※老いをめぐって自分が書いた十年ほど前(2008年か)の文章が見つかったので、以下に再録する。
本を読むよりも何かものを書いている方が楽だ。書くことは、まったく苦にならない。しかし、書くためには読まなければならないので、それが難儀である。本は、飽きたら足元に積んでおき、折々取り出して見ているうちに、いつの間にか全部読んでしまっていた、というような読み方をするのが理想である。しかし、実際はなかなかそうもいかない。春から夏にかけての三、四カ月の間に、ざっと見て三百冊ほどの本が、仕事机の前後に乱雑に積み上がってしまった。ただでさえ私の部屋は潜水艦のような状態なのだから、本の過飽和は物の雪崩を引き起こす。それに足場が狭いために、茶碗を持って椅子につくことができない。今もコーヒーをこぼしてしまって、あわてて拭いたところだ。今日は夏休み期間中の木曜日だが、休日出勤の振替で一日空いている。本を片付けようとして書名を見ると、半分はまだ手元に置いておきたい気がするのだが、そこを思い切って運び出すことにする。いったん書庫に出しておいて、それからまた少しずつ持ってくればいいと自分に言い聞かせる。
本はサイズごとに紐でしばっていく。紐は、浴衣の帯のように腹のところでぐるぐる巻くだけで、十文字結びにはしない。三周ほど巻いて少したるみを持たせるのが、こつである。蝶結びにして、そのまま紐の真ん中を持ってぶら下げると、本の重みで自然に羊羹型の一塊になる。これは古本屋で教わったやり方だ。ただし両脇の本は押されて紐の跡がつきやすいので、大事な本は、中の方に挟む。紐の当たるところに厚手の紙をあてがってあるのを古書店で見たことがあるが、私はそこまでしない。本の整理をしていると、時々、こんなことばかりやっているうちに俺の一生はおわるのかなあ、などと思ったりすることがある。楽しくて、空しくて、多少めんどうだ。詩歌にかかわることも、これに似ている。
近刊から。
〇穂村弘著『短歌の友人』には、中澤系の作品がたくさん引いてある。どれも初出で見ている文章だが、あらためて中澤系の作品が、八十年代から九十年代のはじめにかけての若者の心情を代弁するものだったということを思わせられた。
〇 柴田千晶『セラフィタ氏』。これは藤原龍一郎の短歌と柴田の詩とのコラボレーションである。開いたら最後まで一気に読み終えた。どういうやり方をとったのかが書いていないので、コラボの過程がイメージできないのだが、両者の言葉は、密接な内的結び付きをもって共振している。展開されるイメージは、皆川博子や久世光彦の小説世界に多少似通ったところがあると思ったが、エロス的なものの表現はどれも戦慄的であり、全編がアイロニカルな姿勢をもって統御されている。これは短歌が出て来るテキストでは近年まれなことである。
〇笹公人著『念力短歌トレーニング』。とにかく紹介されている投稿者の作品の技術レベルが高いのに舌を巻いた。おもしろ短歌で一つのジャンルを作ってしまったというところか。
タクシーがすつと止まりてつまらなし洗い髪にて立つ墓地前は 桐生祐狩
〇池本一郎歌集『草立』。鳥取の歌人。「塔」所属。先日、花山周子の読書会に行き、この人の挨拶を聞いた。現実の作者も作品同様に諧謔にあふれる人だと知った。すっきりとした写生を基本のところに置いておいて、今生のもののあわれを軽妙に詠んでいる。
かざかみに風紋はのび砂うごく従うのみに年かさねつつ
一線に二百もならぶ漁火が散ってゆくなり丘にのぼれば
底辺につづく兵士ら聞こえよく一等・上等とよびしこの国
〇浦上規一歌集『点々と点』。大阪の歌人。「未来」所属。自ら最後の老兵、と言う。一九二〇年生まれの作者としては、目の黒いうちにと出した歌集である。闊達自在な歌境であり、歌によって老年の生の輪郭を確かめ、日々のかけがえのなさをかみしめている。
