時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

玉葉 摂政基通寵愛される その8

2008-05-26 06:24:49 | 日記・軍記物
さて、その後も基通系と兼実系の間に対立がみられます。
摂関は兼実の子孫と基通の子孫が就任するようになり
複雑な政争を経てやがて五摂家(摂関になれる家柄)が成立します。

五摂家のうち近衛、鷹司は基通の子孫、九条、一条、二条は兼実の子孫です。



基通が生きた時代は
保元・平治の乱~平家政権~治承寿永の内乱~鎌倉幕府の成立
という動乱の世でした。
あれだけの勢力を誇った平家が滅び、一躍時の人となった義仲や義経はあっけない没落をします。その一方で反乱者の烙印を押されて流罪になった少年が数十年後この国で唯一の武家棟梁として勝ち残り、その後700年近く続く「幕府」というものを創立する。というようにその先の状況を誰も予想できない世の中でした。
戦乱は続き、飢饉は発生、つむじ風や地震、火災といった災害も続出しています。
誰もがこの動乱の波に足をすくわれまいと必死にもがき苦しんでいた時代でした。

貴族達にとっても政権が流動的で地位や生命を守るもの大変な時代だったと思われます。
基通の大叔父の頼長は保元の乱のさなか命を落とします。
叔父の基房は官位を奪われ、流罪の憂き目に会います。
祖父の忠通や父の基実も平治の乱では危ない橋を渡りました。
摂関家に生まれたからといって地位や命の保証があったわけではありません。

そのような中、わずか7歳で父親を亡くし、実母は謀反人信頼の妹という悪条件の中で人生のスタートを切った基通は、関白の嫡子とはいえまったく先の見えない人生を送らなくてはなりませんでした。
平清盛、後白河法皇など有力者の支援を受けつつも、先の見えない時代を生き延び三度も摂関の座に座るというのは並大抵のことでなかったと思います。
提携する相手を冷静に見極め、それまでの提携者(平家)と非情に縁を切り、法皇に接近して摂関の地位を守った基通はやはりそれなりの政界遊泳術に長けた人物だったと思われます。
基通に限らず藤原氏のトップが摂政関白の座を死守するというのはどの時代でも大変なことであったとは思いますが、この動乱の時代を生き抜いた基通はなかなかしたたかな人物であったと思われます。

あともう一回だけ続きます。

前回  次回

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ




最新の画像もっと見る

コメントを投稿