さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

日記 雑誌の11月号

2019年10月25日 | 日記
 先日何年ぶりかで夜の十時頃、下北沢駅に降りた。八十年代に時代屋という飲み屋があったあたりは建物がないようで、土地勘が働かない。東側の繁華な通りは無事だからそちらを歩く。ふいと短歌ができる。

  マサコの跡は駐輪場と成りて居り雨の染み黒きアスファルトの前

  羽根付くる自転車もなし扉もて密閉さるる空間が見ゆ

二首目はいま作った。

 それから通りを左に折れたところにある古書店で2014年の「映画芸術」のバックナンバー449番を買った。脚本家笠原和夫の特集がある。
備忘に記しておくのだが、「シャトーブリアンからの手紙」(2012年独仏合作フォルカー・シュレンドルフ監督・脚本)の映画評を千坂恭二が書いている。文章のタイトルは、「エルンスト・ユンガーからこの映画を見る」で、レジスタンスの銃殺を扱った映画評の場をかりて、筆者は監督とエルンスト・ユンガーとの因縁を紹介しつつ、自分の蘊蓄を傾けている。彼が戦後日本にやって来た時にヒロシマで撮られたヒッピー・スタイルの長髪の写真を、どこかの追悼文でみた覚えがある。たしか八田恭昌著の『ヴァイマルの反逆者たち』に一章が設けられていた。これはおもしろい本で私がエルンスト・ユンガーに興味を持ったのは、この本を読んだからだったと思うが、いまネットでみると八田教授はすでに亡くなっている。だんだん思い出してきたが、その本のなかに紹介されていた「宙空のゼロ・ポイント」という表現がひどく気になったが、私はドイツ語ができないので追究はその本までだった。

 私は映画館であまり映画をみないのだが、それは上映開始時間を調べてそれに合わせてそこに行くのが苦手なのと、効果音が大きすぎて体にこたえるからである。銃声の響く映画などでは、本当に腹に重いかたまりを撃ち込まれたような気がする。私は重層低音に敏感なのだ。小田原あたりでは富士の演習場の砲声が聞こえる時があるが、ほかの人には聞こえても気にならないような音が、私には大災害の予兆のように感じられて不安にかられるので、その感じをやりすごすのに手間がかかる。

  戦場の記憶を共に持つ故にヒトラーもユンガーの処分を肯はず

  「宙空のゼロ・ポイント」はニッポンの四十代にいまもリアルであるか

  演習場と同じ砲声とどろくを戦場につながる音と聞きなすにもあらず

 昨日は書店で雑誌類をまとめて買った。「短歌研究」の11月号をみると、ずいぶん従来と様変わりしているので、購入してみた。定期購読が切れてもう一年近いが、これなら復活させてみてもいいかなと思う。書肆侃侃房の短歌の叢書や、内容刷新した「現代短歌」をはじめとして、短歌の世界の近年の変貌は著しい。

 「本の雑誌」11月号は「マイナーポエットを狙え!」という特集で、岡﨑武志と荻原魚雷と島田潤一郎が鼎談を行っている。これが私のようなもとは近代文学読みからはじまった者には濃い中身で納得のいくものである。ちなみに古書で先日手に入れたが、梶山季之の『せどり男爵数奇譚』(河出文庫昭和五八年)は、古書好きには楽しい読み物である。作者は生前は大著名人だったが、今では一般の認知度はずっと下がっているだろう。

 「世界」と「中央公論」も買った。少し税金にかかわる現下の情勢を勉強してみようと思ったのだが、両方ともなかなか良さそうな論文がある。今日は代休で家にいるのだが、また大雨が降っている。被災された方々にはお悔やみを申し上げたい。今朝のテレビで見たが、泥につかった水田とちがって、刈り取り済みの倉庫の米には保険がきかないのだそうだ。何とかならないだろうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