お店のマスターが採ってきたアカザのタネを集めたビンの中に、2~3ミリほどの小さい虫がいます。「あっ、クモだ」と目ざとく見つけたマスターが天眼鏡を覗いて「これは、ハナグモだな」とのご託宣。
「さすが、日本蜘蛛学会の会員だけあってスゴいですねぇ。それにしても、こんな小さなクモでも巣を張るんでしょ。生命(いのち)の営み、進化の不思議を感じますね」と私も応じて、しばし、そんな話題で盛り上がりました。
「進化」というのは今でも「仮説」です。でも、いろんな生物の姿、形を思い浮かべると、膨大な時間の中で、様々に変化したり、枝分かれしてきたのだろうなと、実感を持って想像できます。
そして、その大きな原動力が遺伝子の「突然変異」である、と中学校で習いましたし、今でも基本的には定説のようです。
でも、動物学者である日高敏高氏の「生きものの世界への疑問」(朝日文庫)を読むと、ことはそれほど簡単ではなく、謎に満ちていることが分かります。
アメリカの研究者マラーが、X線照射などで、突然変異を人工的に誘導できることを発見したのが、1946年のことです。これをきっかけに、研究が本格化しました。
現在、研究が進んでいるキイロショウジョウバエだけで、何百という突然変異が知られていて、その変異が染色体のどの位置に起こった遺伝子突然変異によるものかなどが、解明されています。
ですが、これらの突然変異は、あくまで、キイロショウジョプバエという「種(しゅ=生物分類上の最下層で、同種間で交配、生殖能力を共有するもの)」の中でのことです。あらたな「種」を生み出した例は、ひとつもないというのです。こんなハエです。
遺伝子にちょこちょっと変異が起これば、あらたな「種」が生まれるはず・・・・と考えがちですが、それがいかに困難かを、日高は数字を挙げて説明しています。それによれば・・・・
X線など人工的な手段を使わなければ、突然変異の出現率は、10の4乗から10の8乗個体にひとつ、というのが普通です。
仮に、10の4乗の出現率を採用し、新しい種が生まれるために、300の突然変異が必要だと仮定すると、それが、「同時に」起こる可能性は、10の1200乗(=4×300)分の1、というとてつもないものになります。
地球の歴史を50億年としても、「たった」10の9乗のオーダーですから、いかに可能性が低いか、というより、「ありえない」というのが日高先生の説明です。
例えば、私たちヒトは、チンパンジーやゴリラなどの類人猿から「進化」してきたと教わってきました。確かに、身近には感じますけど、それらの類人猿の姿、 形、振る舞いを見るにつけ、何百万年とか経って、ヒトになる可能性はあるか、と訊かれた時、私の答えは”NO”になります。
「毛3本」以上の本質的な違いがあるよう思えてなりません。じゃあ、果たして、ヒトはどんなプロセスで出現したんでしょうか?謎は深まるばかりです。
もちろん、日高先生にも答えはありません。でも、私自身の知的興味が大いに刺激され、目からウロコの問題提起と受け止めました。
でも、世の中にはいろんな事を考える人がいるものですね。先ほどの問題への答えになるかどうか、とても私の手には余りますが、こんな説があります。
英国の天文学者ホイル卿と、ウィックラマシンジ氏の共著「生命は宇宙から来た」(光文社)によると、地球で発見された最も古い隕石には、すでに生命を持ったバクテリアの痕跡があることなどから、地球以前に生命が宇宙に存在していたと考えざるをえないと言うのです。
「あらゆる生物の各世代は、地球自体が存在していなかったはるかな昔から、いつもその一つまえの世代から生まれてきていたはずである。だとすれば、生命は地球よりも前から存在していた。つまり宇宙のどこかよその場所からやってきたのに違いないのである」(同書から)
今、地球にいる生物は、地峡誕生以後に、発生し、進化して来たという「地球規模」の発想へのアンチテーゼのような学説です。「宇宙的規模」で考えれば、あらゆる生物は生物として、はるかな昔から存在していた、というのですから、なかなか意表をつく壮大な発想です。
突き詰めれば、ヒトはヒトとして、遥かな昔から存在していて、遥か遠いところから、何かのきっかえで「たまたま」地球にやって来た・・・・トンデモ科学す れすれの説と言えなくもないです。加えて、どんな手段でやって来たのかの説明はありません。まさか、ノアの方舟に乗って、というわけでもないでしょう し・・・
でも、なんだか、キリスト教的世界観にも通じるところがあるようで、興味深い「説」には違いないですね。
いかがでしたか?次回をお楽しみに。