さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

前川明人『頓着』

2020年12月29日 | 現代短歌
 第九歌集。「未来」と、「青幡」の後を継いだ「幻桃」の会員であり、土屋文明から近藤芳美に到るリアリズムの系譜に位置し、「青幡」で吉田漱と今西久穂と行動をともにした人である。作者は昭和三年生れで、いわゆる戦中派であるが、私の父の一年下だから何となく慕わしい気がする。集中には卒寿を自祝する歌もある。しかし、あとがきの文章からは若々しい気息が感じられ、散文があればもっと読みたい気がする。
本集で作者は、自身の末期を見据えながら、痛快な気炎を吐いている。諦念を抱きつつも気骨の感じられるユーモアが随所に弾けており、読む者を飽きさせない。十七歳で長崎の県庁に任官したばかりの作者は、原爆の惨禍と猛火を目の当たりにした。

  誤算ばかりまた残りたり原爆の実物大模型見て来て

  原爆の閃光に直ぐとみな立ちしあの日の局員の目玉忘れぬ

  飛びあがり次つぎ輪くぐるイルカらよ従順なんてみじめなもんだよ

  口車に乗ってしまった鯉のぼり風を大きく呑みて逆立つ

 三首目でイルカに呼びかけているのは、軍国少年だった自分たちの世代の苦い記憶があるからだ。四首目の歌の「鯉のぼり」には、なんとなく特攻機のイメージがあるが、人生の苦しい局面を比喩としてあらわしているようでもある。また日本国の行方というようなものも、暗示しているかもしれない。
 
  言い逃れの嘘など許さぬ針先で栄螺の中身みんな取り出す

  繕いをしているばかりの答弁を聴きつつ硬き干飛魚を噛む
     ※「飛魚」に「あご」と振り仮名。

この二首は、国会のことをうたったものである。ちょうど時宜に適っているだろう。

  許せない赦すしかない寒空にいよいよ高く冴えるオリオン

これは原爆投下をはじめとして、この世の数々の理不尽や不正についてのべたものである。

  保障などまったくなかった戦中をおもいつつ磨く編み上げ半靴

  栄光も挫折も人間が決めるゆえ銀杏きらきらきらめくばかり

 「赤い背中」の写真を国連で掲げたる被爆者谷口も遂に果てたり

  電報配達の詰所に坐りいし谷口を見たりしは原爆の前日だった

当時は勤労動員で少年も働いていた。   ※以前「学徒動員」と書いたのを「勤労動員」に訂正しました。2021.9.12 

  起重機に吊られ海外へ渡りたる軍馬の戦死ああ五十万頭

  明日知らぬ戦中の碧空がふと恋し 高射砲火の銀色、純白

  海軍の払い下げ服着て闇市をさ迷いし戦後初の正月

 いまに繋がるものは何か、ということを考えながら読む。今日はたまたま正月間近であるが。私は、予科練の志願で三重空に行って通信兵の訓練生となり、青島から帰ってきた自分の父のことを考える。

  弓張りの明るき月にま向いて昭和に呼びもどされたい迷子

  デイック・ミネが三根耕一で歌いいし戦中博多の「或る雨の午后」

 この懐旧の念の表明には嘘が無い。こういうことは、実はなかなか普通は表現できないのである。存念のなかに想像力を注ぎ込むことによって生き続けるものは、あるのだ。それは、「昭和」というもののかたちが、「昭和」を生きた人にはどうしても最後まで気になるということなのだ。

  東天紅誰を呼ばんと叫ぶのか掠れたままの長き鳴き声

この歌を引いて、本文をおわりにできそうな気がしてきた。

  今日もまた信じ合うこそ安穏と寄り合う白鳥の首の直立

  抗うということなのか朝空に蝸牛が軟き角を突き出す

 こういう歌を作りながら、まさしく作者が「抗っている」ものは、加齢の現実だけではなく、歴史のとらえ方や、平和を願う世界の今後のあり方にかかわる現実政治の動きそのものなのだが、それはこの歌集だけでは十全に捉えきれていないようである。と言うより、作者の志向するものへの関心がないとわかりにくい。すでに年齢がネックとなっているかもしれないが、あとがきに引かれた「歌壇」の文章のようなものがたくさんあったら、一本にまとめてみてもいいのかもしれない。

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