さいかち亭雑記

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鮎川信夫『宿恋行』

2018年05月03日 | 現代詩 戦後の詩
 古書で鮎川信夫の詩集『宿恋行』を買った。あんまり自分のこの頃の気分にぴったりするので、いや、鮎川ほど私は自己滅却への願望は強くない。それにしても、読んでいて「楽しい」というか、「みたされる」詩集ではあって、まあ、連休中にこういうことを朝の四時に起きだして書いているような人間もそう多くはないだろう。引いてみる。

  こんな夜には     鮎川信夫

セブンスターの箱をはじくと
悪魔が出てくる
一人でタバコをすっていると
むしょうにやつと話したくなった   

シガレットの吸口を
かるく水につけて上から吹く
無意味ないたずらにも
造物主の息がかかっていて

こまかい泡のかたまりが
コップに落下しすぐに消え
無数の星の悲鳴を耳のなかに残すから
うれしくならないこともないよ

紙マッチの軸を台紙からちぎらずに
ちょっと折りまげてこすりつけ
くだんのタバコに点火すれば
冷たい水色のけむりが立ちのぼる

澄んだほほえみを忘れちゃいけない
あくまで一人の殺し屋の
おいらのメッセージ
習慣のロボットになるな

紙マッチの台紙には
折れまがった用済みの黒い頭と
まだ綺麗な白い頭とが仲よくならんでいて
醜い現実の姿をさらしている

タバコの外装からセロハンをはずして
箱型のそれを机のうえに立ててごらん
透明にそびえることを望んでいる
きみの城にそっくりだから

てっぺんに火をつけると
美しい炎をあげて燃えあがり
十数秒で黒い灰になる
すべてがこんなふうだったらわるくはないぞ

じゃあ おやすみ
健康のため
吸いすぎには注意しましょう
なんと無邪気な悪魔のやつめ!

 全部で九つの連によって構成されている詩だ。以下にコメントを試みることにする。

1
セブンスターの箱をはじくと
悪魔が出てくる
一人でタバコをすっていると
むしょうにやつと話したくなった   

2
シガレットの吸口を
かるく水につけて上から吹く
無意味ないたずらにも
造物主の息がかかっていて

 悪魔と造物主が対照的な存在であることは、誰にでもわかる。しかし、タバコを使っていたずらをしている時に発生する泡・あぶくを見ながら造物主の名を引き合いに出すこと自体が強烈なアイロニーである。ここで造物主も笑わせたいと詩人は思わなかっただろうか。

3
こまかい泡のかたまりが
コップに落下しすぐに消え
無数の星の悲鳴を耳のなかに残すから
うれしくならないこともないよ

 三行目と四行目の言葉の切れ具合が、尋常ではない。四行目の「うれしくならないこともないよ」という話し言葉のような、翻訳文体のような一行の秀抜さは、言いようもなくすばらしい。

4
紙マッチの軸を台紙からちぎらずに
ちょっと折りまげてこすりつけ
くだんのタバコに点火すれば
冷たい水色のけむりが立ちのぼる

 「冷たい水色のけむり」は、むろんニヒルな煙であるが、抑えた言葉遣いのなかに冷え冷えとしたよろこびを感じさせる詩行である。

5
澄んだほほえみを忘れちゃいけない
あくまで一人の殺し屋の
おいらのメッセージ
習慣のロボットになるな

 これはタバコの悪魔がしゃべっているのだろう。私の解釈では、この詩は荒淫のあとの気分につながっているのである。だから、悪魔が退屈な殺し屋であるのと同様に、詩人である「おいら」も肉を相手になすところの技巧家であり、比喩としての「殺し屋」の一人なのだ。ただし世間一般の殺し屋というのは、想像力が死滅しているからこそそういうことができるのであって、この詩人のように愛技の手練手管にすぐれているわけではないだろう。「澄んだほほえみを忘れちゃいけない」というのは、手を下す時のことであろう。まったく天才的な一行だ。

 しかし、何しろ日本みたいな国で大藪晴彦の小説ふうに銃器をぶっぱなすというのは、先日のキレてしまったおまわりさんみたいで、野暮の骨頂と言えるかもしれない。ついでに詩と同じ対照の詩法にならって書くと、先月末に捕まった脱獄犯の男は、近頃めずらしいハードボイルドな表情をしていた。日本社会というのは、一人の男がああいう顔になるまでに人を追いつめる社会なのだ。彼はまったくそんなことは自覚せずに、全身で拒否感を表明していたのだが、大半の人間は、そんなことは夢にも思わないにちがいない。私は『宿恋行』が気分にぴったりするぐらいのところにいる人間なので、彼の孤独が理解できる。(彼の以前に犯した犯罪が、ではない。) 

  ※そののち週刊誌の報道で、彼がおかれていた施設が人間の自尊心を根こそぎ損う旧態依然とした、旧軍隊のようないじめ的な状況を放置している、ひどいものであるということがわかった。私は刑務所に暮らしているひとたちに同情を禁じ得なかった。日本の刑務所を管轄しているひとたちは、ドイツその他の「先進国」にまじめに視察に行くべきだろう。受刑者の人権を損うような刑務所は、再教育機関・人間の更生機関として失格である。マスコミも口を拭っていないで、きちんと続報をすべきである。

6
紙マッチの台紙には
折れまがった用済みの黒い頭と
まだ綺麗な白い頭とが仲よくならんでいて
醜い現実の姿をさらしている

7
タバコの外装からセロハンをはずして
箱型のそれを机のうえに立ててごらん
透明にそびえることを望んでいる
きみの城にそっくりだから
 
 この一連も、悪魔がしゃべっているのかもしれない。「透明にそびえる」「城」というのは、人間の為している抽象的な行為のすべてを示す暗喩だが、とりわけ芸術の分野、それから哲学・思想の分野、詩の分野において際立つものをアイロニカルに示唆しているだろう。「きみ」とは、作者も含めた詩人たちのことでもあるのだ。

8
てっぺんに火をつけると
美しい炎をあげて燃えあがり
十数秒で黒い灰になる
すべてがこんなふうだったらわるくはないぞ

 「てっぺん」は天上を示唆しつつ、知的な作者自身の脳味噌に近い部分を燃やしてしまうことに通ずるだろうし、黒い灰は、もちろん死を示唆する。「すべてがこんなふうだったらわるくはないぞ」という、ふたたび現れた絶妙な響きを持った翻訳語の話し言葉の口調、悪魔の口調が、自分いじりと自分いたぶりに慣れた(つまり自己批評的な)詩人の「いたずら」な気分を明るく諧謔をもって表現されている。

9
じゃあ おやすみ
健康のため
吸いすぎには注意しましょう
なんと無邪気な悪魔のやつめ!

 本家の英国の詩人ジョン・ダンの諧謔的な精神の遠い反響みたいな味を持つ詩でありつつ、「吸いすぎには注意しましょう」という口調には、アメリカ由来のような無邪気な率直な調子も感じられる。「健康のため/吸いすぎには注意しましょう」というのは、むろん強烈な皮肉である。私は分煙には賛成だが、すべての公の場所における「全面禁煙」には反対だ。煙草を吸う人のためのスペースがどこにもないので建物から出て、さらに門の外で吸っている場面をしばしば目にするが、これに何の配慮もしないのはおかしいと思う。


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