新しきいくさ爆ぜたり、新しき酸素管つけて妻は生きつつ
幕煙の九・一一のひと日より青空の奥のもの暗い青
「主婦の友」「婦人倶楽部」のすくよかの豊頬思う吾は老深く
〇樋口覚著『雑音考』。二〇〇一年刊だが、最近取り出してみて、「『やぽん・まるち』―萩原朔太郎と保田與重郎の行進曲論」という論考に感心した。
〇『室町和歌への招待』。林達也、廣木一人、鈴木健一共著。読みやすかったし、知らない作者がたくさんあった。関連して大谷俊太著『和歌史の「近世」』が近刊として目についた。終章では、最近何かと話題の「実感」がキーワードの一つになっているので、興味のある方はご覧を。
〇一ノ関忠人歌集『帰路』。病気療養の歌は同情なしには読めない。しかし、独吟連句あり、長歌ありと、一冊には文芸の徒の遊びが感じられる。また生命への意志といつくしみのまなざしが感じられる。
目盲ひたる春庭翁の坐りけり妻壱岐をまへに歌くちずさみ
セキレイのしばし憩へる石のうへいまわたくしが疲れて坐る
いにしへの あづまの王の
墳丘の 草の茂りに
四股ふみて わが彳めば
いつしかに
いのち生きよと 地に響きたり
ここでは療養は、大地の霊力を身につけるための忌みごもりなのだ。
〇源陽子歌集『桜桃の実の朝のために』。夫の経営する会社が親会社の事業整理で一気につぶされたり、自身は交通事故にあったりするという多事多端の年月を詠んだ歌。歌はきりっと引き締まった調子を持つ。
雑草の波を漕ぐとも何処までも所有の線のきびしく引かる
胸のこのここの辺りに武士の生きると言えりシャツを掴みて
一ミリを折り曲げんため一歩を踏み出さんため生き直すため
これしきの事と言いたり是式はさいさい交わす賄賂の隠語
読みながら、幾度もどきっとさせられる歌を見つけた。知的で力強い、生の意志に満ちた歌集である。
〇小児科医として著名だった松田道雄の没後に、追悼の気持をこめて出された『幸運な医者』という本がある。活字の大きい百五十ページほどの書物で、巻末には主要著作目録がついている。一九九八年岩波書店刊。雑文をまとめただけの、格別な内容もないと言っていい本なのだが、八九歳の人の言葉には、やはり教えられることがある。
親しく接した人の追悼文によれば、その当時京都のロシア語書籍店「ナウカ」で、最もロシア語の文献を買うのは松田道雄だったという。河出書房新社刊の『ロシアの革命』は私も読んだことがあった。彼は戦後ロシアに行き、幻滅して帰って来る。
「少年の日に『入信』して戦争中は冷凍してきた信仰がだめだとわかった気落ちが、それからの私の考え方をきめた。」と書いている。続けて「人間を離れた超越者だとか、歴史の理法とかから道徳をひきだすことに賛成できないのは、そういう道徳はむごいからだ。」とも言う。この人がなかなか痛快なのは、次のようなことを平気で言うところにある。
「八十七歳まで生きた医者、貝原益軒の『養生訓』を訳した人間というので、長生きのコツのようなものを期待されるかもしれない。だが、私は長生きのコツとか、長命法とかいうものを信じない。医者だから信じないのだ。長生きするしないは、大部分遺伝因子できまっていて、変更できるものではない。」
さっぱりとした、物おじしない死生観と言っていいのではないだろうか。
〇もう一冊、高齢の著者の本をとりあげてみたい。新古書店の百円棚にあった波多野完治著『吾れ老ゆ故に吾れ在り』という本だ。一九九三年光文社刊。あとがきに、来年で九〇歳になるとある。この本の副題は「老いと性と人生と」で、性についての記述がたくさんあるのに私は期待して読んだのだ。
