時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百十一)

2010-08-11 05:37:15 | 蒲殿春秋
寿永三年(1184年)四月、源頼朝は伊豆を引き上げ鎌倉に戻った。

ある日源頼朝は娘に与えた家を訪れ、娘夫婦の様子を眺めていた。
娘の大姫はまだ七歳。この娘が夫から片時も離れず仲睦まじく遊んでいる。
その夫、志水冠者義高は十二歳。義高の方も年上らしく大姫を気遣いながら相手をしている。

だが、その義高が時折みせる表情が頼朝の胸をつかえさせた。
あの表情は辛さを押し殺して無理やり明るく振舞うものの表情である。

━━ やはり

頼朝は義高の心情を思いやった。
それはかつての自分の心情と重なる。

まだ十四歳だった。
父や兄を戦で失い、自らは父や兄を死に追いやった者達の手の中に捕えられていた。
敵の中にあって囚われの身ゆえに父の命を奪ったものに対して抗議一つすることができず、敵の前で父を喪ったことに対する涙の一つも流すことも出来なかった。
涙を流さないのは敵に対する一つの意地でもあった。
そして命をいつ奪われるのかという不安。
流刑になったと聞かされても、伊豆に到着するまでその事実を真実と信じることが出来なかった。

義高も現在父の命を奪ったものの手の中にある。
その義高の父の命を奪ったのは他ならぬ頼朝である。

義高は父の死については何も言わず、頼朝や周囲に恨みがましい言葉は何一つ言わない。だが、その心のうちはどのようなものかは手に取るようにわかる。
義高には、婿としてこの後も遇するからと頼朝は宣言はしている。だが、義高はその言葉を信じきっていないだろう。
いつ自分の命が奪われるかわからないという不安に日々おびえているだろう。

頼朝は義高から目を背けた。
伊豆にいてかつての流人だった事実と向き合う決意をしたものの、十四歳のあの日々のことだけは思い出したくない。
囚われの身で、父や兄や郎党達の死を聞き、けれどもその死を表立って悼むこともできず、死の恐怖と戦っていたあの日々のことだけは心の奥に封じ込めて目を背けつづけたい。
現在の義高を見るといやでもあの囚われの日々のことを思い出してしまう。
これ以上義高の姿を見てはいられなかった。

頼朝はやがてそっとその場を立ち去った。
その様子を義高とその乳母は不安げな目で見つめた。大姫のみが無邪気な表情で義高を見つめている。

頼朝は立ち去りながら自分の心の弱さを笑った。

一方義高と乳母は、疑念の想いを一層深くした。
頼朝は実は義高の命を絶ちたいのではないか、と。

そのような中、ある男が密かに乳母の元を訪れる。

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