はまって3日続けてリンゴの赤ワイン煮を作った
簡単で美味しいのでご機嫌だったが
3日目の今日、ふと考え込んだ
今年の夏、大切に朝顔を育て
今や種を収穫せんという時期に来て喜んでいるが
その片方ではリンゴの種を捨てている自分
生ゴミもせめて土に還すくらいはしないといけないかな...
考えてゆくとそもそも「生ゴミ」という呼び方がおかしい
生ゴミとは生物の亡骸である
そして生物の亡骸は土に還り、土は生物を育てる
自分等もいずれ土に還り
誰かの栄養か何処ぞのエネルギーになる
アスファルトで覆われた都会でも可能だろうが
もう少し土のある場所ならもっと簡単に楽しく
全ての生ゴミは堆肥に出来る
捨てられたリンゴの種も皮も堆肥となり
次の世代の植物の栄養になってくれる
だから捨てるのではなく
土に還す
という概念を持たなければならないのだろう
考えて行くとこうして結局、土と水と太陽があれば
循環の中で生物は生きて行けることを知る事になる
土に還らない事と還る事を識別するだけでも
少しずつだが人間の傲慢さに気付き
そこから離脱出来るだろう
僕はそっちの方に惹かれる
生きてる間は肉体を維持すること本位の行動を否めないが
少しずつでも気付きを得ながら分をわきまえた中庸に近づければ良い