「わたしが九〇に近くなっても、なおいろいろな学習に耐えるとして、それは、若いときから病気に苦しめられ病気とつきあいながら生きる方法を発見し、ついには病気を手なずけて生きることに成功して、現在では、一つの病気哲学とでもいうようなものをつかんだからだ、と思っていただきたい。」と書いている。息の長い昂然とした文章だ。それに老年の性についての記述には型破りなところがある。
「何にしても高齢者の回春に、第二の結婚または、「アウトサイド・マリッジ」が有効なことはほぼ確実のようで、問題は、現在の一夫一婦制の下で、かつウーマン・リブの世界にあって、どう上手に処理するかであろう。つまり、生理だけの問題ではなく、心理または教育(生涯教育)と深くかかわるのである。このことを度外視した教育論はヘソの抜けた腹のようなものである。」
長年の臨床の経験に基づいて言っているだけに、右の言葉はなかなか痛快に響くのだが、言うは易く行うは難いのであって、自他を含めた切実な人生観察の経験に基づいて、年齢的にも自由な場所で書いたのだろう。
〇さて、このところ近世の和歌を読むことが多いのだが、少し香川景樹の老いの歌を引いてみたい。(繰り返し記号を起こして表記し、一部旧字を新字にあらためた。)一連三首を引く。
題しらず 香川景樹
燈のかげはそむけて寝たれどもさやかにのみぞ夢は見えける
かぎりなく悲しきものは燈の消てののちの寝覚めなりけり
つくづくともの思ふ老の暁にねざめおくれし鳥の声かな
一首めの燈(ともしび)は、行灯だろう。火を消さないまま寝ることにして、目をつむれば真っ暗なのに、夢のなかではくっきりと(さやかに)明るい光(かげ)が射していて、なつかしい人の姿が見えたのかもしれない。むろん「古今集」の名歌を下敷きにして読むのであって、その艶なる古歌の匂いと、自身の枯れた老いの心情が対照されながら、ほのかな「あはれ」の響きを伝えるのである。
二首め。人は年をとれば眠りが浅くなる。そうして、いったん目が覚めると再び寝入ることが難しいのは、多くの人が経験するところだ。それを「かぎりなく悲しきもの」だと作者は言う。
三首めは、そうして次々湧いて来る楽しくもない思案を追って、目覚めたままでいると、眠れない自分よりも遅く起き出した鳥のさえずりが聞こえてくるのである。老いの眠りの寂しさが惻々と伝わって来る秀歌である。 さて一方で、眠りが浅いためにいいこともあった。
郭公一聲
時鳥老いのねぶりのうれしきは只一聲に覚るなりけり
時鳥(ほととぎす)の声には鋭いところがあって、ただひとこゑが耳に入ってきた途端に、はっと覚醒させられる(さむる)のである。景樹の朝の歌には、すぐれたものが多い。
舟行夜已深
堀江川あかつき汐やさし来らむ棹の音ふかく成まさるかな
湖上船
俤はたが朝妻の舟屋かたむかしのうかぶ波のうへかな
男をんな舟にのりてあそぶ
我せこが棹とる池の嶋めぐりぬらす雫もうれしかりけり
『桂園一枝 花』雑歌上の十二首めから、続けて三首を引いた。どれも動きのある歌である。堀江川は運河で、満潮になると水嵩が増して来るのだ。「汐やさし来らむ」は、潮がさして来たのだろうか、の意。舟を進める棹の音(ね)が変わってくる、その微妙な変化を耳でとらえた歌である。作者はおそらく堀江近くの宿にいるのだろう。高瀬舟が通るような運河である。
二首めの朝妻舟は、琵琶湖の東岸と大津を結ぶ連絡船で、遊女の乗ったものもあったというから、「たが朝妻の」は、多少それを匂わせている。ぼんやりとうかぶ船影は、そのまま朧な「むかし」の大宮人への追憶に重なって、歌もやや万葉調である。自身の若い頃の「朝妻」への追憶も多少入り込んでいるような感じがあって、なまめかしい。四句目の語の斡旋は、現代の美意識からすると、無理が感じられるかもしれない。
三首めの「せこ」は男同士にも用いるが、これは女の気持ちになって「我せこ」と言っているように読める。もしかしたら扇絵などのために作った歌かもしれない。これも四句目がやや間遠いか。
