さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

丸山豊「愛についてのデッサン」注解

2017年02月16日 | 現代詩 戦後の詩
一太郎ファイルの復刻。「美志」四号に掲載、一九九三年四月のものである。

詩集『愛についてのデッサン』をてがかりとして

 九州では、丸山豊は知られた詩人だったようだが、ぼくの周辺では語られたことがないので、何か書いてみるのもいいのではないかと思って、こうして書き始める。テキストは、土曜美術社の「日本現代詩文庫」の巻二十二である。小節ごとに番号を付し、ひとつずつ読んでゆくことにする。

愛する
だから私は身じろぎしない
私は聞かない
私は見ない
私は強情な点になる
愛だけがとぼとぼ歩いてゆく
貧血した顔で

のっけから、この詩の中の「愛」(以下かぎかっこ省略)が通念としての愛とは全く異なったものであるらしいことがわかる。「貧血した顔で」「とぼとぼ歩いてゆく」愛って何だろう。それは、「強情な点」となった「私」の愛である。何か私の愛には、自己完結した硬さがあって、そのために、きっとひどく気ままでかたくななのである。わが子のためと言って自分の虚栄心から子供を塾にやる母親とか、国民のため、と言って実は自分の利権をあさるのに血眼になっている政治家とか、みんな自分が「強情な点」となっているくせに、「自分は〇〇を愛している」と公言してはばからない。世の中の先生と呼ばれる人種の大方が、こういう愛の持ち主ではないだろうか。そして、それは普通のひとがおち込み易い愛の擬制なのである。


おまえをだきしめる
私のことごとくと
おまえのことごとくとが
稲妻の夜のハサミをつくる
このハサミで切りすてるのだ
愛の尊厳を

どうして「愛の尊厳を」切り捨てなくてはならないのか。この不意打ちは何か。「おまえ」も「私」も、なぜか「愛の尊厳」に値しない存在であるかのようである。夫婦なのか恋人同士なのかは、知らない。二人して共に「だきしめ」あいながら、愛の尊厳を「ハサミで切りすてる」ような、そういう生き方しかしていない、と言うのだ。「私のことごとく」と「おまえのことごとく」、二人の全存在をあげて「愛の尊厳を」「切り捨て」ているのだ。何という、つらい苦い認識だろうか。しかもこういう愛は、実はよくありがちなものなのかもしれないのだ。


心が弱り
日がかたむくとき
愛もまたいやらしく笑う
梅干のように
さむざむと燃える愛の力を信じるな
愛をにくめ

ここまで読むと、2の読みは少し変調をきたす。「おまえ」と「私」は自己意識の運動の表現なのかもしれない。「いやらしく笑う」愛とは何か。私を安易に救ってしまう愛のことである。夕暮れの心弱りを救ってしまう、惰弱な、めそめそした、みみっちい食卓のお友達の梅干のようないじけた愛である。そんなものに救われてはならない。むしろ「にくめ」、と詩人は言う。


場の牛のように
愛がないた
いやな予感のする場所で
もっとも明快な方法で
あっけなく
愛は
その重さだけの肉になる
二月の光にちらちら燃えて
下水溝へながれてゆく血

詩人の要請は劇越である。われわれは、愛すれば、すぐにその見返りをもとめる。無償の愛なんていうことを言いたいのではない。ほとんど癖になっている心の習慣が、「その重さだけの肉」を求める。断末魔の愛は、「場の牛のよう」になくしかない。無制限で、無限定であるべき愛が、交換の対象となり、売り買いされるということが、われわれの身の周りには起こっている。寄附をもとめ、喜捨をもとめ、布施をもとめ、寄付金の額が愛の大きさを示すものとなったり、愛の真剣さのあかしだったりする、そういう愛を見聞きしたことはないか。介護労働時間を貯金しようというアイデアがあるらしい。笑えない寒々しさである。すばらしく合理的で、等価交換的で、何かが決定的に失われている。たぶんあまりにも「あっけなく」愛が「その重さだけの肉にな」っているからではないだろうか。もちろん、その着想を抱いたひとに罪は無く、ここに立ち至った社会の帰趨に問題があることは言うまでもない。


公園
裁判所
河岸の塵埃焼却場
愛はおだやかに通りすぎる
愛の身勝手だけが
下水道のように
くらくふかく町にのこる

公園にも、裁判所にも、河岸の塵埃焼却場にも、愛の出番はある。愛の名によってひとはひとを裁いているのだろうか。わからない。しかし、法の運用にも情状酌量というものがあるだろう。あれは愛ではないだろうか。公園の親子、恋人達。行政サービスという愛。それらもろもろの愛の景色も、詩人は容赦しない。ふわふわした愛を許さない。気分の、ひとをあざむく、ことばだけの、見せかけの、こころの弱さにだけに訴えかける愛が、一見あたたかい「おだやか」な外見の中にしみ込んでいて、日々われわれを欺き続けているのではないか。詩人は「愛の身勝手」を多くそこに見いだす。愛の名において、行使されている権力と、生活事象のもろもろの中に、つまり人間のすべての営みの中に、愛の虚偽が充満している。かくしてこの詩は、眠そうないんちきな愛への賦活剤となる。


石を摩擦して火をつくる
そんな具合に
やっとこさ愛をそだて
遅々とした成熟をまっている
この竪穴住居のまわりを
豹よ
みどりの目をしてうろつくがよい

「この竪穴住居」というのは、小さな「マイホーム」と考えてもよいであろう。そこで抱かれるごく平凡な安逸の夢というものの中に、詩人自身もいるのかもしれない。そういう自身を鞭打つように、詩人は「豹よ」という呼びかけをする。ダンテの『神曲』冒頭では、豹は肉欲のシンボルだった。別にそういう寓意を考えなくとも、「豹」が無限定な、愛への不支持者として、不安な中絶を暗示するものとして、さらには生の原型的な過酷な欲求を想起させるものとして、呼び出されているということに変わりはない。


