時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百九)

2010-08-03 06:17:57 | 蒲殿春秋
諏訪下社の人々は頼朝の言葉に安堵した。義高を保護してくれる以上義仲に近い自分達も敵視されることはない、と。
その頃ある一人の武士が諏訪下社を訪れる。
その武士は、信濃源氏井上光盛の郎党だった。井上光盛は義仲の盟友であった男である。
この光盛の郎党はこういった。
「このたび一条次郎殿が武蔵守になられた。武蔵守様はかつての諏訪社両社との誼を忘れてはおられぬ。
上社、下社ともに重んじられる。よって、下社とも今後とも誼を通じたいと願っておられる。」

この言葉にも諏訪下社の人々は安堵した。武田信義ー一条忠頼父子と木曽義仲の因縁を知る故に、義仲寄りだった下社が一条忠頼に敵視されないかの危惧があった為である。

鎌倉殿源頼朝、一条忠頼この両者から敵視はされない━━━その安堵感に浸る諏訪下社の祝金刺盛澄の元に井上光盛の郎党が再び現れた。
「志水冠者義高殿がこのままでは危うい。」
郎党は金刺盛澄にそう言った。
義高はまぎれもなく義仲の子である。義仲は朝敵として追討された。
その朝敵となった義仲の係累に対しては縁座の罪に問われる危険性がある。
現在朝廷は義仲の子に対しては深い追求をしては来ないが、何かのおりに義高の何らかの処罰を求めてくる可能性がある。そうなると鎌倉殿もそれを拒めないであろう、というのである。

「何しろ鎌倉殿は院のお心を掴んでいる。その院のお心に背くことはできまい。」
と郎党は言う。

確かに頼朝が並み居る東国の武家棟梁たちよりも優位に立つことができた背景の一つに、他の棟梁達よりも後白河法皇の信頼を得ていたという事実があった。
その後白河法皇は法住寺での合戦の屈辱を決してお忘れにはならないだろう。法住寺の合戦を行なった義仲に対する御憎しみは浅いものではないと皆が推察する。
そのように考えると頼朝に義高を生かす意志があっても院からの命があれば義高に対して何らかの処分を下さざるを得なくなるかも知れない。この時点で頼朝が院に逆らってもいいことなどなにも無い。
金刺盛澄はしばし顔を伏せ考え込んだ。

「武蔵守さまは志水冠者殿をお守りしたいと願っておられる。」
その言葉に金刺盛澄はパッと顔を上げた。
「武蔵守さまならば鎌倉殿の手の及ばぬ場所に志水冠者さまをお匿いすることができる。」
しばし沈黙が続いた。

「もし、志水冠者さまを本当にお守りしたいのならば私をお呼び出しください。しばらく諏訪におりますゆえ。」
さらにもう一言、金刺盛澄に対して衝撃の一言を言い残して郎党はこの場を去った。

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