Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

良かったライブのこと

2009-08-17 | ギターの栄養
あらためて昨日のJJでのライブは良かった
気付くと昨日のことを考えている…

ピアノの小林くんには独奏の世界があり
僕にも独奏の世界がある

まだまだ未熟かもしれないけど、
お互いが自分一人で完結出来るある程度のスキルを持ちながらアンサンブルを組むわけだから
たとえ片方がプレイを止めたとしても、もう片方は描き続ける力を持っている

慌ててサウンドを埋めようとするのではなく、音は自分を語り、描き続けている
だかからホントに演奏中に、僕がプレイを休んでも成立するのだ


この「演奏を休む」っていうことについて...


二人で話し合う時間の中で、ふと一人が黙り聴き手にまわる
究極、二人とも黙ってしまってもかまわない
だって日常の会話の中にはそんな瞬間は沢山あるわけだし

ギタリストの僕にとって永遠的な相方であるピアノという楽器との関わりの話し
そして幸せな演奏のための考察

喋り続けなければならない という使命感に囚われながら喋り続けたら苦しい

別に黙ってしまっても良いのだと感じながら喋りたいのだ

本番中に黙ってしまっても良いと感じられたなら、精神状態は柔らかく自由になり
むしろ良く喋るようになるだろう

そういう自由な精神状態で演奏をしたい




そしてもう一つ
そのためには、その自由な時空間を提供してくれるリズム体がいてくれないと成立しない
どんな料理が乗っても美味しそうに見せてくれる器   お皿

料理が乗る前から、この皿に料理を盛ったらさぞかし美味しそうになるだろうと思わせてくれる皿
そして食べ終わった後まで その料理がどれぐらい美味しかったかを想像させてくれる皿
こういう皿があって初めて上物である歌やギターやピアノは自由になれる

自分のgtが、最高食材を使った手の込んだ料理として皿に乗っても良いし
そこらで買って来たタイヤキとして、ゴロンと無造作に乗っかってても良い
その自由が許されるのは「皿」次第だと思う

こういうあり方は話し合って出来ることではないように思う
やはり感じあうことなのだと思う

感じ合えるには日頃の生き方のセンスが反映するのだと思う

そして更に そんなふうに放出した「気」の玉をキャッチして投げ返してくれるオーディエンスがいてくれて
初めて全てが完成する

沢山のワガママを寄せ集めて煎じ詰めたら調和が生まれるなんて…
いつも思うけど
音楽は…いや音楽っていう道具をここまで使いこなしてる人間そのものって(演奏者もオーディエンスも)
ミラクルで愉快な生き物だなと思う


こういう、幾つもの要因を重ねて
重ねる間に、間違った方に行かないようにアンテナの感度を全開にして
ほとんど奇跡のような確率で良いライブって生まれるのかもしれない

でも決して偶然じゃない
必然なのだ


何ヶ月ぶりだろう

久しぶりに、演奏で心が晴れたライブだった





(ドラマー:チャーリー茶谷)




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