さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『語る藤田省三 現代の古典を読むということ』を前にして考えたこと

2017年08月19日 | 地域活性化のために
 藤田省三が少人数の自前の寺子屋のようなセミナーで語った言葉を口述筆記として起こして、それに詳しい注と解説をつけたのが本書である。江戸時代の思想家、荻生徂徠について述べた一節が実におもしろいので引いてみる。

「そうすると、統治というのは何なんだい、ということになるわけです。仁とは何だということですね。儒学者ですから。そして仁の解釈が朱子学者なんかと違うわけです。朱子学者や普通の儒者は、仁というと慈悲の心だとか、大体心のことばっかり言うわけです。仁とは心のことじゃないのだ、憐れむ心だとかそんなもんじゃなく、客観的なものだと。即ち、仁とは面倒をみることなんだ、と。食えるようにすることなんだ、と。正業にちゃんと就かせること、それができなければ仁じゃないのだ、というふうに、非常にきっぱりしたところの、社会的行為として仁を定義するわけです。」 (藤田省三)

 〇つまり、現代でいうと、待機児童を百パーセント減らすとか、離婚した母子家庭の養育費を出さない元配偶者のかわりに国が一時立て替えする制度を諸外国並みに作るとか、介護施設で働く人の賃金が上がるように抜本的に制度を見直すとか、大学などの高等教育の奨学金の枠を見てくれだけちょこっと拡大するのではなく、もっと拡大するとか、介護の等級をもう一度見直して、先に軽度の人への給付を削減したこと(これが自民党が負けている原因のひとつ)を反省して、もう一度考え直すとか、新しい貿易協定によって農業者の実情・実態を無視したこと(これは今後自民党が必ず負ける原因のひとつ。だって、現場の話をぜんぜん聞かないでトップダウンで決めてしまったわけでしょう)を反省するとか、庶民が「食える」ようにする政策を、こまめに真摯に徂徠のように「俗情」に徹底的に通じることによって、実現していく必要があるわけである。   (さいかち亭主人補足)

「そういう心の中のことばっかり言っているから、道学者ふうに言っているから、侍が堕落する、つまり、修養主義とか修身主義はかえって堕落の表現だ、と言っています。(略)自分の堕落に対し自覚せず、統治が行われていないということを回避するものである、と。」 (藤田省三)

 〇このあたりは、最近の日本の国の教育者がらみの事件と照らし合わせて読める。 (さいかち亭主人コメント)

 「それでは、統治の回復にはどうすればいいかといったら、とにかく上役のご機嫌をとって、下役を叱り飛ばして、そんな役人世界のことをやっていては駄目なのであって、もっと下情に通じなければならないと言うわけです。」  
(藤田省三)

 〇これはいま潰れかけている東芝とか、実質的に一度つぶれた東電などの日本の大企業が、だいたいここでいうような「役人」社会になってしまった結果駄目になったのをみれば、よくわかる。みんなで朝礼をして、同じ標語を唱えて、という一体感を演出するというような、日本の会社によく見られる習慣が、事業がうまくいっている場合はいいのだけれども、悪くすると同調できないやつはだめな奴だという風潮を生んでしまって、結果的に異質な反対意見や疑問を言う者を排除する雰囲気を醸成してしまう。その結果、悪しき「役人」社会的な会社風土を強化する方向にそれが作用してしまって、会社が「役人」社会化したために滅びかけてしまう、というような望ましくない事態が生じてしまう。そこで必要だったのは、現実を正確に曇りのない目で見ることだったのだ。 (さいかち亭主人コメント)

「(略)中国の禹というのは治水事業をやった昔の伝説上の王様ですね、禹ほどの名人だって、治水するのに川筋を知らなければ、川筋がなければ治水なんか出来やしないわけで、碁盤に目があるように治水するためには川筋が必要だ、と、それと同じことだと言う。制度を根本的に立て替えなければ、統治、即ちこの社会状態を、社会問題を解決することは出来ないのであると言うわけです。統治というのは、別に内閣を取りまとめて、総務会や内閣を作ったりすることなんかではなくて、統治とは社会問題を解決することだという観点が、徂徠にはあるということがわかりますよね。」 (藤田省三)

 〇現代の「川筋」はどこにあるか。以下は、私の考えだが、徂徠の言うような、根本的な制度の「立て替え」のためには、要するに地方に財政の主導権を手渡し、地方の経済的な裁量権を拡大して、中央の自由にできる金の額を減らすこと、見てくれの、実はけっこう紐付きの「地方交付税」などのあり方を抜本的に見直すというような、大胆な政策の改編を行わなければ、もう日本全体が立ちゆかなくなっている。
 そうやって根本的な「内需」拡大策をとらなければ、どの道ジリ貧になって首都集中、地方の衰退・縮減ということは避けられない。
 若い人の地方移住を促すとかなんとかいう小手先の手法を弄しているだけではだめなのであって、根本的に地方に資財の動かし方の主導権を預けなさい、ということだ。それができないから、財務省をはじめとして、中央の「役人」は、これこそ最大の「抵抗勢力」となってしまっている。
 しかし、ここは中央も地方もニコニコできるシステムを作るのに越したことはない。「天下り役人」が左うちわではなくて、一心不乱になって働けるような現場を作る事、そういう「制度」をうまく立ち上げることができれば、かえって国全体の知恵の血液がうまくめぐるようになるのではないかと私は思う。 (さいかち亭主人コメント)

無限の示唆に富んだ本書を、ぜひみなさんも手に取ってみたらよろしいかと存じます。

※ 追記。 今日8月24日の新聞を見ていたら、今後地方の高齢者の持っている金融資産が、相続者の多くが大都市に住むために東京などに移動してしまい、ますます地方の金融資産が減って行くという予測が出ていた。いま『トリノの奇跡』という本を読んでいるのだが、フィアットが撤退したトリノが魅力ある都市として再生する条件のひとつとして、EUが投下した大量の資金がもとになっているということが書かれていた。地方都市を生かしもし、殺しもするのは、やはり資金なのであり、それが減っていくようでは地域経済の活性化なんておぼつかない。


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