さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

中澤系についての旧稿

2016年12月29日 | 現代短歌 文学 文化
中澤系についての旧稿があったのを思い出して取り出す。考えてみれば、限られた人の目にしか触れることがなかった文章なのだ。 「未来」二〇〇九年八月号に掲載したものと、出版記念会の挨拶文原稿。

 中澤系論   
               
 渋谷望著『魂の労働――ネオリベラリズムの権力論』という本がある(二〇〇三年青土社刊)。そこには、ネオリベラリズムの思想についての分析として、次のようなことが述べられていた。
 「現在、『自己責任』――『リスクを受け入れよ』――のスローガンとともに若者に向けられるメッセージは、明らかに矛盾したダブルバインドのメッセージである。それは一方で『自分の将来や老後を自分で備えよ』(=国や企業に頼るな」)である。しかし同時に発せられるのは『あらゆる長期計画(=長期的安定性)を放棄せよ』というメッセージである。長期的な見通しが不可能となるなかで、自分で長期的な見通しを立てよ。ネオリベラル言説がこの不可能なメッセージで若者に期待するのは、不断に自己を励まし、不確実な未来を臨機応変に積極的に切り開く人間であろう。しかしバウマンも指摘するように、『流砂のなかではいかなる永続的なものも築くことはできない』。若者たちはこの分裂したメッセージに対処するために、宿命論を招き入れざるをえない。(略)自己責任言説がハイ・テンションな自己啓発に結びつくことはきわめてまれである。(略)ゲームへの参加の条件のハードルがきわめて高い場合、最初から勝負しない選択肢が最も安全である。勝負が可能なのは、文化資本、情報資本など、ゲーム参入のチケットが最初から与えられている者に限定される。」               (「ポストモダンの宿命論」)

 やや論理が錯綜するかもしれないが、こういうことである。ネオリベラル言説は、若者に「不断に自己を励まし、不確実な未来を臨機応変に積極的に切り開く人間」、つまり近代社会の草創期のアメリカの『フランクリン自伝』にあるような生き方を求める。それは文学の分野では、明治時代の子規や左千夫の熱狂的な文学への専心への連想を誘うものでもあるだろう。しかし、努力と精進を求めるメッセージは、すべてを個人の責任において処理することを求め、国家社会が個人の将来や未来を保障することをやめて、長期的な見通しを立てることが困難となりつつある政治経済的な条件の下においては、それ自体が、ネオリベラリズムの社会権力の要求と相似的なものであり、時には犯罪的で滑稽なものに転化してしまうものなのだ。アメリカ発の世界不況のまっただ中にある現在、右の渋谷の言葉は、みごとに現実に切り込んでいたと言うべきだろう。
 右の文脈に沿って敷延するなら、ゲームに加われない若者にとっては、そこで抵抗することと、挫折することとが肩を接しており、単に怠惰であることと、戦略的にその日暮らしであることとが、混沌とした欲求と意志の葛藤を引き起こしながら、未分化のままに個人の中で渦を巻くような事態が出来しているということを意味する。それが繊細な自意識の持ち主である詩歌人の表現にもたらされた時、どのように増幅され、また逸脱して行こうとするものであるのか。私はその例として、中澤系の歌集『uta.0001.txt』をあげたい。今この文章を書いているうちに、頭のなかに浮かんできた何首かの歌がある。右に述べたような文脈に置いてみると、彼の哲学的な作品の持つ悲劇的な意味は、怖いぐらいに明らかである。

  up to date だなんて魚雷戦ゲームかなにかと勘違いしている   中澤 系
  街中に流布したルールそれはルールのためのルールであった
  フェイクだよ三角くじの内側を見ずに行くべき方角を言え

 以下に歌の内容を敷延しながら、歌がつかんでいるものを解説してみようと思う。一首め。コンピューターのウイルス防止ソフトのように、日々更新されること、それが生きるということの意味だ、というような誰かの言葉(生き方についてのアドバイス)に接して、作者は反発している。生きることを魚雷戦ゲームとまちがえているんじゃないの、あなた。聞いたふうな人生訓を並べているけど、というのだ。

 二首め。ルールのためのルール、みたいなものが、このまるごと資本に管理された都市の空間には行き渡っている。ためしに渋谷や原宿の駅や、東急沿線の駅に降りたってみるがいい。ルールは無意味なのに、ルールとして周知徹底させられる。その愚劣と空虚。でも、ルールを作り、ルールを行き渡らせた時点で、それはそいつらの勝ちなのだ。ぼくは無力であり、ぼくに勝ち目はない。

 三首め。ぼくは、右に行くように見せかけながら左に行くつもりだ。さもなければ、左に行くように見せかけながら右に行く。なべてのものがフェイク(だまし)であることを、受け入れながらやって行くしかないのだ、この今という時、ここでは。相手も自分も、見えない微細な権力も。だまされ、だまして、三角くじの内側は見ないままで。
 もう少し引いてみる。

  生体解剖されるだれもが手の中に小さなメスをもつ雑踏で       中澤 系
  靴底がわずかに滑るたぶんこのままの世界にしかいられない
  作為することの困難さなのだと言った、ぼくには聞こえなかった

 いま冷房でぎんぎんに冷やした部屋のなかで、これらの歌を小さな声で繰り返しつぶやいていると、難病で再起不能のこの歌人の不幸と、短い若さの期間の意味が、痛切に感じられて来てならないのである。彼の歌の意味は、全部わかる必要はないし、また、私がここでやってみせているように、いちいち注釈をつける必要もない。でも、私は彼の無念を代弁したい気持ちに駆られている。それが、私の中に生まれてきた、現代短歌について書くということへの促しである。

 一首め。生体解剖(ヴィヴィセクション)される、という語り出しの、ひやっとするような残酷で、痛々しい響き。歌は、たとえば新宿の街や、混んだ山の手線の車内でぶつかりあう人の体や衣服のこすれ合う感触を想起させながら、「誰もが持つメス」という比喩によって、無関係な都会の群衆が、相互に向けあっている小さな敵意と殺意の集積のようなものを暗示している。二首めは、世界と私というものの変更不可能ということを言っている。宿命的なものに直面した時の感傷である。三首め。哲学のテーマのひとつには意志論の領域があった。作者はある時に、「作為することの困難さ」を語る人の言葉(思想)に接した。でも、そんなことを言われても、ぼくにはどうだっていいと思うのである。それぐらい今のぼくは、困難のまっただなかにある。あるいは、困難を引き受けない(引き受けられない)場にいる。「作為する」、言い換えるなら、生きて行為することとは、反対のことへと自動的に従わせられている自分がいる、ということだ。

 これと同様なメッセージは、斉藤斎藤の歌集にも容易に見いだすことができる。中澤系(一九九七年~二〇〇二年の作品)の場合には、必死な面持ちで語られていた認識が、斉藤斎藤(『渡辺のわたし』二〇〇四年刊)にとっては、わかりきった自明の事柄として、ほとんど投げ出されるように語られるものとなる。

  死ぬときはみんなひとりとみんな言う私は電車で渋谷に行きます     斉藤斎藤
  内側の線まで沸騰したお湯を注いで明日をお待ちください

 私は人を食ったようなところがある斉藤斎藤の作品に、この時代に生きている若者のくぐもるような怒りと抗議の意志を読み取る。わずか数年の違いであるけれども、ここには世上に漂うニヒリズムの濃度の感受における違いがある。だから、中澤系や松木秀の歌集に多く見られる、あからさまなまでにニヒリスティックで攻撃的な作品は、今読むとかえって当たり前な気がしてしまうのだろう。そういう意味では、中澤と斎藤と松木の三者を並べて、斎藤の方に方法的な強度が読み取れると言った穂村弘の批評(『短歌の友人』)は理解できる。しかしながら、読み手の心を撃つ衝撃力と、ことばの表皮を引きはがすようにして使ってみせる詩歌人としての資質において、中澤には群を抜いて優れたものがあると私は思うのである。 
  絶唱と思う叫びが突然の咳で中断された、あの感じ           中澤 系
  吃水の深さを嘆くまはだかのノア思いつつ渋谷を行けば
  ひょっとして世界はすでに閉ざされたあとかと思うほどの曇天

