今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

今日は暖かか・・・

2019年03月15日 | 徒然なるままに
今日は娘の子の卒園式でカメラマンでした。

式には列席しませんでしたが・・・平日にも関わらず両親揃っての参加が多いですね。

もう30年も昔ですが・・・、長女の小学校の卒業式に列席したとき・・・

男性は私だけだったんですよね・・・

今は父親の参列は5~8割っていうデータもあるようですから、かわりましたね。

そういえば中学の卒業式に出た時も、男性は私だけで周りのお母さん方から好奇の目で見られましたっけ・・・

いつものお宅のハクモクレン


ダイサギ


アオサギ


カワウ


いつもすぐに飛ばれてしまい、なかなか撮れなかったカワセミです。


カルガモの中に、一羽だけ違うカモが・・・

調べたら、ヨシガモでした。
冬鳥ですので、北に帰る途中なんでしょうかね。

アオサギ・・・かなり近くに寄ったのですが、飛びません。冠羽がかっこいいですね。

蝶々の姿が目立つようになりました。




この蝶、種の数は全部で1万8千種、日本の土着種は約260種、

南方から風に流されたりして日本に迷い込んだ迷蝶を加えると300種を超えます。

童謡のちょうちょの歌詞は

「ちょうちょ、ちょうちょ、菜の葉にとまれ。菜の葉にあいたら桜にとまれ、

桜の花の 花から花へ とまれよ あそべ あそべよ とまれ」

ですが、この蝶はモンシロチョウと言われていますが、モンシロチョウは桜の花には止まりません。

なのに、なぜ止まると歌われたんでしょう。

この歌、明治7年の作詞ですが、

そのときは、「桜の花の 花から花へ とまれよ あそべ あそべよ とまれ」は

「さくらの花の、さかゆる御代(みよ)に、とまれよ あそべ あそべよ とまれ」とつづいていました。

桜が明治天皇を象徴していて、蝶は無理やり明治政府によって桜に止まらされていたんですね。


蝶は古くから親しまれてきたはずなのに、「万葉集」には一首も詠われていなくて、

初めて文学に登場するのは日本最古の漢詩集「懐風藻」です。

「柳絮(りゅうじょ)未だ飛ばず蝶先づ舞ひ、梅芳猶遅く花早く臨む」(紀古麻呂)をはじめとして多くの蝶が漢詩に出てきます。

漢詩をたしなむ知識人には、「荘子」の「胡蝶の夢」が古くから知られた故事なので、好んで漢詩で読まれたのかもしれません。

「胡蝶の夢」は「荘子」の「斉物論」にある故事で、荘周が胡蝶になった夢を見、覚めた後、自分が夢で胡蝶になったのか、胡蝶がいま夢のなかで自分になっているのか疑ったという話です。

蝶の別名の「夢見鳥」はこの故事から来ています。

魂が蝶に姿を変えて体を抜け出すという考えは世界中にあるようですが、隠れキリシタンが伝えた聖書の「天地始之事」では

マリアの処女懐胎が

以下のように書かれています。

=====
ある日の夕暮れの事、蝶の御姿を取られたぜうすが天より下ってきてびるぜん・まるやの顔を触れられた。

その折にころうどのさんた・まるや(※ポルトガル語。Coroa。花冠の意)という名を与え、その口の中に飛びこまれた。

そうしてそれからすぐ、まるやは懐妊したのであった。
======

聖霊は蝶になってマリアの口の中に飛びこみ、マリアは身ごもることになっています。


この「天地始之事」

禁教下の江戸時代に執筆され、長崎の隠れキリシタン達が書写して秘密裏に読んでいたと思われる手作りの聖書です。

キリスト教に関する一切の資料が破棄された中で口伝の記憶のみを頼りに書かれたため、

神道、仏教、民間信仰の知識や民話などと混濁した部分が多数見られます。

この蝶も「荘子」の「胡蝶の夢」などの影響がみられますね。



この胡蝶の夢については哲学的な話としてデカルトの「我思う、ゆえに、我在り」

(Je pense, donc je suis、このフランス語原文のラテン語訳が

cogito ergo sum コギト・エルゴ・スム)

までつながるのですが・・・時間が遅くなりました。

また蝶の写真を載せたときにでも書きたいと思います。


定番の土筆



水仙とスノーフレーク


花桃の開花は来週初めでしょうか?



長くなりましたm(_ _)m


では、(*^-^*)ノ~~マタネー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする