら、いきなり親戚が増えるのはどこでも同じで、彼女にあやかって有象無象の人間が群がったという。その結果、一族として権勢をふるったのが楊国忠である。いきなりポッと出てきて、権勢をふるい、玄宗皇帝の評判を落としてしまった。
*安禄山(705~756)
もう一人の有名な登場人物がこの人。何で有名かというと、とにかく強かった。ソグド系というので、今のイラン人っぽい。玄宗皇帝の手柄の一つである、辺境を治める節度使となった。今でいう最強軍団の司令官みたいなものだ。その力を背景にどんどんとのし上がって出世していった先でぶつかったのが、もう一人の成り上がりの楊国忠だった。
安禄山も楊貴妃に取り入り出世。もう一人の奸物・楊国忠。二人の対立は国をはたまた混乱させる。二人の権力争いから安禄山は乱を興し、挙兵する。これが「安史の乱」(755~761)である。洛陽・長安を占領された皇帝は、逃亡を余儀なくされるが、その過酷な逃げ道の途中、兵の不満を抑えるために、泣く泣く楊貴妃を殺したのだった。自分たちがこんな目にあったのはかの楊貴妃のせいだ!!と兵たちが叫ぶのを抑えられなかったのだった。
楊国忠のこの混乱の中で殺され、安禄山も長安を占領するも、病気になり息子に殺されてしまう。
*阿倍仲麻呂(698~770)
さて、映画の中で阿部ちゃんが演じていたのが仲麻呂。アベちゃんつながり。遣唐使として唐に渡ったのが717年と言われる。この時一緒に唐に行った人物に、奈良時代の有名な政治家の吉備真備や、僧の玄昉がいる。彼らは、大仏建立で有名な聖武天皇に仕えた。片や阿倍ちゃんは、才能にあふれ、玄宗に重用されたという。何度か日本に帰ろうと試みるが、見事にすべて失敗。結局唐で客死する。
世界で一番難しい試験と言われる科挙にも合格しているので、いかに頭がよかったのかは言うまでもない。阿倍ちゃんが詠んだ歌として名高いのが百人一首にもある「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b7/653114cd265270feb51dcb6cf6264f36.jpg)
*李白(701~762)
唐代随一の詩人。一時玄宗に仕えていたので、あの宴にいたのはおかしくない。彼の作風は自由奔放で、生涯放浪生活を送っていたという。同時期に活躍した杜甫は、かったい聖人みたいなところから、「詩聖」と呼ばれたが、李白は世俗を超越した「詩仙」と呼ばれた。
*白楽天(白居易)(772~846)
唐後期の詩人。玄宗皇帝と楊貴妃の2人の愛を詠った「長恨歌」が、もちろん超有名。2人の物語が長く言い伝えられるようになったのも、この歌のおかげだ。年代的には空海ともろかぶりなんで、2人の邂逅はあったかもしれない。
*空海(774~835)
主人公(?)の空海が唐に渡ったのは、804年の事である。この辺で、全く年代的に合わないので、この物語はファンタジーと考えましょう。一介の沙門だった空海が、なんで遣唐使船に乗れたのか、詳しいことは分からないらしいが、同じときに渡った中に、最澄がいる。すでにエリートとして評価を得ていた最澄と比べられるが、最澄は秀才タイプ、空海は紛れもない天才。彼の天才ぶりは宗教界だけでなく、測量や錬金、薬学、土木までも及んだ。おまけに達筆で、語学の天才。とにかくすごい人で、日本史上でも、一二を争う天才が理解し、受け継いだものを、われわれ凡人が理解しようとしても、難しいのかもしれない。
以上、中国の中でもとっても派手で面白い時代です。興味がありましたら、「王朝の陰謀」なぞをぜひ。独断と偏見のページでした。
映画に言及するつもりはさらさらないです。ただ、この頃の唐とか、玄宗皇帝とか、空海とかに興味を持たれた方がいらっしゃったら、ちょっとだけ、知識を後押ししたい・・。むくむくとそんな気持ちが沸き起こってまいりました。
てなことで、すっかり忘れ去ってしまったと思いますが、自分すら忘れていたお勉強コーナー、久しぶりの復活です。唐のお勉強をしましょう。
*唐とは(618~907)
中国の歴史の中で、隋のあとに建設された李家の王朝。大概、どこの国でも王家というのがあって、滅ぼされたり、再興したり、新しく建設されたりというのがあたり前で、この王家の変遷を勉強しなければならないのが世界史の面倒くさいところ。日本は、世界的に見ても珍しく王家の変更がなかった国で「万世一系」と言われるのがそこ。日本の方が稀有である。
