人間…というか
生物全般ということに結局はなるのだろうが
自分の一世代前、要するに「親」から受け継いだDNAを、寄り己の生存率が高くなる「生き方」を模索するように「初めから」プログラムされている。
例えば、私の父親は、彼の生きた時代の価値観に依る
「少しでも良い人生を送るため」に良い大学に入学卒業することに努力し、「良い就職先」という名の「給料の多い団体」に所属する権利を得ることに奔走し、所属した後も「その団体の中で少しでも高い報酬を得ることと、少しでも部下の人数が増えるポジション」に着くために努力した。
但し、その努力は「それらのポジションを得ること」にだけ特化されて行われたのではなく「自身の嗜好」をなるべく取り入れつつ、その両者のバランスの中で営まれ、またチャレンジされて来た。
その父親の元に生まれ育った私は、「父親の辿った道選び」と「彼の愚痴(こんなはずではなかったというようなマイナス言動)」とを合わせ観て、その道を同じようには辿らないようにした。それが生物のDNAに元からプログラムされた宿命であり、またこの人生での逃げることの出来ない「義務」であり「権利」でもある。
私が「生物の雄」であることから、まず同性である父親の目線から切り口を開いてゆくのだが、異性である「母親」に関しては後に考察したいと思っている。
論点を戻すとして
私が母体の中で受胎したその瞬間から、いずれこの世界に産み落とされるであろう私という1生物のDNAに組み込まれた人生のプログラムは、既に決定していたといえる。
一世代前の人生の「失敗」「苦難」などを繰り返さぬように道選びをするしかないようにプログラムされている。
そのことを指して「運命」だとか「宿命」だとか巷では呼ばれている。
私の父親は「最初から自分が生きた時代に効率的に高報酬を得られる道筋」を選択肢
その後に「その選択肢の中に自分の嗜好の場を極力盛り込もうとして」、
「彼の選択」なのか「努力の量」なのか「もっと根源的な人生を営むためのセンス」なのか分からないが、「うまくいかないことから愚かにも発してしまう愚痴」が在った。
なので当然、その一世代次の生物である私は
同じ道選びは避け「己の嗜好を最優先させる道選び」を選択した。
彼のその道選びを傍観し、私が今生で習得した最も大きなものは
「他者に迎合することにより己の嗜好を自ら軽んじぬために、敢えて空気を読まず世間や他者に迎合しない」という、父親とは正反対の道選びであった。
空気を読まず、群れからはぐれ者となっても
どこまで「己の嗜好」を貫く事が出来るか、というところが、親から引き継いだ「仕事」であり、また「親孝行」という意識さえ抱いていた。
今年還暦を迎え、多少の身体のガタ付きはあるにせよ
まだ寿命は継続出来ている中で
まぁ100%には程遠いとしても、心身を痛めつけ壊してしまう手前ぐらいまでは「その仕事」を全うしたように思える。
私にとってその試行錯誤の現場というのは具体的には「音楽」であり、また「音楽活動で生まれる人間関係の紆余曲折のドラマの中」にあったが
今年還暦を迎え、一生の中にはいろんな山谷が起こるものだが、コロナ渦による仕事現場の激変などもあり、ここまでの人生ではほぼ体験してこなかった「堅気」の副業を最近始めたのである。
そこに入ってまず面白かったのは
ずっと世間や他者に迎合しない道選びをして来た自分にとっては、テレビドラマの中だけだと思っていた人間模様が、リアルに目の前で毎日繰り広げられている事であった。
私の一世代前の生物である「父親」は、そういった人間模様に振り回され、自分の人生の選択肢に必ずしも満足してないことを私に愚痴り続けた一生物である。
現在までその二の舞を踏まないよう生きて来た私にとって
今体験しているテレビドラマのような人間模様は
ただただ面白いのである。
それは疑いもなく「己の立ち位置が俯瞰の場に置かれている」からであろうと思う。
遥か太古の私の祖先から悠久の時を経て、一体私は何世代目の生物なのか…わかろうはずもないが
たかだか一世代前の父親から見て
こんな私は多少なりとも「進化出来た生物」と思って良いのか…
そう思うことすら、この世界の全体から俯瞰すれば
烏滸がましい事なのか…
現在、自然界を観察し「人間も植物も同じDNA的選択肢をしながら命を営んでいる」と感じ悟った自分の拙い目線から記してみれば
たかだか一世代前から受けつういだ仕事を60年かけて全うした感があるとしても
それは我が家のベランダの植物が、ほんの数日の間に僅か数センチ枝葉を伸ばしたことと何ら変わり無いことであろうと思う。
その伸ばした枝葉が日の当たる場所に出る事が出来るか
それとも日陰の方向なのか
目のない植物には分からない
そして大自然の摂理の中では人間も目のない植物と同じ
私の今生の切磋琢磨も
個としての私の目線からすれば大きな意味を持つが
全なる存在の前では
ただ或る日の或る瞬間にほんの少し吹いただけの微風でしかない
しかし微風であっても
風は心地よさを与えてくれる
徒然なる秋の夜長の
物思い的雑記である