小池さんのおっしゃるステイホーム一日目です。
いつもの通り散歩から一日が始まります。
コサギかな?目のまわりに婚姻色が出てますね。
ハナショウブ
モッコウバラ
コデマリ
ナガミヒナゲシ
つつじ・・・雨が残っていますね。
キジが前方を横断です。
矢車草
カルガモ
なんか・・・平穏無事っていう感じの絵になりました。
コロナ騒ぎで落ち着かない日々ですが・・・上の写真のように世の中が平穏無事であるたとえに「五風十雨」があります。
五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降る順調な天気が続き、農業に都合のよい天候のために豊作になり、
天下が平穏になるという状況の喩えから、「平和な穏やかな世の中」を意味しています。
この季節に限ったわけではありませんが、春から初夏に代わる気持ちの良い陽気にぴったりの言葉ですね。
五風十雨は、中国・後漢時代の文人、思想家である王充(おうじゅう)が西暦90年ごろに著した思想書「論衡(ろんこう)」に収録されている「是応(ぜおう)」を出典とする四字熟語です。
「・・・
道無虜掠、風不鳴條、雨不破塊、五日一風、十日一雨。
・・・」
道に虜 掠(りょりゃく)無く、
風條(えだ)を鳴らさず、
雨 塊(つちくれ)を破らず、
五日に一たび 風(かぜ)ふき、
十日に一たび 雨(あめ)ふるを言う。
: 『(儒者が泰平のめでたいしるしの現れを論じている一節で)道中には物を掠(かす)めたり虜にするものがなく、
風は枝に音をたてて吹かず、雨は土塊を砕かず、五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降るという。』
「五風十雨」は五日一風十日一雨(ごじついっぷうじゅうじついちう)ともいいあらわしたり、
十風五雨(じゅうふうごう・じっぷうごう)と表記する事もあります。
あまり使われるような熟語ではありませんね。
古くは明治の作家徳冨蘆花(蘇峰の弟)の自伝的小説、思出の記(おもいでのき)の中に
「これさえ手に入れば国家泰平福徳万年五風十雨の世は極楽となるかのように思っていた。」
という一節があります。
クイズに出てくるような四文字熟語ですね。
ともあれ、このコロナ騒ぎが落ち着いて、五風十雨の雰囲気あふれる世になるのを祈るばかりです。
では・・・(@^^)/~~~
いつもの通り散歩から一日が始まります。
コサギかな?目のまわりに婚姻色が出てますね。
ハナショウブ
モッコウバラ
コデマリ
ナガミヒナゲシ
つつじ・・・雨が残っていますね。
キジが前方を横断です。
矢車草
カルガモ
なんか・・・平穏無事っていう感じの絵になりました。
コロナ騒ぎで落ち着かない日々ですが・・・上の写真のように世の中が平穏無事であるたとえに「五風十雨」があります。
五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降る順調な天気が続き、農業に都合のよい天候のために豊作になり、
天下が平穏になるという状況の喩えから、「平和な穏やかな世の中」を意味しています。
この季節に限ったわけではありませんが、春から初夏に代わる気持ちの良い陽気にぴったりの言葉ですね。
五風十雨は、中国・後漢時代の文人、思想家である王充(おうじゅう)が西暦90年ごろに著した思想書「論衡(ろんこう)」に収録されている「是応(ぜおう)」を出典とする四字熟語です。
「・・・
道無虜掠、風不鳴條、雨不破塊、五日一風、十日一雨。
・・・」
道に虜 掠(りょりゃく)無く、
風條(えだ)を鳴らさず、
雨 塊(つちくれ)を破らず、
五日に一たび 風(かぜ)ふき、
十日に一たび 雨(あめ)ふるを言う。
: 『(儒者が泰平のめでたいしるしの現れを論じている一節で)道中には物を掠(かす)めたり虜にするものがなく、
風は枝に音をたてて吹かず、雨は土塊を砕かず、五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降るという。』
「五風十雨」は五日一風十日一雨(ごじついっぷうじゅうじついちう)ともいいあらわしたり、
十風五雨(じゅうふうごう・じっぷうごう)と表記する事もあります。
あまり使われるような熟語ではありませんね。
古くは明治の作家徳冨蘆花(蘇峰の弟)の自伝的小説、思出の記(おもいでのき)の中に
「これさえ手に入れば国家泰平福徳万年五風十雨の世は極楽となるかのように思っていた。」
という一節があります。
クイズに出てくるような四文字熟語ですね。
ともあれ、このコロナ騒ぎが落ち着いて、五風十雨の雰囲気あふれる世になるのを祈るばかりです。
では・・・(@^^)/~~~