時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(五百十三)

2010-08-19 05:54:46 | 蒲殿春秋
「さて、わしは今回は任ぜられる官職はないな。」
という頼朝に対して
「さよう。鎌倉殿が鎌倉におられる限り今回得られる位階に見合う官職は無きものと思っていただきたい。
国守以上の任官は全て京官。都におられなければ受けること叶いませぬので・・・
さりとて、鎌倉殿は鎌倉を離れるおつもりはござらぬでしょう。」
「さよう・・・」
そういって頼朝は少し寂しそうな顔をした。

「知行国の方は?」
「そちらはうまく行きましょう。何しろ鎌倉殿は朝敵を二度打ち倒したのでございますから。
しかしながら、その身が都にない方が知行国をお持ちになるということは前代未聞のことでございまするなあ。」
「さようか?」
「そして、一度も国守の経験をお持ちにならずに知行国主になられるということも。
さりながら、鎌倉殿はこの後も前代未聞のことを色々とお始めになりたいのではないかと推察いたしまするが・・・」
その能保の問いにはあいまいな笑みをもって答えた頼朝。
知行国が得られる、しかもその知行国をどこにするかといくこと頼朝の希望を受ける方向で動いてくれる。そのことは朗報であった。

知行国ーー院政期を語るには欠かせない一言である。
院や女院、そして摂関家さらには院近臣などの有力貴族は知行国を有する。
指定された国の国守を推薦する者ーーそれが知行国主である。
かつては全て朝廷内部で行なわれていた国守の任免。
しかし、院政期になるとある特定の人物がある特定の国の守を推薦する権利ができあがる。
つまり都の有力者は公然と自分が知行国主として権限を有する国に自分の息のかかった人物を国守として送り込むことができるのである。
知行国主とその国の国守はある種の主従関係ができあがる。

その知行国主は簡単にはなれない。
皇族は摂関家ならぬ一般の宮廷人は、自身や親族がある国の国守を何度も努めて既成事実を作ってからその国の知行国主となるのである。
ただ、一度だけ例外がある。
平治の乱の戦後の行賞で清盛は東国に知行国を増やした。
頼朝にとっては忌むべき記憶を想起させる前例ではあるが、これは前例として使える。
これを前例として頼朝は数カ国の知行国を得ることを朝廷に申請したのである。
それが受け入れられようとしていると能保は言う。

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