唐は、三国志の頃からしばらく続いた分裂時代を統一した楊家の隋のあとに建設された。隋の二代目の皇帝は、かの有名な煬帝。聖徳太子の時代に、小野妹子さんと丁々発止をした人物として有名。しかし、大規模工事や高句麗遠征などの強硬策を行い、民の反感を買ったために、民衆の反乱によって滅ぼされた。その先頭を切っていたのが、唐の創設者の李淵と、その息子の李世民だ。二代目の李世民は、名君とされ、中国の歴代の皇帝の中でも一二を争う素晴らしい皇帝とされている。
この辺を舞台にした映画にかの「少林寺」があるのですよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/59/9e64eacde7786480f202654ec80f9737.jpg)
しかし、三代目の皇帝の高宗の頃から、暗雲が立ち込める。全盛期は唐の領土を最大にするなど、血気盛んに活躍したが、晩年、皇后の則天武后に政務をとってかわられ、混乱を生じさせた。その後も息子の皇后による混乱が続いたために、この時期の女難の時代を「武韋の禍」と呼ぶ。
則天武后の頃のお話はあんまり思いつかなかったのですが、わがアンディ様の「王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件」なんてのがありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/81/6b13be759edfad10a691b6e8a384dae5.jpg)
この辺は諸説あって、男尊女卑の厳しかった時代に、使える女性が出てくると、たたかれるのは道理で、則天武后が善政を敷いたのか、悪政だったのか、見る人によって違ってくる。とにかく、女性がしゃしゃり出てくるのは、男社会にとっては許されない事なんで、この混乱状態を終息させなければならない。それを収めたのがもう一人の名君と言われる玄宗皇帝だ。
*玄宗皇帝(685~762 位712~756)
唐の実質六代目の皇帝。則天武后の孫にあたる。混乱状態を終息させ、ちょっと緩んでいた律令体制を立て直した名君と言われた。奥様に対しても一途で、武恵妃を大事にしたと言われる。その妻を亡くし、がっくりやる気をなくしてしまった・・・とされているが、なんとも情けない。
男のやる気は女(?)、という事らしく、次の寵妃を探した玄宗の目に留まったのが、実は息子の奥さんだった楊玉環(のちの楊貴妃)。まさか、息子の嫁さんをぶんどるわけにもいかず、いったん彼女を寺に入れて、その後還俗させて、貴妃にしてしまった。おい、親父・・・。まあ、この辺の行いから考えると、だんだんやばい方向に行ってるというのも分からないでもない。
貴妃となった玉環ちゃんに対する尋常でない愛情の注ぎ方。政務には出てこないは、早馬走らせて、無理な注文も叶えちゃうは、いろんな話が伝わっている。
*楊貴妃(719~756)
男尊女卑の時代だし、中国も日本も女性の名前が伝わっているというのは、なかなかないのだが、彼女場合、玉環という名前が知られている。その辺からして別格(?)。かつ、よくわかっていないというのも事実であり、百貫デブ~という話や、得も言われぬ匂いを発していた~とか、一人で歩けないほど豊満だったのに踊りだしたら目が離せない~とか、いろんな伝説があるのだが、とにかく魅力的だったというのは、間違いがない。唐の時代の美女の基準はとにかく豊満であること。その前の時代は、スレンダー美女が流行だったのだけど、安定した時代は、ふくよかな女性が好まれたのかもしれない。
玄宗皇帝との年齢差は34歳。年の差婚も極まれり・・・みたいな状況には変わりない。
もちろん、うちの村のおねえちゃんが出世した~なんて話があったら、いきなり親戚が増えるのはどこでも同じで、彼女にあやかって有象無象の人間が群がったという。その結果、一族として権勢をふるったのが楊国忠である。いきなりポッと出てきて、権勢をふるい、玄宗皇帝の評判を落としてしまった。
*安禄山(705~756)