本を読むよりも何かものを書いている方が楽だ。書くことは、まったく苦にならない。しかし、書くためには読まなければならないので、それが難儀である。本は、飽きたら足元に積んでおき、折々取り出して見ているうちに、いつの間にか全部読んでしまっていた、というような読み方をするのが理想である。しかし、実際はなかなかそうもいかない。春から夏にかけての三、四カ月の間に、ざっと見て三百冊ほどの本が、仕事机の前後に乱雑に積み上がってしまった。ただでさえ私の部屋は潜水艦のような状態なのだから、本の過飽和は物の雪崩を引き起こす。それに足場が狭いために、茶碗を持って椅子につくことができない。今もコーヒーをこぼしてしまって、あわてて拭いたところだ。今日は夏休み期間中の木曜日だが、休日出勤の振替で一日空いている。本を片付けようとして書名を見ると、半分はまだ手元に置いておきたい気がするのだが、そこを思い切って運び出すことにする。いったん書庫に出しておいて、それからまた少しずつ持ってくればいいと自分に言い聞かせる。
本はサイズごとに紐でしばっていく。紐は、浴衣の帯のように腹のところでぐるぐる巻くだけで、十文字結びにはしない。三周ほど巻いて少したるみを持たせるのが、こつである。蝶結びにして、そのまま紐の真ん中を持ってぶら下げると、本の重みで自然に羊羹型の一塊になる。これは古本屋で教わったやり方だ。ただし両脇の本は押されて紐の跡がつきやすいので、大事な本は、中の方に挟む。紐の当たるところに厚手の紙をあてがってあるのを古書店で見たことがあるが、私はそこまでしない。本の整理をしていると、時々、こんなことばかりやっているうちに俺の一生はおわるのかなあ、などと思ったりすることがある。楽しくて、空しくて、多少めんどうだ。詩歌にかかわることも、これに似ている。
近刊から。
〇穂村弘著『短歌の友人』には、中澤系の作品がたくさん引いてある。どれも初出で見ている文章だが、あらためて中澤系の作品が、八十年代から九十年代のはじめにかけての若者の心情を代弁するものだったということを思わせられた。
〇 柴田千晶『セラフィタ氏』。これは藤原龍一郎の短歌と柴田の詩とのコラボレーションである。開いたら最後まで一気に読み終えた。どういうやり方をとったのかが書いていないので、コラボの過程がイメージできないのだが、両者の言葉は、密接な内的結び付きをもって共振している。展開されるイメージは、皆川博子や久世光彦の小説世界に多少似通ったところがあると思ったが、エロス的なものの表現はどれも戦慄的であり、全編がアイロニカルな姿勢をもって統御されている。これは短歌が出て来るテキストでは近年まれなことである。
〇笹公人著『念力短歌トレーニング』。とにかく紹介されている投稿者の作品の技術レベルが高いのに舌を巻いた。おもしろ短歌で一つのジャンルを作ってしまったというところか。
タクシーがすつと止まりてつまらなし洗い髪にて立つ墓地前は 桐生祐狩
〇池本一郎歌集『草立』。鳥取の歌人。「塔」所属。先日、花山周子の読書会に行き、この人の挨拶を聞いた。現実の作者も作品同様に諧謔にあふれる人だと知った。すっきりとした写生を基本のところに置いておいて、今生のもののあわれを軽妙に詠んでいる。
かざかみに風紋はのび砂うごく従うのみに年かさねつつ
一線に二百もならぶ漁火が散ってゆくなり丘にのぼれば
底辺につづく兵士ら聞こえよく一等・上等とよびしこの国
〇浦上規一歌集『点々と点』。大阪の歌人。「未来」所属。自ら最後の老兵、と言う。一九二〇年生まれの作者としては、目の黒いうちにと出した歌集である。闊達自在な歌境であり、歌によって老年の生の輪郭を確かめ、日々のかけがえのなさをかみしめている。
新しきいくさ爆ぜたり、新しき酸素管つけて妻は生きつつ
幕煙の九・一一のひと日より青空の奥のもの暗い青
