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第434回 水木センセイの不思議体験

2021-08-13 | エッセイ

 マンガ家の水木しげるといえば「ゲゲゲの鬼太郎」などの妖怪マンガです。でも、ご自身の悲惨な戦争体験やら、古今東西の奇人、変人、怪人の伝記など幅広いテーマに取り組んでこられ、私も愛読したものです。
 最近、「水木しげるの不思議旅行」(中公文庫)を読んで、私の「不思議なこと好き心」が久しぶりに刺激を受けました。ご自身の不思議な体験のいくつかをご紹介することにします。

<不運の家>
 氏が子供の頃、近所に古い空き家があって、どういうわけか、そこに入居する人を不運が襲います。「不運といっても病気などという生やさしいものではなく、”爆発”とか”死”という、激しい不運に見舞われる」(同書から)というのです。5ページほどにわたって克明に書かれた10件ほどの事例(いずれも氏が見聞きし、克明に記憶しているものです)のうちいくつかをご紹介します。

・ある船員は、50トンくらいの漁船に紛失物を探しに行ったところ、その漁船が突然大爆発を起こし、船体はまっ二つ、船員は船底に「小判鮫のようにへばりついて死んでいた」(同書から)といいますから、すさまじいです。
・岡山県から来た農家の一団の目的は、沈没船の金塊探しでした。1月たっても2月経っても金塊は出てこず、殺人には至らなかったものの刃傷事件を起こしたといいます。
・ある漁師は、入居したとたん、地元の古親分から、「おまえだけに」との約束で、秘密の漁場を教えてもらいます。ところがその船員は酔った勢いで秘密を漁師仲間にバラしてしまいました。その漁場に漁船が集まるのを見た親分は怒り心頭、「ぶっ殺してやる」との騒ぎになります。男は恐怖のあまり7日間ほど船底に隠れていましたが、ウイルス性の病気にかかり、発見されてすぐに亡くなりました。
 いずれも偶然の一致と思いたいですけど、怖いですね。

<戦場で生死を分けるもの>
 氏がラバウルなど南方の島々で従軍していたことはよく知られています。苛酷な日々の中では、ちょっとした運、不運が生死を分けることがあります。

・ワニのいる川を戦友と二人、小舟で渡っていた時のことです。戦友の軍帽が風に飛ばされ、拾おうと川に手を突っ込みました。あっという間に、ワニに水中に引きずりこまれ、2、3日後に下半身だけの遺体が川の上流から流れて来たといいます。「反対にぼくの帽子が飛んでいれば、今ごろ、こんな文章を書いているわけもない。」(同書から)

・徹夜の不寝番に立った氏が、朝になり、兵舎に戻ろうとした時のことです。何百羽というオウムが飛び回っているので、思わず10分間ほど見とれていると、猛烈な銃撃音が聞こえてきました。米軍による一斉射撃で、兵舎にいた全員が死亡したといいます。ほんのちょっとした気持ちの余裕が命を救いました。

・銃撃を受け、片手を失くしておられますが、「すぐ近くに衛生兵がいて、止血してくれたから助かったのだ。あのとき、ほんの5分でも衛生兵がそばをを離れていたら、どう見たって出血多量で死んでいただろう。」(同書から)よくぞご無事で、と心から言いたくなります。

<「小豆(あずき)はかり」との遭遇>
 氏が知人と二人で北海道に出かけた時のことです。所用を済ませて、岩見沢まで戻って来た時には、随分遅い時間になっていました。手近な宿も見つかりません。やっと見つけた宿は、廃屋のような建物で、床、天井、壁が異様にゆがんで、めまいがするほどでした。眠ろうとするのですが、神経が高ぶって寝られません。
「そのとき急に、闇に波紋をひろげる物音がした。かすかな音はどうやら上の方から降ってくるらしい。天井裏で石ころをころがしていつような変な音だ。」(同書から)

 驚いて隣に寝ている友人を起こそうとするのですが、体が動きません。やっとのことで叫び声をあげて、友人のほうへ転がるように逃れたのですが、友人がいません。
 なんとか帳場に駆け込んで、急を知らせると、なんとそこには友人の姿がありました。友人もまったく同じ体験をしていたのです。宿の主人の言葉です。
「気にせんこった。「小豆はかり」が住んどるが、別に悪さをするわけじゃねえんだから。恐ろしがらんでもええ」(同書から)水木の描く「小豆はかり」です(同)

 ふたり同時に体験してますから、信憑性は高いですね。それにしても、妖怪の専門家たる水木センセイの怖がりように(不謹慎ながら)頬が緩みました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。