今日も晴れ!!
でも、梅雨の晴れ間は今日までみたいですね。
朝一番は・・・カルガモとセキレイ(?)。
今日もいましたゴイサギの幼鳥、ホシゴイ
こちらは大人
ミツバチでしょうか、花粉まみれです。
また・・・トノサマバッタ
遠くですが、ようやく、キジの雛の姿を撮りましたが・・・残念ピンボケでした。
トリミングしても・・・はっきりしませんね。
お隣の垣根・・・我が家から巣立った子でしょうね。
爽やかな晴れの日でした。
梅雨の晴れ間・・・俳句では梅雨晴間とか梅雨晴れって詠むのが多いですね。
「梅雨晴間ひねもす鳥の声しきり」(高村邦子)
「梅雨晴れて水無月の風窓に吹く」(正岡子規)
水無月は陰暦6月の呼び名です。
梅雨の最中で水はたっぷりあるのに「無い」とは?なんて思いませんか?
この「無」は連体助詞といって、名詞と名詞をつなぐ助詞で「の」という意味なんですね。
ですから、「水無月」は、水が無いのではなくて沢山ある「水の月」ということでしょうか。
もう一句
「五月雨晴や大仏の頭あらはるゝ」(子規)
「五月雨」と書いて「つゆ」って読むんでしょうね。
「五月雨」というと、芭蕉の
「五月雨の降(ふり)のこしてや光堂」
「五月雨をあつめて早し最上川」
がよく知られてますね。
「五月雨の降(ふり)のこしてや光堂」
は、旧暦5月13日、新暦に直すと6月29日に、平泉に着いての句です。
奥州藤原氏が滅びてから、500年という長い時間が経っているので、廃墟となっていると思っていたのに、
金色堂は覆堂(さやどう)といわれる覆いの中にあり、光り輝いていました。
『全てを腐らせる五月雨(梅雨のこと)も、ここだけは降っていなかったのだろうか、金色堂のなんと美しいことか』
という句でしょうか。
「五月雨をあつめて早し最上川」
は、五月雨を、五月の雨と解釈すると、ちょっと違和感を覚えますよね。
五月雨は陰暦五月に降る雨ですので、新暦では6月中旬から7月中旬、まさしく梅雨の雨ですね。
芭蕉がこの句を詠んだのは、旧暦5月29日、新暦なら7月15日でした。
7月中旬、梅雨末期の大雨で最上川には濁った水が音を立てて流れていたのでしょうね。
日本三大急流のひとつです、江戸のゆったりと流れる大川(隅田川)とは違う流れの速さに目を奪われたのではないでしょうか。
梅雨の晴れ間も今日まで、また明日からは梅雨空に戻ります。
では、今日の続きは、また明日(´ー`)/~~
でも、梅雨の晴れ間は今日までみたいですね。
朝一番は・・・カルガモとセキレイ(?)。
今日もいましたゴイサギの幼鳥、ホシゴイ
こちらは大人
ミツバチでしょうか、花粉まみれです。
また・・・トノサマバッタ
遠くですが、ようやく、キジの雛の姿を撮りましたが・・・残念ピンボケでした。
トリミングしても・・・はっきりしませんね。
お隣の垣根・・・我が家から巣立った子でしょうね。
爽やかな晴れの日でした。
梅雨の晴れ間・・・俳句では梅雨晴間とか梅雨晴れって詠むのが多いですね。
「梅雨晴間ひねもす鳥の声しきり」(高村邦子)
「梅雨晴れて水無月の風窓に吹く」(正岡子規)
水無月は陰暦6月の呼び名です。
梅雨の最中で水はたっぷりあるのに「無い」とは?なんて思いませんか?
この「無」は連体助詞といって、名詞と名詞をつなぐ助詞で「の」という意味なんですね。
ですから、「水無月」は、水が無いのではなくて沢山ある「水の月」ということでしょうか。
もう一句
「五月雨晴や大仏の頭あらはるゝ」(子規)
「五月雨」と書いて「つゆ」って読むんでしょうね。
「五月雨」というと、芭蕉の
「五月雨の降(ふり)のこしてや光堂」
「五月雨をあつめて早し最上川」
がよく知られてますね。
「五月雨の降(ふり)のこしてや光堂」
は、旧暦5月13日、新暦に直すと6月29日に、平泉に着いての句です。
奥州藤原氏が滅びてから、500年という長い時間が経っているので、廃墟となっていると思っていたのに、
金色堂は覆堂(さやどう)といわれる覆いの中にあり、光り輝いていました。
『全てを腐らせる五月雨(梅雨のこと)も、ここだけは降っていなかったのだろうか、金色堂のなんと美しいことか』
という句でしょうか。
「五月雨をあつめて早し最上川」
は、五月雨を、五月の雨と解釈すると、ちょっと違和感を覚えますよね。
五月雨は陰暦五月に降る雨ですので、新暦では6月中旬から7月中旬、まさしく梅雨の雨ですね。
芭蕉がこの句を詠んだのは、旧暦5月29日、新暦なら7月15日でした。
7月中旬、梅雨末期の大雨で最上川には濁った水が音を立てて流れていたのでしょうね。
日本三大急流のひとつです、江戸のゆったりと流れる大川(隅田川)とは違う流れの速さに目を奪われたのではないでしょうか。
梅雨の晴れ間も今日まで、また明日からは梅雨空に戻ります。
では、今日の続きは、また明日(´ー`)/~~