「主婦の友」「婦人倶楽部」のすくよかの豊頬思う吾は老深く
〇樋口覚著『雑音考』。二〇〇一年刊だが、最近取り出してみて、「『やぽん・まるち』―萩原朔太郎と保田與重郎の行進曲論」という論考に感心した。
〇『室町和歌への招待』。林達也、廣木一人、鈴木健一共著。読みやすかったし、知らない作者がたくさんあった。関連して大谷俊太著『和歌史の「近世」』が近刊として目についた。終章では、最近何かと話題の「実感」がキーワードの一つになっているので、興味のある方はご覧を。
〇一ノ関忠人歌集『帰路』。病気療養の歌は同情なしには読めない。しかし、独吟連句あり、長歌ありと、一冊には文芸の徒の遊びが感じられる。また生命への意志といつくしみのまなざしが感じられる。
目盲ひたる春庭翁の坐りけり妻壱岐をまへに歌くちずさみ
セキレイのしばし憩へる石のうへいまわたくしが疲れて坐る
いにしへの あづまの王の
墳丘の 草の茂りに
四股ふみて わが彳めば
いつしかに
いのち生きよと 地に響きたり
ここでは療養は、大地の霊力を身につけるための忌みごもりなのだ。
〇源陽子歌集『桜桃の実の朝のために』。夫の経営する会社が親会社の事業整理で一気につぶされたり、自身は交通事故にあったりするという多事多端の年月を詠んだ歌。歌はきりっと引き締まった調子を持つ。
雑草の波を漕ぐとも何処までも所有の線のきびしく引かる
胸のこのここの辺りに武士の生きると言えりシャツを掴みて
一ミリを折り曲げんため一歩を踏み出さんため生き直すため
これしきの事と言いたり是式はさいさい交わす賄賂の隠語
読みながら、幾度もどきっとさせられる歌を見つけた。知的で力強い、生の意志に満ちた歌集である。
〇小児科医として著名だった松田道雄の没後に、追悼の気持をこめて出された『幸運な医者』という本がある。活字の大きい百五十ページほどの書物で、巻末には主要著作目録がついている。一九九八年岩波書店刊。雑文をまとめただけの、格別な内容もないと言っていい本なのだが、八九歳の人の言葉には、やはり教えられることがある。
親しく接した人の追悼文によれば、その当時京都のロシア語書籍店「ナウカ」で、最もロシア語の文献を買うのは松田道雄だったという。河出書房新社刊の『ロシアの革命』は私も読んだことがあった。彼は戦後ロシアに行き、幻滅して帰って来る。
「少年の日に『入信』して戦争中は冷凍してきた信仰がだめだとわかった気落ちが、それからの私の考え方をきめた。」と書いている。続けて「人間を離れた超越者だとか、歴史の理法とかから道徳をひきだすことに賛成できないのは、そういう道徳はむごいからだ。」とも言う。この人がなかなか痛快なのは、次のようなことを平気で言うところにある。
「八十七歳まで生きた医者、貝原益軒の『養生訓』を訳した人間というので、長生きのコツのようなものを期待されるかもしれない。だが、私は長生きのコツとか、長命法とかいうものを信じない。医者だから信じないのだ。長生きするしないは、大部分遺伝因子できまっていて、変更できるものではない。」
さっぱりとした、物おじしない死生観と言っていいのではないだろうか。
〇もう一冊、高齢の著者の本をとりあげてみたい。新古書店の百円棚にあった波多野完治著『吾れ老ゆ故に吾れ在り』という本だ。一九九三年光文社刊。あとがきに、来年で九〇歳になるとある。この本の副題は「老いと性と人生と」で、性についての記述がたくさんあるのに私は期待して読んだのだ。
「わたしが九〇に近くなっても、なおいろいろな学習に耐えるとして、それは、若いときから病気に苦しめられ病気とつきあいながら生きる方法を発見し、ついには病気を手なずけて生きることに成功して、現在では、一つの病気哲学とでもいうようなものをつかんだからだ、と思っていただきたい。」と書いている。息の長い昂然とした文章だ。それに老年の性についての記述には型破りなところがある。
