さいかち亭雑記

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松谷明彦『人口減少時代の大都市経済』 1

2018年08月13日 | 地域活性化のために
 私は以前にも書いたことがあるけれども、今の時代の問題を解決するにはどうしたらいいのか、というようなことについて書いた本は存在するし、きちんとアイデアは出されているのである。賢者の言葉というものはすぐそこにあるのであって、要は、それをまともに受け止めて、どうしたらいいのかということをきちんとプランニングしてゆけばいいだけなのに、それをしていない。手をこまねいている。無為無策である。それではだめだ。

たとえば、松谷明彦の『人口減少時代の大都市経済』をめくっていて、本当にそうだなあ、と思った部分がある。

「歴史的な経緯もあるだろうが、ヨーロッパの都市には、必ずと言っていいほど市街地の中心部にスクェアと呼ばれる空地が存在する。まさに空地というべきであり、周りにあるのはシティーホールや教会といった公共建築物ぐらいのもので、さらには周りはすべて道路といった空地も多く目にする。どこも随分と人で賑わっていて、日がな一日絵を描いている人もいれば、読書をしている人もいる。たいていはパラソルかテント張り程度の仮設のカフェがあり、わずかなお金で昼食までとれる。高齢者も多いが若い人も結構いて、制服を着た若い保母たちが子どもを何人も乗せて乳母車を押しているのも日常的である。そうしたゆっくりとした時間の流れのなかで、都市に住む人々の双方向の「関わり合い」が年齢を超えて進行している。

 およそ日本では見かけぬ風景である。まず日本にはそうした空地がない。探すとすれば公園だが、日本の公園は遊具やモニュメント、通路といった施設が密度高く配置されていて、人々がくつろげる空間はないに等しい。また、使用目的を特定して事細かに作られているため、利用の仕方まで決められている感があり、人々が思い思いに時を過ごすなかで、ごく自然に関わり合うという場からは程遠い。

 いま一つは、市街地再開発事業等によって生み出された都市空間だが、たいていは周りがすべて店舗や飲食店で、それらの店に用のある人だけが利用し得る空間、いわば店頭の一角というのが正確なところだろう。なぜならそこでお金を使わずに時間を過ごすことはおよそ不可能だからで、ヨーロッパのスクウェアとの比較では都市空間と呼ぶことすら躊躇される。」(略)

「しかし人口減少社会にあっては、お金をかけずに時間を過ごせるということが飛躍的に重要になる。前節で、これからは生涯を通じた年平均所得が減少する、人々はお金のかからない生き方を探し求めるべきだと述べた。そして、高齢社会だからこそ年金制度は維持し難いのであり、もっと多くの政策手段によって多様な高齢者対策を講ずるべきだとも述べた。だから空地が重要なのである。」

 ポケットにお金がないと、日本の都市には居場所がない。すべてが資本に買われているスペースであり、ぎっしりと利害のからんだ地面しかない。通り過ぎている分には気にならないが、一定時間お金を使わないでそこにいたいと思って見まわしてみると、おどろくほどくつろげる場所がない。そもそもベンチの数が乏しい。スクエアの有無という観点から比較してみるなら、日本の大都市は絶望的なまでに貧しい姿を示しているのが現状である。

「…お金を渡すことで高齢者の生活を支援するのではなく、高齢者の生活コストを引き下げることでその生活を支援する。ここで言えば、年金というフローで対処するのではなく、都市内の空地といストックで対処する。そうした政策の転換であり、多様化である。」

 ここでいう「公園」は、建物の中の部屋などでもかまわない。そういう使われ方をする空間を行政や地域の資本が協力して生み出す構想力が、ここではもとめられている。

 財布に一円もお金を入れないで一日街で快適にすごせるかどうか。市会議員や市役所のメンバーがそうやって一日を過ごしてから議論をする、というような体験方のワークショップが有効だろう。学生さんたちもやるべきだ。もちろん国会の「勉強会」の方々も、この本をテキストにしておやりになったらいいかと思う。


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