あの人に言い忘れたことがある気がする
でもそんなもの
ホントはない
だけど...やっぱり言い忘れたことがある
そういうものを現実で、いつまでも言わず
心の中でジュクジュクと想い続けて
何か名前の付かないものを熟成させてゆくことが
僕は結局好きなようだ
僕の音は
そんなものが形を変えただけのもの...
それが僕から離れると
もう、それは更にいろんなものに形を変えていろんな人に届く
届き方が気に入らなかった人は
「届かなかった」なんて言ったりもする
届かせられなかった、と思っていても
勝手に届いてる場合もある...
『甲が空間に一線を劃する。
乙がそれに続けて少し短い一線を画く。
二つの線は互いにある角度を保っているので、これで一つの面が定まる。
次に、丙がまた乙の線の末端から、一本の長い線を引く。
これは、乙の線とある角度をしているので、乙丙の二線がまた一つの面を定める。
しかし、この乙丙の面は、甲乙の面とは同平面ではなくて、ある角度をしている、
すなわち面が旋転したのである。
次に、丁がまた丙の線の続きを引く。
アンド・ソー・オン。
長、短、長短、合計三十六本の線が
春夏秋冬神祇(じんぎ)釈教(しゃっきょう)恋(こい)無常(むじょう)を座標とする多次元空間に、
一つの曲折線を描き出す。
これが連句の幾何学的表示である。
あらゆる連句の規約や、去嫌(さりきらい)は、
結局この曲線の形を美しくするために必要なる幾何学的条件であると思われる。』
これは寺田寅彦のエッセイ
僕は、自分のプレイの出来映えの善し悪しに振り回される事無く
プレイが織りなす全ての作用を
良いも悪いも
こんな「多次元的な美しさ」として捉えてみたい
なんて思うのだ