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第354回 江戸の難解俳句を楽しむ

2020-01-24 | エッセイ

 俳句は十七文字に思いを込めますから、時に、いろんな読み方、解釈が可能だったりします。まして、江戸時代の俳句となると、観賞するにも、時代風俗、習わしに加えて、当時の文人にとっての教養である古典の知識なども必要となることが多そうです。

 芭蕉の有名な門人に其角(きかく。姓は宝井、母方の榎本とも)がいます。

・闇の夜は吉原ばかり月夜かな
・夕すずみよくぞ男に生まれけり
・我が雪と思へばかろし笠の上

 などがおなじみの句ですが、文化十三年刊の「俳家奇人談」では、「其性たるや、放逸にして人事に拘らず、常に酒を飲で、其醒めたるを見る事なし」とありますから、大酒飲みで人付き合いも悪く、やっかいな人物であったようです。こんな画像が残っていて、いかにもと思わせます。

 さて、そんな其角の作品の中から、今では難解となっている句の解釈に作家の半藤一利氏が挑んだのが「其角と楽しむ江戸俳句」(平凡社ライブラリー)です。古典的教養を必要としない市井の風俗を扱ったジャンルで、「難解な句」を、彼のガイドで読み解いていくことにします。
 
<御秘蔵に墨をすらせて梅見哉>
 「御秘蔵」をどう解するかがポイントです。前書きに「四十の賀し給へる家にて」とあるのがヒントになります。お分かりですか?
 四十歳を迎えた貴人の祝宴に招待された其角。家の主から、こいつに、とご寵愛の妾を指しながら、墨をすらせるから、一句詠めとのリクエストでも出たんでしょう。「御秘蔵」というからには、とびきりの美人に違いありません。そんな相手へのあてつけ、反骨ぶりも読み取れる一句です。

<朝ごみや月雪うすき酒の味>
 「朝ごみ」で氏もだいぶ苦労したようですが、当時の島原遊郭でのルールと分かりました。ここでは、夜10時になると惣門を閉じて、昼間の客を帰し、泊まりの客だけを残します。午前4時に門を開き、泊まりの客と、朝ごみ(朝から登楼する)客とを入れ替えるのです。
 早朝割引みたいなものもあったのでしょうか、明け方に人目を忍ぶように、慌ただしく、ちょんの間を楽しむ・・・・月とか雪などの風流とは無縁の世界です。其角の通人、遊び人ぶりを窺わせます。

<日本の風呂吹きといへ比叡山>
 風呂吹きといえば大根です。厚切りの大根をよく煮込んだのをフーフーいいながら食べるのが美味しいです。その昔、浮世風呂で、湯女(ゆな)が、湯気の立っている客の体に息を吹きかけて垢を落とすサービスがあり、これを「風呂吹き」と称したのがいわれとされます。
 とそこまではいいのですが、なんで比叡山なんでしょうか。天台宗の総本山延暦寺がありますが、ここはかつて「天台根本三千院」と呼ばれていました。「台根」ー>「大根」というのが、氏の読み解きです。言葉遊びだったんですね。なるほど。

<鐘つきよ階子(はしご)に立ちて見る菊は>
 江戸市中には、9カ所の公認鐘つき場があり、2時間ごとに鐘をついて、時を知らせました。その役目を担う男に呼びかけた何気ない句のようですが、氏の読みは深いです。これは明け方の鐘に違いない。おおかた、其角は敵娼(あいかた)と枕を並べて聞いていたのではないか。あっちは朝早くからご苦労様ねぇ、などと睦言を交わしながら・・・・私も賛成です。

<窓銭のうき世を咄(はな)す雪見かな>
 「窓銭(まどせん)」というのは、殿様が財政難対策として、窓に税金をかけたものです。南向きの窓ひとつで、米2升とられたといいますから、そこそこの負担だったはず。其角の時代にはありませんでしたが、庶民の記憶には残っていたのでしょう。長屋住まいで、窓を開ける壁もない、カネもない、などと御政道への不満をこぼす姿が目に浮かびます。

<涼風や與一をまねく女なし>
 前書きには、戦さの絵が描かれた扇への讃を求められて、とあります。与一で親しんできましたが、與一とは、「那須与一」のこと。平家の方から漕ぎ出した小舟に若くて艶やかな女が乗っている。竿に挟んだ扇を立てて、「これを射よ」とばかりにさし招く。平家物語の有名なエピソードです。
 扇からの連想ですが、そんないい女いるわけないよな、と自虐句の趣きです。

<酒ゆえと病を悟る師走かな>
 最後は説明不要の句。酒好きの方へ、そして私自身への自戒の念も込めて贈ります。くれぐれもご自愛ください。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。