もう一人の有名な登場人物がこの人。何で有名かというと、とにかく強かった。ソグド系というので、今のイラン人っぽい。玄宗皇帝の手柄の一つである、辺境を治める節度使となった。今でいう最強軍団の司令官みたいなものだ。その力を背景にどんどんとのし上がって出世していった先でぶつかったのが、もう一人の成り上がりの楊国忠だった。
安禄山も楊貴妃に取り入り出世。もう一人の奸物・楊国忠。二人の対立は国をはたまた混乱させる。二人の権力争いから安禄山は乱を興し、挙兵する。これが「安史の乱」(755~761)である。洛陽・長安を占領された皇帝は、逃亡を余儀なくされるが、その過酷な逃げ道の途中、兵の不満を抑えるために、泣く泣く楊貴妃を殺したのだった。自分たちがこんな目にあったのはかの楊貴妃のせいだ!!と兵たちが叫ぶのを抑えられなかったのだった。
楊国忠のこの混乱の中で殺され、安禄山も長安を占領するも、病気になり息子に殺されてしまう。
*阿倍仲麻呂(698~770)
さて、映画の中で阿部ちゃんが演じていたのが仲麻呂。アベちゃんつながり。遣唐使として唐に渡ったのが717年と言われる。この時一緒に唐に行った人物に、奈良時代の有名な政治家の吉備真備や、僧の玄昉がいる。彼らは、大仏建立で有名な聖武天皇に仕えた。片や阿倍ちゃんは、才能にあふれ、玄宗に重用されたという。何度か日本に帰ろうと試みるが、見事にすべて失敗。結局唐で客死する。
世界で一番難しい試験と言われる科挙にも合格しているので、いかに頭がよかったのかは言うまでもない。阿倍ちゃんが詠んだ歌として名高いのが百人一首にもある「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b7/653114cd265270feb51dcb6cf6264f36.jpg)
*李白(701~762)
唐代随一の詩人。一時玄宗に仕えていたので、あの宴にいたのはおかしくない。彼の作風は自由奔放で、生涯放浪生活を送っていたという。同時期に活躍した杜甫は、かったい聖人みたいなところから、「詩聖」と呼ばれたが、李白は世俗を超越した「詩仙」と呼ばれた。
*白楽天(白居易)(772~846)
唐後期の詩人。玄宗皇帝と楊貴妃の2人の愛を詠った「長恨歌」が、もちろん超有名。2人の物語が長く言い伝えられるようになったのも、この歌のおかげだ。年代的には空海ともろかぶりなんで、2人の邂逅はあったかもしれない。
*空海(774~835)
主人公(?)の空海が唐に渡ったのは、804年の事である。この辺で、全く年代的に合わないので、この物語はファンタジーと考えましょう。一介の沙門だった空海が、なんで遣唐使船に乗れたのか、詳しいことは分からないらしいが、同じときに渡った中に、最澄がいる。すでにエリートとして評価を得ていた最澄と比べられるが、最澄は秀才タイプ、空海は紛れもない天才。彼の天才ぶりは宗教界だけでなく、測量や錬金、薬学、土木までも及んだ。おまけに達筆で、語学の天才。とにかくすごい人で、日本史上でも、一二を争う天才が理解し、受け継いだものを、われわれ凡人が理解しようとしても、難しいのかもしれない。
以上、中国の中でもとっても派手で面白い時代です。興味がありましたら、「王朝の陰謀」なぞをぜひ。独断と偏見のページでした。
こういう歴史的な背景を教えと欲しかったな~と思っていました。
確かにこの映画「空海」は、歴史的な背景のないファンタジーです。
夢枕獏の物語ですから。
でも、少しは歴史的な事実も分かっていて見てみたかたったな!と思っていました。
ですから、待ってました!\(^o^)/ということです。
ありがとうございます!
また機会があれば、「映画歴史講座」やりたいと思っています。
忙しい桜井先生のことですから、難しいかな?!(^^)
今、ちょっとだけ時間あるんで。
3年生が卒業して、わずかなひと時ですわ。
まあねえ、わかるんだけど、あまりにはちゃめちゃで、気分がなえてしまいました。
次は、マハーバーラタでも書こうかしら~です。
読んでいて心満たされました。やっぱり映画話は楽しい…。
歴史講座~~(言葉にならない間)~~絶対参加したい!
何の気なしに見た「トゥーム・レイダー」とかも、邪馬台国だったりして、なんじゃこれは!で又語りたいです。
時間と場所さえあったら、やりたいのですけどね~。