さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

諸書雑記

2024年09月10日 | 
 以前書いた前文を削除しました。以下は諸書雑記。

〇 水上勉『足もとと提灯 歩いてきた道』昭和59年、集英社文庫

「若い人びとは、いま、幼稚園の数ほどもある大学へはいりたがる。」207ページ。

「華燭は一日にして消ゆるなれど、心灯は消えざるなり。」214ページ。

ふたつ、まったく相矛盾する事象にふれた小文から引いた。

〇 宮崎市定『東風西雅抄』岩波現代文庫、2001年刊

・ 人間は古代へ行くほど荒っぽかった。剣道やフェンシングは死ぬまで敲きあい、突きあいしたのであろう。相撲やレスリングは相手の骨を折り、時には投げ殺しても構わなかった。時代が進むにつれて、真剣勝負から競技にかわり、色々な規則を設けて、生命身体の危険を避けながら、勝負を決めるようになった。   91ページ

・ 欧米近世の繁栄は奴隷制度の上に立てられたものである。所謂産業革命が起り機械が十分にその威力を発揮するに至る迄、機械に代って動力を提供したのは奴隷であった。
 この奴隷制度は近世初頭より三百年に亘って継続し、十九世紀に入って表面上変形して苦力制度となり更に約百年の後に消滅するのであるが、この苦力貿易に終止符を打たせたものは明治初年日本政府が大英断を以て世界の目の前で行って見せた正義の為の奮闘の賜ものに外ならなかった。    110ページ
 
 この宮崎市定の大江卓についての文章など、将来書かれるだろう歴史小説に生かしてもらいたいと私は思うものだ。

〇 井本農一『俳句風土記 名句の跡をたずねて』昭和三十八年、社会思想社刊
 
 芭蕉門下の句を中心とした紀行文集なのだけれども、モノクロの写真がどれも昭和二、三十年代のもので、道が舗装されていないところに着目する。
  
 千々の秋二上山の前うしろ

 二上や二日の月の尖る山

 最初が北枝、そのあとが無外。今月の角川「俳句」は鷹羽狩行の追悼特集で思わず買ってしまったのだが、こういう句を何となく読みくらべてみると、江戸と現代と互角なところが、そらおそろしい。あとは本書の井本農一の選の仕方も、なかなかよくて、凡庸の人が芭蕉の句だけを引いてとろとろ書いているのとは比較にならない。

〇 けふの空にも龍のすがたの雲がゆく変幻自在は老いを誘ふ  一ノ関忠人
『さねさし曇天』2024年、砂子屋書房刊

厚木海老名座間の市民の誇るべきものは何か。たしかに相模の自慢は、相模川とその上に広がる青空と大山だ。

〇 伊東孝『東京再発見 土木遺跡は語る』岩波新書、1993年刊

 東京の川にかかる橋の写真と図面。永代橋(117ページ)。にしても、この写真の通りに目にする読者はほとんどいないわけで、観光地などでカメラを手にうろうろしている私の同年代の人々を見ていると、こういう本を種にしてみたらよろしいのではないかと勧めてみたい。

〇 窪田般彌訳、ジュール・ルナール『にんじん』昭和四十五年二十一刷、新潮文庫刊

 たぶん自分が中学生の頃に買った本と同じ時期の本なので、ぼろぼろで紙が茶色く酸化している。カバーは門田ヒロ嗣で、あらためて見るとなかなかよい。文章も、ストーリーはどうでもよくて、描写の断片に目をとめてみると、滋味がある。   

 ――先生、と、にんじんはじつに大胆に、堂々という。室監とマルソオの二人は、変なことをしてるんです!   111ページ

 つまり、あの時は、中学生の頃は、何も読めていなかったということである! それにしても、この本は三、四十年前、学校の定番の推薦図書だったのだ。

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