「何にしても高齢者の回春に、第二の結婚または、「アウトサイド・マリッジ」が有効なことはほぼ確実のようで、問題は、現在の一夫一婦制の下で、かつウーマン・リブの世界にあって、どう上手に処理するかであろう。つまり、生理だけの問題ではなく、心理または教育(生涯教育)と深くかかわるのである。このことを度外視した教育論はヘソの抜けた腹のようなものである。」
長年の臨床の経験に基づいて言っているだけに、右の言葉はなかなか痛快に響くのだが、言うは易く行うは難いのであって、自他を含めた切実な人生観察の経験に基づいて、年齢的にも自由な場所で書いたのだろう。
〇さて、このところ近世の和歌を読むことが多いのだが、少し香川景樹の老いの歌を引いてみたい。(繰り返し記号を起こして表記し、一部旧字を新字にあらためた。)一連三首を引く。
題しらず 香川景樹
燈のかげはそむけて寝たれどもさやかにのみぞ夢は見えける
かぎりなく悲しきものは燈の消てののちの寝覚めなりけり
つくづくともの思ふ老の暁にねざめおくれし鳥の声かな
一首めの燈(ともしび)は、行灯だろう。火を消さないまま寝ることにして、目をつむれば真っ暗なのに、夢のなかではくっきりと(さやかに)明るい光(かげ)が射していて、なつかしい人の姿が見えたのかもしれない。むろん「古今集」の名歌を下敷きにして読むのであって、その艶なる古歌の匂いと、自身の枯れた老いの心情が対照されながら、ほのかな「あはれ」の響きを伝えるのである。
二首め。人は年をとれば眠りが浅くなる。そうして、いったん目が覚めると再び寝入ることが難しいのは、多くの人が経験するところだ。それを「かぎりなく悲しきもの」だと作者は言う。
三首めは、そうして次々湧いて来る楽しくもない思案を追って、目覚めたままでいると、眠れない自分よりも遅く起き出した鳥のさえずりが聞こえてくるのである。老いの眠りの寂しさが惻々と伝わって来る秀歌である。 さて一方で、眠りが浅いためにいいこともあった。
郭公一聲
時鳥老いのねぶりのうれしきは只一聲に覚るなりけり
時鳥(ほととぎす)の声には鋭いところがあって、ただひとこゑが耳に入ってきた途端に、はっと覚醒させられる(さむる)のである。景樹の朝の歌には、すぐれたものが多い。
舟行夜已深
堀江川あかつき汐やさし来らむ棹の音ふかく成まさるかな
湖上船
俤はたが朝妻の舟屋かたむかしのうかぶ波のうへかな
男をんな舟にのりてあそぶ
我せこが棹とる池の嶋めぐりぬらす雫もうれしかりけり
『桂園一枝 花』雑歌上の十二首めから、続けて三首を引いた。どれも動きのある歌である。堀江川は運河で、満潮になると水嵩が増して来るのだ。「汐やさし来らむ」は、潮がさして来たのだろうか、の意。舟を進める棹の音(ね)が変わってくる、その微妙な変化を耳でとらえた歌である。作者はおそらく堀江近くの宿にいるのだろう。高瀬舟が通るような運河である。
二首めの朝妻舟は、琵琶湖の東岸と大津を結ぶ連絡船で、遊女の乗ったものもあったというから、「たが朝妻の」は、多少それを匂わせている。ぼんやりとうかぶ船影は、そのまま朧な「むかし」の大宮人への追憶に重なって、歌もやや万葉調である。自身の若い頃の「朝妻」への追憶も多少入り込んでいるような感じがあって、なまめかしい。四句目の語の斡旋は、現代の美意識からすると、無理が感じられるかもしれない。
三首めの「せこ」は男同士にも用いるが、これは女の気持ちになって「我せこ」と言っているように読める。もしかしたら扇絵などのために作った歌かもしれない。これも四句目がやや間遠いか。
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