時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

範頼の兄弟について その1

2006-11-25 09:16:58 | 蒲殿春秋解説
つぎに、ここまでで登場させた範頼の兄弟について「事実」として判っている部分を書きだしていきたいと思います。(ここまでの話の部分までです)
名前しか出ていない兄弟は割愛させていただきます。()内は記載されている史料です。

源頼朝
久安3年(1147年)生まれ
父 源義朝、母 熱田大宮司藤原季範娘 (「公卿補任」他)
兄弟順 3男
同母兄弟 希義、一条能保室 (「尊卑分脈」他)
ここまでの経歴(「公卿補任」)
1158年 皇后宮権少進(皇后は統子内親王=後の上西門院)
1159年 上西門院蔵人
      近衛将監
      母死去つき一時期解官
      蔵人(二条天皇)
      叙爵(従五位下になる)
      右兵衛権佐
      平治の乱の連座で解官
1160年 伊豆国に流刑(他史料として「清獬眼抄」)

以降1180年までの経歴は軍記物、物語、各種伝説はあるものの
信用性の高い記録には一切彼の名前は出てきません。
この期間の彼の経歴としては
北条政子と結婚したということ以外は判らないというのが実情です。

というわけで、頼朝の場合「事実」と確認できる部分とそうでない部分の
落差が非常に激しいのですが、
他の兄弟に比べると
「公卿補任」に彼の官位等の経歴が記載されているため
平治の乱以前の経歴が明らかなので
この兄弟の中で一番経歴がはっきりしている人物といえるでしょう。


「公卿補任」
  歴代の公卿(大臣、大納言、中納言、参議)の一覧表のようなもの
  公卿になった人の経歴も記されている。
  頼朝も「公卿」になったので記載されている。
  (ちなみに後年織田信長も「平信長」としてこれに記載されている)
  これに記されている内容の信用性は非常に高い。
  100%に近い信頼を置いてもよいと言われている。
  本になって出版されているが高価。
  県立図書館レベルで「館内専用」としてなら閲覧できるが
  個人的にはもっと手の届きやすい図書館にもおいて欲しいと願っている。

「清獬眼抄」
  検非違使の記録をまとめたもの。
  それによると永暦元年(1160年)3月11日
  源頼朝を伊豆国に(護送役 検非違使友忠)
  その弟希義を土佐国に
  流刑に処したとの記録がある。
  ちなみに同日
  平治の乱に関わっていた
  藤原経宗、藤原惟方が流罪になったことが記されている。
 (彼らの担当の護送役人と流刑地も記されている)
 なお、清獬眼抄は「群書類従」に所収されており
国立国会図書館複写サービスで閲覧可能です。

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