 中澤系の作品にまつわりついている悲劇的なイメージは、右の一首めにおいて極まる。現実の作者は、小心で不器用で、しかも同時に、とても大まかなところがあった。難病で口もきけずに臥せったままとなった彼の現実の有り様それ自体が、「絶唱と思う叫びが突然の咳で中断された、あの感じ」そのもののように思われた。

二首めを斎藤斎藤の渋谷の歌と比較してみる。中澤の方は、自分の体質的なものや気質的なものに根差したところで言葉を繰り出している。「まはだかのノア」の「まはだか」という語に注意すべきだろう。斉藤の歌の方が乾いているのに対して、中澤の歌の方はどこか湿潤なところがある。三首めは岡井隆の歌をすぐに連想させるが、神話的な空間への想像上の遡及が中澤の歌にはあり、早稲田大学で哲学を専攻したという履歴も重ねてみると、二首めと三首めの歌には、作者の実存的な重たさのようなものが、気質の表現として感じられるのである。また同時にここには、三十一歳という現代日本の年齢区分においては青年期の終わりの時間を生きている若者の憂愁が感じられもするのである。

  3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
  キャンディーのいくつか平行世界ではたぶんつまみ上げられなかったほうの
  噛みしめているよこの血まみれの手でつかんだはずのメロンパンなら

 短い習作の期間を終えて、作者はいきなり未来賞受賞作の右の作品のようなところに飛び出した。それまでの閉じた哲学的なつぶやきのような歌が、ここでは一新されていた。歌集の栞文の中で、穂村弘をして「ああ、これは完璧かもしれない。」と言わしめた一首め。この歌は、若手の歌人たちの間で一気に有名になり、中澤系の代表作と言ってもいいものになった。しかし、この歌ぐらい解説がむずかしい歌はない。われわれの通常の約束事の世界では、理解できた人は下がるのだが、それを作者は無理に引っ繰り返してみせる。その時に一瞬だけれども奇異な、判断停止の間が生ずる。「3番線快速電車が通過します」という無機質な注意の言葉のうしろに伏在している「下がりなさい」という命令形のメッセージが、よじれたかたちで露呈させられる。ここで「理解」という語は、キイになることばである。われわれの世界では、赤信号の意味が理解できない人は死んでも仕方がない。3番線の快速電車も同様である。「下がりなさい」という命令形は常に正しく、逆らいようがない。そこのところを百も承知で、作者はあえて「理解できないひと」という無意味な仮定をしてみせる。はぐらかしと言ってもいい。この無意味なはぐらかしの中に、作者の抱く根深い憂鬱と空虚の感覚が、口を開けている。

「理解できない」と言ってしまったら、生きていることが無意味になる。通常の生活世界では、意味を機能させることが生活をするということであり、社会的な関係性の中で生きるということである。一首はそれを拒否しつつ、受け入れている。「理解できない」「ひとは」と続けることによって、作者は意味が死滅した世界に陥るすれすれのところで、意味のある秩序の側に生還する。この偽(ダミー)のメッセージのような四句めの屈折にかけられているトラップ(仕掛け)こそは、生きることが、生きられないことと相似であるようなところまで追い込まれている者の、ぎりぎりのところで案出した自前の、お手製の「空虚」なのである。だから、この歌は、ある意味で、とてつもなく無意味である。そこのところに反応した穂村弘の感性は、冴えていたと言ってよい。

 これと比べたら、二首めや三首めは、わかりやすい歌と言っていいだろう。意味が意味するということを、作者はあたかも罪であるかのように感じてしまう。もしくは、意味が意味するということに耐えられないで、右の二首めのように、意味が意味するということを「平行世界」を一方に置きながら、ようやく受け入れることができる。たぶんこれは少年期の家族関係の記憶の傷が遠因となっている。曖昧にされているが、何かの理由で家を去ったらしい父親のことが習作期の歌に出てくる。

 成長してから彼は、九〇年代のポストモダンの哲学と出会うことによって、非決定と決定の間にある谷間を、瞬時に渡ってしまうものについての、自覚的な意識を持った。だから三首めのように、意味が意味する時には血が流れる。いかにして「意味」に対するかという問いが、作者の短歌の基本的なモチーフである。
 中澤系歌集『uta.0001.txt』二〇〇四年月三月刊。時代はますます若者たちにとって過酷である。中澤君のこの本のメッセージは、これからも若い人たちに届き続けるだろう。 (「未来」二〇〇九年八月号)

