Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

大往生

2010-03-22 | ギターの栄養


今住んでる団地の自治会員なんです、僕

結婚して住み始めた途端に順番が回って来て
まだなんにもわからないのに、昨年一年やって
今年ももう1年ある

強制じゃないんだそうで、強力に断れば断れるかもしれないし
自治会費を集めに行くと(僕はそういう目にまだあったこと無いけど)
「なんで会費を納めなきゃならないのか」とゴネル家もあるようだ

昨年「順番だから」と言われて、しぶしぶ受けたばかりのとき
面倒臭いなぁと思っていたが
出席するうちに段々心地良くなってきた

東京は田舎に比べてカッチリとプライベートを保てるけど人情に欠ける部分がある

田舎は人情に厚いかもだけど、因習に縛られる部分もあるだろう


自治会という
強制力もない、言ってみれば親睦会のようなものに参加していると
すぐに近所の顔を憶えて、自然に挨拶が生まれて
プライベートを崩されない適度な人情が生まれるのが
どうも心地良いようなのだ


僕は疲れが溜まるとよく腰が痛くなる

一昨々日、朝に資源ゴミ出しの日
団地中の資源ゴミを収集車に運ぶ係に
僕は腰が痛くて出れないので妻に頼んだ

昨年は育児にいっぱいいっぱいだったので
一度も出席したことのない妻は、しぶしぶ出掛けて行った

そして帰って来た時には(案の定)
きらきらした表情で帰って来た


...やっぱり、ゴミ出し、楽しかったんだな...

団地の人らに「赤ちゃんは?」とか声かけてもらって
協力して収集車に運んで、山のように積み上げられたダンボールや雑誌なんかが
どんどん無くなってゆくのも気持ち良いし
あれほど避けて来たのに「また出たい」などとのたまわっている





この自治会で一緒になった高齢のお婆さんが二人いる

とても可愛らしいお婆さん


このところ自治会の集会でも顔を見なかったのだが
そのお二人のうちの一人が亡くなっていたことがわかった

この日、資源ゴミ係で出席した妻が聞いて来たのだ

一人住まいだったらしい



「じゃ、もう一人のお婆さんがいたでしょ?
白髪でオールバックの髪型の、
そのお婆さんは仲良かったから哀しんでいなかった?」と聞いたら
ぜんぜん哀しむような雰囲気ではなかったらしい

亡くなったお婆さんも、生きてるお婆さんも
どちらも大正生まれなんだそうだ

「もう何人も知り合いを送ってきたんだろうね
達観し切ってるっていうか...
なんかむしろ、明るく喋ってたよ」と妻

「明るくしなきゃ、って無理してたんじゃない?お婆さん」

「いや、そういうふうに見えなかったよ」



生きてるお婆さんは,亡くなったお婆さんのことを皆に話してたそうだ

「あの人はね、満州で生まれたのよ
あの李香蘭とも友達だって言ってたの」



僕は、死ぬということを今,想像すると
もっと寂しく、心細く
残されたもの達にも大きな悲しみがのしかかるようなイメージを持ってしまうが
歳をとってゆくと、身体のいろんなとこにガタがきて
頭も緩くなってきて
自分が死ぬということも、身近な人が亡くなるということも
弾力を持って受け止められるようになるのかもしれない


可愛いお婆さんは

生きてる方も
今回亡くなった方も
僕に哀しみを感じさせない

むしろ
日溜まりのような感覚を起こさせてくれる


自分が今生を終えるとき
家族が今生を終えるとき
友が今生を終えるとき

みんな身を切られるような孤独の中、その時を迎えるのだとしたら
僕はとても正視出来ないと思っていた

それに遭遇するのがとても恐かったが
赤の他人のお婆さんがほんのり教えてくれる


夫婦どちらか先に逝き
一人で残って最期を迎える人も
独身で今生を過ごし、最期を迎える人も
最後は日溜まりのような中で幕を閉じられそうだ

人間てうまく出来てる


強制力の全く無い、自治会という
なんだかモワッとした正体のない場所に正体無く参加して
なんだかいろんなものを貰っているように思う





お婆さん

今生でのお仕事、お疲れさまでした

ゆっくり休んでください









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