燃えたり
溶けたりする
わがままになったり
やさしくなったりする
しかし
あれは愛ではない
あれは愛ではないのだから
私生児のように市場のむこうをあるけ
月夜のドブに沿ってあるけ

「燃えたり/溶けたり/わがままになったり/やさしくなったりする」愛は、どこにでも在るものではないか。われわれが通常経験している愛には、こういうところが無かっただろうか。あえて、詩人はそれに異を唱える。「しかし/あれは愛ではない」と。正道を、世の中の公の道を堂々と闊歩してもらっては困る、と。「私生児のように」という表現が差別的だ、なんて言ってみても仕方がない。ここでの私生児は毅然として「愛ではない」ものを拒否しているようなのだ。「月夜のドブに沿ってある」くものというと、犬か猫をすぐに思いつく。「燃えたり/溶けたり/わがままになったり」するものが愛じゃなかったら、いったいどういうものが愛だというのかと、混乱する人も多いであろう。詩人は、愛というあいまいな概念を追いつめているのである。読者も、ともに追いつめられ、かつ追いつめなくてはならない。詩を読むという経験は、そのような自由の試練なのだ。


愛はたちまち消えるが
その力はかたちをかえ
サナギのような囚人になる
やさしい愛をにくみ
愛の名をにくみ
やがて
砂の流れる法廷へ立つ
手錠のまま太陽を見すえる

「サナギのような囚人」となった愛というのは、人間の弱さが生むものだろう。愛してから手ひどく裏切られると、こうなるひとがいるという。「やさしい愛をにくみ」さらに「愛の名をにくみ」、こわばったこころとなって愛に敵対し、正反対のところへ走ってゆく。「砂の流れる法廷」とは、その虚無的なこころの闇の謂であろう。そうやって「愛の名をにく」んでしまったひとは、罪人のようなものなのであろう。「手錠のまま」、「太陽」つまり生命力の根源のようなものを、さびしい反抗者の視線をもって見上げるしかないのであろう。よく知られたカミュの小説を思い出す。


愛に
手ごたえがありそうな
ありがたい時刻には
からりと晴れた世界から
金色の縄が垂れてくる
そしてしずかにゆれながら
リンチの準備をととのえる
あらかじめヨダレをふいて
うやうやしく排尿をすます

「愛に/手ごたえがありそうな/ありがたい時刻」、こういうものに身の覚えがないひとはいないだろう。うまくいっているという満足感に、生きている喜びを得られる瞬間。その時私の存在は無条件に世界に肯定されているようにすら思われるのだ。すると唐突にも、鮮明な、メキシコの空のような明るい高みから、救いを暗示するような「金色の縄」があらわれる。詩人はここでも意地が悪い。報われたと思った時に、愛の成就の満足のうちに、何と「リンチの準備」がすでに始まってしまっているというのだ。これも、実は身に覚えのあることではないだろうか。そのように、愛は油断のならないものである。愛は自我の世界への安定にかかわるものであるがゆえに、常に背中にエゴイズムを張り付かせている。

10
しずかに
死の灰のふる島で
かたい咳をする
喬木にもたれる
独断をする
手紙をやぶる
ナマコをかじる
そして今日もまた
ダメおしをくりかえす
こんなに愛してる
愛してると

これは第五福竜丸の事件を思い出させる詩の文句である。さらにぼくはベトナム戦争のことを、思い出したのである。アメリカ合衆国のやったことのすべてが、「民主主義」への「愛」のためではなかったか。原爆とて、「民主主義」に対する愛のグロテスクな発露の産物だと、言えないことはないのである。現にアメリカ合衆国人の多くは、今でもそう言うではないか。原爆は、戦争を早期に終結させ、さらにこれ以上犠牲者が増えることをとどめることに役立った、と。「かたい咳をする」のは作者自身ともとれる。それが、次の行に進むに従って、追及の度合と論難の調子を強めてゆき、もっと他者一般、世界全体への弾劾に変わってゆくところが、この詩の一筋縄では行かない所である。「独断を」し「手紙をやぶる」というのは、実行家の姿のスケッチである。政治家の姿を思い浮かべるのが常識的な線だろう。

11
生まれた町の
砂と石との広場で
皈還兵は眠る
愛が
アリほどの重さで
片方のまぶたを這えば
まぶしそうにうす目をあけて
ウソみたいに遠い空をみるのだ

この詩集が出されたのは、一九六五年である。年譜によると、作者が五十歳の時。太平洋戦争では、ビルマの前線部隊で軍医として数々の辛酸をなめた人である(インパール作戦についての本に詩人の名前が出てくる)。そうすると、帰還兵は作者自身ととってみてもよいであろう。ここには、かろうじて生還した作者の感慨が盛り込まれているように思われる。「砂と石との広場」というのも、空襲によって焼け野原となった都市の姿を、異国の港町風に言い換えたことばとは考えられないだろうか。「愛が/アリほどの重さで/片方のまぶたを這」うような感覚というのは、おそらく、生還したことのむずがゆさ、羞らいの表現である。詩人は、生きているということのまぶしさに「うす目をあけて」「ウソみたいに遠い空をみ」たにちがいないのだ。ごろんと横になって……。 あの戦争を経験したあとで、こういう精神を強靭に立ち上げた詩人がいたということを、ぼくは忘れたくない。忘れないために、ぼくは書く。  
   ※丸山豊『月白の道』


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