Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

人情ギタリストの非人情性

2010-02-15 | ギターの栄養


漱石がっている


小説に書き写す対象人物が泣いているのを
作者まで泣きながら写したなら
読者に残された選択はもう「泣く」というものしかない

故に、読者が泣かねばその作品は失敗であることにもなり
それはまた読者への目に見えぬ強要を強いていることにもなる

また、登場人物に自己の想いを投影しすぎることと
客観的な立場で書き進めることから生まれるそれぞれの内容は
同じテーマから出発したとしても明らかに違う

情感に訴える表現を紡ぎ出すことと
制作者の頭に血が上って感情に咽びながら表現することは全く別種のことである




更に漱石は云う

「作者が泣かずにいる」というスタンスで書くなら
「読者を必ず泣かせようぞ」という圧迫も無い
そういう作品が出来る


そんな不人情な作品が人の心を動かすことが出来るか
という人もいるだろう
けれど、写される者を「子」、写す者はその「親」として
そういう目線で書いてみるがいい

子供が転んで膝小僧を擦りむいたといって泣くものを
毎度親までが一緒に泣くものではない
そういう同情の仕方を親は子に対してしない
だからといって親が子に愛情が無いわけではない






漱石がいつも意識している
作品を作る時の作者の「目線の置き処」「立ち位置」
また、それを「非人情」という位置に置くことの重要性
このことを僕は自分の音楽に置き換えている


「非人情という名の俯瞰」をテーマにした作品「草枕」は
孤高のピアニスト、グレングールドのバイブルだった

濃さの固まりであるグールドに関しては好き嫌いが別れるが
ここまで精神論を徹底したミュージシャンは
他にはほとんど類を見ないことは確実といっていいだろう

グールドの風貌を見ても武満徹の風貌を見ても
はたまた灰谷健次郎の風貌を見ても
愛の高みに上り詰めた人達の風貌は皆クールである

そう簡単に泣いたり笑ったりしない
一見冷たい感情に見えるこのスタンスは
本質的には「他者への自由性の提供」という愛を必ず内包している
その愛を生産するために行っている自己内部での葛藤が風貌に滲み出ているのだ


多分、グールドが苦手な人は
その人にとっての音楽の存在価値を
その音に反映された魂の濃さに比例して受け止めているのではなく
もっと音楽を娯楽性に於いて楽しむ人なのだろう(良い悪いという意味ではなく)

かく言う自分も、若い頃はアクの強いジャコパスのプレイが苦手だったが
歳を重ね、音楽と人生を重ね合わせられてきた頃から
そのプレイが180度 違って聴こえてきた

ジャコが暴れれば暴れるほど泣けてくるようになったのだ
それは、そこにジャコの暴れずにはいられない何かしらの心の傷を感じてしまうからなのだ




自分はもともと泣きたい人間である
その想いが強く反映された音を奏でる人間である

出来うることならみっともなくも鼻水を垂らしながら
号泣しながら奏でることを目論みかねない人間である

号泣に我を忘れ奏でている間に
ライフルでこめかみを打ち抜いてもらったら
さぞ幸せな今生の終わりであろうと妄想して止まぬ若い日があった


こういう動機の「涙」であり「音」である

この自分の音色に共鳴し感涙にむせぶ人が在ったとしても
その裏側で息苦しい圧迫を感じる人が必ずどこかに居ることも感じているのだ


その点に於いての「泣くことの表現」に対して
歳をとるごとに慎重になってきた自分が居る



作者が泣きながら作った作品に集まるものは
内輪的同情票であることが多い

それがどんなに強いメッセージを持っていたとしても
狭い音楽だと感じてしまうのだ

勿論狭くたって音楽に間違いというものはないのだから
このスタンスはあくまで僕がとりたいと願っているスタンスだという話しである


ただ狭いと感じるものは狭いと感じる







あるミュージシャンが先日こう言った

「やっぱり精神論なんですかねぇ、音楽は、行き着くところ」


何を以て精神論とするかにもよるが
自己の内部での葛藤は
自分が進むべき方向を見定めるための羅針盤そのものであるから
そういう意味で音楽は、精神論そのものだといえるかもしれない

羅針盤を持たずに何処に向かっているか判る人など居ないはずである






全ての事柄に対して「何故?」という問いを投げかける哲学という学問の
学問する方法論を少し知り
数学の「解くための方法論」に少しだけ触れて
それらの浅知恵を漱石に当てはめ、納得し
また更に答えの出ないことを考え続けている


この出口の無い迷路に迷い込む行為は
僕の場合、不思議と音楽には逆に良い方に作用する



破壊と生産を繰り返すことが生命の根源的営みなのだ、ということを把握した上でなら
出口の無い迷路の中で終わりの無い葛藤を続けることは寧ろ「生産」と呼べる

そしてそれば僕にとって
音楽というフィールドの中で自由と愛を得られる一番生産性の高いの方法なのだ













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