〇資料 本日は花の候、中澤系歌集『uta0001.txt』 のためにわざわざお集まりくださり、有り難うございました。今日は主役の中澤 系さんは、病気で出席できませんが、内容はテープで作者の耳に届ける予定です。現在、歌集の残部はなく、何とかして重版したいと思っていました。幸い再びご家族の協力を得て、それができそうな状況です。この本を欲しがっている方が、私の周辺にはたくさんいます。今日もお持ちでない方は、その際にぜひ手に入れていただきたいと思います。

 さて、この本の成立には、多くの方が関わっています。跋文を執筆された岡井隆先生、それから栞文を執筆された佐伯裕子さん。お二人には今日の会の発起人になっていただきました。本当に有り難うございました。それから、本日は都合で参加できませんが、同じく栞文を執筆し、中澤さんの歌集について、今もあちこちに書いたり言及したりしてくれている穂村弘さん、加藤治郎さんのお二人にも、私はここで中澤さんにかわってお礼を申し上げたいと思います。先月開かれた斉藤斎藤さんの『渡辺のわたし』の出版記念会のレジュメに、穂村さんが、中澤系さんの作品を引かれていたことは、会場におられた方の記憶に新しいところだろうと思います。昨年の「短歌研究」の十月号の若手歌人の反響と、十二月の「短歌年鑑」の文章を見て、私自身、もう少しこの歌集のために何かしなくてはいけないと考え、この会を企画しました。

 この歌集は、出版直後に、歌集の第Ⅱ部の末尾の作品、つまり作者が「未来」に投稿した最後の一連が、川本真琴さんというポップス・シンガーのアルバム「DNA」の歌詞をそのまま使って再構成したものであることが、明らかになりました。幸いに作者と著作権管理会社ソニー・ミュージック・エンタテインメントの許諾を得て、事なきを得ましたが、何しろ作者は意思表示が困難な難病で寝たきりなため、こうした手違いも起きてしまいました。けれども、このことによって中澤さんの作品集の独自性が損なわれることはないと思います。これは、病が進行する中で、半年以上「未来」への原稿送付が途絶えた後、やむにやまれず送ったメッセージだったのではないかと私は推測しています。DNAというタイトルが暗にそれを物語っています。結果として、歌集の硬質な文体が、ここで崩れてしまっている印象があるのですが、最後の投稿ということで、編者としては、これは省くわけには行きませんでした。歌集をお持ちの方は、一二〇ページの「1/2」という章題の下の余白に、「この一連は、歌手川本真琴のアルバム『DNA』の歌詞を再構成したものである。」という一行を付け加えていただくようお願いいたします(付記。第二版では、この趣旨の言葉が挿入された)。

 私見では、中澤さんの作品は、八十年代から九十年代にかけてのポストモダン的ニヒリズムに浸透された青年の痛々しい内面をさらけ出しながら、認識の詩を目指したところに特徴があります。その後の本人の病気のこともあり、それを知ればなおのこと、ひりひりとするような読後感が残ります。彼の作品には、まるで自身の病気を先取りし、予感しているようなところが感じられます。そのことに運命的なものを感じて、作品の力ということと、表現ということの恐ろしさを思い、私は一種の厳粛な気持にとらわれます。今日はそのことの意味を多角的に検証してみたいと思っています。

 幸いに、若手の新鋭歌人の黒瀬珂瀾さんに司会をお願いしたところ、快く引き受けてくれました。「未来」からは、若手の中沢直人さん、笹公人さん、それから私の世代に近いところで嶺野恵さん、秋山律子さんにもパネラーをお願いしたところ、どなたも快く引き受けてくれました。皆様の文学の場における友情に感謝します。会場の皆様には、積極的なご発言をお願いいたします。                     (二〇〇五年四月一日 中澤系のutaを忘れないために)
               小冊子「中沢系論ほか・さいかち真文集 2」二〇一〇年八月刊より。 




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