さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

つぶやき

2020年12月30日 | 日記
 いまはやりの漫画本の一巻と二巻を読んでみた。ひとつ気になったのは、鬼がつかう呪術に対抗するために主人公が繰り出す剣法に、「壱の剣」「弐の剣」などと名付けられた秘術が次々と繰り出されるのだけれども、これがその詳細を丁寧にわかるように描いていない、いまひとつ説明不足という感じがしてもどかしいのである。われわれは『巨人の星』の「消える魔球」とか、「大リーグボール二号」なんていうアニメで育った世代であるから、トリックやテクニックの裏付けのようなものが、たとえそれがどんなに荒唐無稽のものであったとしても、きちんと理論的に説明されている必要があった。この漫画では、そこのところの納得感が得られない。何となく気分に流されるという感じがあって、物足りない。だから、史上最大のヒットであると聞かされても、アニメ映画を見に行く気はしない。細部の仕上げが粗すぎやしないか。

 もうひとつ気になったのは、主人公の鬼退治のミッションが、いきなり伝書鳩役のカラスを通じて伝達されるのだが、これが何やらブラック企業の派遣現場のイメージを彷彿とさせるのである。さらに、戦士として選別される子供たちの描写には、能力不足を理由に簡単に淘汰されてしまう労働者のイメージが重なる。

 一巻と二巻を見るかぎりでは、この漫画は優勝劣敗の法則を見せつける、残忍・残酷な復讐ドラマのように見える。首を斬る場面が多いので、これは海外では絶対に子供に見せられないものとなるだろう。私はこれに熱狂する今の日本の文化的な雰囲気をおそれる。この雑な感じにやすやすと乗っかる、というか乗せられる感じがとてもいやだ。

 念のため、このアニメ映画を観てはげまされたり、元気が出たというような人たちを私は否定しているわけではない。だから、このブログを見た人は決してこの文章を私に無断で拡散したりしないでください。

 ※文章に翌日少し手を入れた。

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