第44弾をお届けします。
<~(し)よる>
作家の山口瞳(故人)のエッセイで、嫌いなものが2つあるというのを読んだ記憶があります。こちらの方です。
ひとつは、「リンゴの唄」(終戦直後の流行歌)。理由の説明はありませんでした。
で、もうひとつが、「大阪的なるもの」です。大阪人、大阪弁、阪神タイガースのことなどを、こきおろしていたのを思いだします。
「リンゴの唄」はともかく、「大阪的なるもの」への嫌悪は、江戸っ子の粋、東京人なりの美学と相容れない、性に合わないということだったのでしょうね。
さて、そんな山口が、嫌いな大阪弁の代表としてやり玉に挙げていたのが、「いのきよる」という言い回し。「いのく」というのは、「動く」の意。どういう文脈かは忘れましたが、死んだと思ってた虫かなんかがモゾモゾ動くのを見て、「なんや、コイツ、「いのきよる」で」のような用例だったと思います。
動詞につく「よる」ですけど、大阪人にとっても、これが、なかなかのくせ者。
さっきの例だと、軽い驚きと同時に、たかが虫なのに「生意気にも」動いてるぞっ、という上から目線が感じられます。
「向うから、目つきの悪い犬が「来(き)よる」で。気ぃつけや」
これなんかは、犬に対する気味の悪さとか、警戒心が働いてると解釈できる。
「アイツ、こんな遅い時間に、ちゃらちゃらと「出かけよる」けど、どこぞに、ええ女でも出来たんかいな」
う~ん、これなんかだと、アイツへの不審の念と、多少のやっかみが入ってますな。
なんか、ネガティブな用例が続きましたけど、こんな使い方もあります。
「ウチの孫ゆうたらな、ワシの顔を見るたんびに、「ジージ、ジージ」ゆうて、「寄って来(き)よるねん」」ただのジジ馬鹿ですけど、孫のかわいさ、けなげさへの思いが言わせるんでしょうなぁ。
とまあ、いろいろ用例を並べてみて分かるのは、その対象への感情移入が基本にあるということでしょうか。
事実(虫が動く、犬が来る、アイツが出かける、孫が寄ってくる)を淡々と述べるだけでなく、そこに話し手の気持ちをちょっと込める・・・その気持ちの幅が、ポジティブなものから、ネガティブなものまで、幅広いのが特徴です。
アバウトな大阪人が、いちいちそんなことを意識して使ってるとは、思えませんが、器用に使いこなしてます。
<嵩(かさ)が高い>
嵩(かさ)という言葉があります。「嵩張る」という言い方があるように、モノの体積、容量などを指します。「雨で川の「水かさ」が増えてきた」などという言い回しもおなじみです。
さて、大阪弁では、人を評して「嵩が高い」という言い方があります。
体がデカい、という意味じゃないんですね。絶えず家の中をうろうろしたり、作業らしきものをしてたり、一向に落ち着きがない。その行動、振る舞いが鬱陶しくて気に障るーーそんな人物を評して「嵩の高いヤツやな」と決めつける、これが第一の用法でしょうか。
行動的というわけではないが、思い出したように「お~い、お茶」とか「飯まだかぁ」とかの御下問があったり、「夕刊来てるか見てきて」などとにかく要求が多い。居るだけで煩(わずら)わしくて手がかかる面倒な存在・・・それをを指すのがもうひとつの用法ということになりますかなあ。事実、そんな大阪人が多いような気がします。
いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。