am3時半
7/7のソロライブの独奏曲の仕込と平行して
西ぶらりツアーの曲の用意をしていたら
膨大な曲数になってしまった
といっても、その半分は
僕の友人がマスターである新見のカバティーナでの
遊びセッション用なのだが
カバティーナのマスターと僕は
2人ともそれぞれ悪ノリ大好きっ子なので
遊びとなるとつい本気モードになってしまう
因にこの厚手のファイルに満タンで入りきらず
更に別ファイルにも入れた
それから
以前ブログに載せたギタリスト鈴木さんとのガットのduo
新見カバティーナで長いメドレー曲を1曲
初お披露目となりそうだ
ガット2台のアンサンブルには
かなりの可能性が内在されていると僕は思ってる
早くこのユニットで全国を廻りたい
これらの曲数に加えて
7/7のソロライブ用の独奏曲を20曲近く
身体にしっかり入れねばならない
これはかつて体験したこと無い曲数...
やれるのか…
まぁ何とかなるか
。。。。
そうこうするうち夜が明けた
4時半
やはり昨日の蕾が2つ咲いていた
そして早くももう朝顔の種が出来ている
僕の脳は曲を身体に入れるので
長期間ずっとフル稼働し続けて膨満感この上ない
ただ
フォーマットが既に整っている演奏形式に関しては
処理速度がずいぶん速くなっているので
スキルは上がっていることは間違いないようだ
この膨満感は
未知のフォーマットを処理し続けていることから
来ているのだろう
HDと同じで
マシンが発熱し過ぎるとバグってフリーズしたり
脳内の演奏アプリが落ちたりするので
本番でそうならないように
少し緩慢なスタンスで仕込んでいる
僕にとって独奏でのソロライブはまだまだプレッシャーなので
絞り込めるだけ仕込みたいが
それをやり過ぎて過去に脳がバグリ
演奏が真っ白になって止まったことが数度ある
ああいう体験は2度としたくないが
曲数の多い独奏ライブには
いつまで経ってもそういった危険が潜んでる
この不安の中で逃げずに進んで行くうちに
結局は自分のスキルが上がっていたことに
後になって気付くのだ
以前は自分がブレていた場面で
ブレが無くなっていることに気付いたりする
何度も同じようなことをブログに書いて来たとは思うが
やはり払拭すべきは精神内の「怖れ」
大勢の他者の前で自分の思うことを表現するのは誰でも恐ろしい
何故なら人間は誰でも皆
自分がオンリーワンでありたい生き物だから
自分が放ったメッセージは必ずまず
他者に依って品定めをされ是非を評される
そこで否定されることに抱く恐ろしさを野放しにしておくと
そこが迎合の温床になり世間に媚びることになる
戦うべきは他国ではなく自分の中の「怖れ」である
怖れている人の放つ音は必ず騒々しい
真理を見切っている人の音は
たとえハードロックでも滑らかで愛に満ちている
最近...徹夜明けの早朝に
どうも...哲学モードになるようだ
。。。
7時
。。。
16時
しとしと…
雨の風景
今日も別のト音記号
種
ゴーヤは
花の咲く茎の根元にだけ丸っこい葉が付く
小さな実とアリンコ
萎んだ花にまだ甘い蜜が残ってるのかな
お話
全員集合
。。。
18時
雨の風景2
人工栽培は別として
自然の四季の中では
梅雨はキノコが生えるんだな
始めて知った
そうそう
なべくら高原 森の家さんは
前日の夜、21日もキャンドルコンサートをやることになった
これは楽しみ
青空をバックも鮮やかでいいですが
雨の日も いいもんですね。
くれぐれも間違って毒キノコは食されませんように。