さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

室田豊四郎について

2021年08月14日 | 本 美術
〇室田豊四郎画集 『MUROTA』(昭和60年刊)発行者 北川耕二 印刷所 採光堂
撮影 長谷川洋治 200冊刊
跋文
猪熊弦一郎 「室田君の画業を思ひて」於ホノルル 1985  
 「… 室田君が画業半世紀展を開くことをきかされた。」
田近憲三  (無題)
植村鷹千代 「自選回顧展に際して」
 「… 昭和16年に新制作展に出品することになった発端については、作者の述懐によると、当時彼は応召によって中支で軍務についていたが、そこへ従軍画家として来合わせた猪熊弦一郎、故佐藤敬両画伯と識り合い、その時の猪熊弦一郎のすすめが契機になったということである。」

後記「私の絵」
「… 帝国美術学校に入学して学校騒動で杉浦非水先生を擁立して多摩美を創立し4年生の3学期に徴兵猶予がなくなって大阪の8連隊へ入隊して満州へ行った。昭和12年の春である。北満国境を転々と楽しかった。」
「2年満州にいて陥落直後の中支の漢口へ移った。4年間現役を勤めて現地に高級軍属として残った。絵は満州時代から外出の時に良く描いた、漢口へ移ってからは報道部勤務だったのでよく絵を描くことが出来た。司令官たちに贈るためのものもあった。1年古兵に那須良輔さんがいた。除隊した後は日中文化交流の為に絵を描くことが仕事だったので良く描いた。当時漢口には岡本太郎、古沢岩美さんらが兵隊で居た。英米撃滅絵画展を開いて最終日後片付けをしていると空襲があって家が焼けてしまった。」
「焼ける前漢口の私の家は文化人のたまり場になって居て、良く集った。覚えているのは高見順、檀一雄、百田宗治、石黒敬七、萩原賢一さんだった。」
「馬の絵を描き始めたのは、1972年新制作に出品した5点の中4点が馬で各新聞で取り上げてくれた。特に田近憲三先生から激励された、抽象を始めてから鳴かず飛ばずにくさっていた時だったので大変嬉しかった。」







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